見出し画像

この季節に聴きたい!ブラームス最後の交響曲「第4番」

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は11月の「すみだクラシックへの扉」「オーケストラキャラバン 横浜公演」のメインプログラム、ブラームスの「交響曲第4番」の「オトの楽園的推しポイント」をご紹介!クラシック音楽ビギナーのかたも、これを読んでブラームスの最後の交響曲の「聞きどころ」を押さえておきましょう!

晩年の少し前ぐらいの時期、これまでのような無理が効かなくなったり、人生を達観したような心持ちに自分の考え方が変化したり、着る服のセンスが変わったり…そのような人生における何回かの変化のうちのひとつを「人生の秋」と表現することがある。

おそらくそれは、冬の落葉を前に鮮やかに色づく広葉樹の葉のような「最後の輝き」のようなものに対する寂寥感のようなものなのかもしれない。鮮やかに美しく・・・しかしすぐにそれは落ちていく。生というものは永遠ではなく、常に変化していくもの・・・そんな諸行無常観を感じるということなのだろう。それでも好きなもの、美しいもの、良いものを思いっきり楽しもう!と思えるのも秋という季節のもう一つの表情でもある。「いまを生きる」という喜びもまた「秋」にはある。

僕には「人生の秋」と聞いて真っ先に思い浮かぶ曲がある。ブラームス最後の交響曲である「第4番」だ。この作品は僕がブラームスの交響曲のなかで初めて聴いた曲であり、オーケストラの世界に引き込んでくれた重要な曲のひとつ。もちろん僕の大好きな曲だ。仕事柄すべての音楽作品を愛していることは大前提としても、この「第4番」の愛は特別だ。それはきっと自分の性格や趣向と「相性」が良かったのだろう。今回はその良さを僕なりの視点でプレゼンしていきたい。

「交響曲第4番」に至るまで

ブラームス

ブラームスは生涯に4曲の交響曲を作曲した。ブラームスの才能を認め、紹介したロベルト・シューマンも同じ数の交響曲を残している。

「第1番」は20年以上の歳月をかけて完成されたことでも知られている。これはベートーヴェンの存在を強く意識していたというブラームスの心情が、交響曲作曲に対する慎重さに変換されたものだろう。その甲斐あって「第1番」は「ベートーヴェンの10番」と称賛される名作となる。「ベートーヴェンの呪縛」から解放されたブラームスは矢継ぎ早に交響曲を作曲する。「第2番」は明朗闊達な、「第3番」は剛健かつロマンに溢れた名作である。

「第1番」は人生の春、若者の意欲と葛藤からの自らの回答を示すような若々しい活力を感じる。続く「第2番」は夏の爽やかさや明るい開放感を、「第3番」は成熟した骨太な自信や確信の中に、これから訪れるであろう秋の気配を感じる作品だ。このように、季節が移ろうかの如く進んできたブラームスの交響曲は「第4番」をもって「盛秋から晩秋」に至る。

実際ブラームスがこの交響曲を作曲したのは53歳の頃。ブラームスは63歳でその生涯を閉じるので、まさに「人生の秋」にあたる時期の作品だ。

基本的にはシャイな皮肉屋であったブラームスは、自分を大作曲家扱いされることを嫌い、また自分の作品への論評も好まなかったという。そんなブラームスがこの交響曲について「気に入っている」「自分の最高傑作だ」と語ったというのは非常に興味深い。いつでもどこでも「オレがオレが」感を出し、「オレの作品は最高!天才だぜ!」と吹聴したり態度に示すような人物なら信用できないけど、平素より謙虚な姿勢の人物ならその言葉の信頼度は高い。

ボク的「ブラームス4番、ココが好き!」

指揮者であり作曲家、編曲家などマルチな活躍をした音楽家、アンドレ・プレヴィンに「ブラームスの交響曲第4番は、演奏されることに価値がある」といった趣旨の言葉がある。これは「一流の演奏家が名演を残すこと」よりも「様々なオーケストラによって、そのレヴェル如何に関わらず演奏される」ということ、楽譜からその音が演奏として具現化されることだけでもその作品には大きな価値があるということだと僕は解釈したのだが、その意味は受け取る人によって若干の解釈の違いがあるだろう。「参加することに意義がある」とは近代オリンピックの父、クーベルタン男爵の言葉だが「演奏されることに価値がある」のがこの「交響曲第4番」である、というのがプレヴィンのメッセージだと僕は受け止めている。

ピエール・クーベルタン男爵

このことについて僕も共感を持って激しく同意するのだけど、では「僕はなぜブラームスの4番についてそう思うのか」を僕なりの視点て「推しポイント」を挙げていきたい。

ポイント1・「ツカミ」が素晴らしい!

この曲、冒頭の開始からグッとくる。ヴァイオリンが切なく「シ〜ソ〜、ミ〜ド〜」と旋律を演奏する。交響曲でいきなりテーマが演奏される例は多くあるけれど、ブラームス4番の開始ほどグッとブラームスの描いた世界に一瞬にして引き込まれるようなものはない。ブラームスの場合は交響曲第2番のように「モチーフ」と言われるいくつかの音の動きがメインテーマを導いたり、交響曲第3番のような「モットー」と言われる曲の根幹となるハーモニーの動きがメインテーマを導き出す曲がある。

そのような「前置き」がなく、いきなりメインテーマが始まるオープニングはこの交響曲の第1の「おすすめポイント」だ。

この素晴らしいオープニング、初演後にブラームスと親交があり「ヴァイオリン協奏曲」の成立に重要な役割を果たしたヴァイオリン奏者、ヨーゼフ・ヨアヒムの助言で「短い序奏」が付け加えられた。それは2小節からなるハーモニー進行による序奏なのだが、結局はその序奏は削除された。実際にその楽譜を見たことがあるし、演奏も少ないながらも録音されているのを聴いた。いかにもブラームスらしい序奏ではあるのだが、やはり序奏がない現在の形がしっくりくる。

ヨーゼフ・ヨアヒム

ポイント2・「第2主題」にグッとくる!

交響曲のみならず、音楽を作る形式には「第1主題」に対する「第2主題」というものがある。そのことが音楽のバランス構成に大きな意味を持つのだけれど、ブラームスの書く「第2主題」には僕の心を揺さぶるものが多い。

「交響曲第2番」の第1楽章の第2主題もかなりグッとくるのだが、やはり「交響曲第4番」の第1楽章の第2主題、そして第2楽章の第2主題には心踊らされる。

僕が「交響曲第4番」にハマったきっかけは、中学生の頃にNHKテレビで放送された、NHKのアーカイブに残されていた過去の名演奏をまとめた番組。その中でウィーンフィルと共に来日したカラヤンが「交響曲第4番」を演奏している映像があった。当時のカラヤンの指揮姿は実にエレガントで、今見てもそのセクシーさに魅了される。晩年は腰痛のコルセットを隠すために、独特のスーツを着て指揮することが多かったのだが、僕はカラヤンは燕尾服姿が一番似合う指揮者だと思う。その燕尾服姿のカラヤンの指揮と演奏の中で、一番グッときたのが第1楽章の第2主題、そして第2主題に入る直前の音楽だった。

この部分の指揮の仕方には2種類ある。「旋律を振るか」「伴奏系を振るか」というもので、そのことで岩城宏之さんと山本直純さんが大喧嘩するエピソードが岩城さんの「森のうた」に書かれている。岩城さんが「旋律派」、直純さんが「伴奏派」で、当時の僕は岩城派だったが、現在では「直純派」に鞍替えした。とはいえ、どちらも指揮で表現できたらそれが一番である。

また「緩徐楽章」と言われるゆったりした楽章である第2楽章の第2主題も素晴らしい。優しく穏やかな第1主題のあとに登場する第2主題は、チェロが朗々と歌い上げる。「これぞブラームス!」といった旋律なので、クラシック初心者のみなさんにとってはついつい眠くなりがちな第2楽章も是非楽しんで欲しいと思う。

どちらのテーマも、メロディーの中心を担う楽器がチェロなのは興味深い。人の声に近い音域を演奏するとされるチェロ、ブラームスはそのチェロの扱いが上手な作曲家だ。ブラームスの交響曲においてはチェロのほか、クラリネットやホルンにも「見せ場」が用意されることが多い。これらの楽器にもぜひ注目していただきたい。誤解のないように付け加えるが、すべてのパートに「見せ場」がしっかりと用意されている。意識か無意識かは別にして、僕はすべての楽器奏者に対しての「ブラームスの愛情」を感じている。

ポイント3・「曲の終わり」も良い!

「曲の終わり」とは、交響曲全曲の終わりである第4楽章だけでなく、各楽章の終わりかたのことだ。

第1楽章の終わりは全合奏で力強く終わる。よくある曲の終わりかたなのだけど、最後から2小節前のティンパニが堪らない。指揮者によってこの部分をインテンポで演奏するか、少しずつテンポを落とし(音楽用語ではリタルダンドという)ていくか解釈がいろいろ楽しめるところだ。最近はインテンポが主流になってきたように思うが、この「終わりかた」の違いを楽しむために、中高生時代には何十枚もの交響曲第4番のCDを買い漁り、違いを楽しんで一人興奮していたことをここに告白したい。

もちろん4楽章の終わりも最高だ。これもまた中学生の頃、ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)の来日公演がテレビ放送された。指揮は若杉弘さん、小柄な日本人が屈強な西欧人のオケを指揮している姿に言葉にならないくらいの感動を覚えたのだが、その中でも交響曲第4番の第4楽章の終結部の指揮姿に魅了された。もちろん演奏中の指揮姿にも惚れ惚れしたのだが、演奏が終わり万雷の拍手の中で若杉さんがオーケストラに向かって「ブラボー」と呼びかける口の動きを見て「なんて素敵なんだ!」と思った。その印象が忘れられず、僕も同じようなことを指揮台上でしていることはあまり知られていない。

ポイント4・ワクワクが止まらない!第3楽章

割としっとりと重厚な交響曲第4番の中で、第3楽章はアップテンポで楽しい楽章だ。若い頃はゆったりとした音楽よりもアップテンポな曲が好きだったので、この第3楽章が特に大好きだった。ハンガリー舞曲のような躍動的な旋律はクラシック初心者にもスッと入ってくる音楽だと思う。

この第3楽章にのみ「トライアングル」という打楽器が登場する。この単純かつ身近な打楽器がこの楽章の闊達さに彩を添えている。小学生でも学芸会や音楽会で演奏する機会もあるこのトライアングルは、実は非常に奥が深く、難しい楽器である。トライアングルの本体だけでなく、それを叩く金属の棒、それを「ビーター」というのだが、それによっても多種多様な音色を出すことができる。以前楽器店で8万円のトライアングルを「試奏」したことがあるが、豊かな倍音を含んだ上質な音色に驚いた記憶がある。しかしその演奏は非常に難しく、神経を使うものだった。それらを扱うオーケストラの打楽器奏者は、簡単そうにそれを演奏するから「打楽器は簡単」だなどど決して考えてはいけない。「その一撃」に常に音楽家としての全てを賭けている。そのようなことを感じながらトライアングルを聴いていただけたらと思う。今回か果たしてどなたがその大役を担うのだろうか。

余談だが、この曲の初演の際にトライアングルを担当したのはオトの楽園の読者にはお馴染みの作曲家リヒャルト・シュトラウス。果たして彼ば初演時にどのようなパフォーマンスをしたのだろう。

ポイント5・他の交響曲では見られないフィナーレ!第4楽章

この交響曲の最大の特徴は第4楽章だ。ブラームスはロマン派の作曲家であったが、バッハとベートーヴェンの作品を主体としてバロックとクラシック(古典派という意味で)の精神や技巧を学んだことが大きな影響をもたらし、同時代の作曲家よりも外面的効果ではなく内面的な精神と抑制された形式を好んで作曲した人物であった。とはいえ、それが「伝統的交響曲のスタイル」を踏襲するだけではない「独自」の形式を採用した。その最も特徴的な例が交響曲第4番の第4楽章である。

ブラームスが交響曲第4番のフィナーレに採用した形式、それは「パッサカリア」という形式だ。

「パッサカリア」とはヴァリエーション=変奏曲の一種で、最初に提示される何音かが「骨格音」として繰り返し登場する中でメロディーいろいろな変化をしていく形式のこと。同様の形式のことを「シャコンヌ」ともいうが、かつては「パッサカリア」と「シャコンヌ」を別のものとして扱っていたのだが、次第に同じような形式のことをそれそれ呼ぶようになったようだ。「パッサカリア」も「シャコンヌ」も古くは舞曲の形式の一種であり、古典派以降の楽曲においてよく名前を聞く「ソナタ形式」の原型であるという説を採用する音楽書もある。

つまりこの形式は「ソナタ形式以前」の音楽の形式ということになる。

古典派の前の音楽の時代を「バロック時代」というが、その代表的作曲家はドイツにおいてはヨハン・セバスチャン・バッハだろう。もちろん同年代のヘンデルも、イタリアのヴィヴァルディもバロック時代の作曲家であるが、ブラームスが多く学び、影響を受けたのはバッハ(大バッハ)だった。

ヨハン・セバスチャン・バッハ

この「パッサカリア」のテーマの原型もバッハのコラール(プロテスタント教会で歌われる賛美歌)とされていて、原型のコラールと1音を除いて完全に一致する。ここに「バッハ=ブラームス」というドイツ音楽の大人物が邂逅する。そして、ブラームスの敬愛してやまなかったもうひとりのドイツの大作曲家「ベートーヴェン」の影法師もそれに溶け込んでいる。

「交響曲第4番」フィナーレの題材となったとされるバッハのコラール


「バッハ=ベートーヴェン=ブラームス」という「ドイツ3大B」の「三位一体」の創造物が、この交響曲第4番のフィナーレとして結実するのである。「コラール」は教会音楽の重要な音楽だが、教会音楽の中で重要な役割を持つ楽器がある。それは金管楽器のトロンボーンで「神の声」を表現するための楽器として古くから採用されてきた。その「神の声」たるトロンボーンが活躍するのがこの4楽章。教会音楽に生涯を捧げたバッハのコラールの引用・・・それに最もふさわしい楽器である。

ここに「シャコンヌ」と呼ぶべきか「パッサカリア」と呼ぶべきかという難問が残る。音楽学者などの専門家の考えだと、そこに厳密な約束事があるのかもしれない。さて、僕はどうしよう・・・僕は「パッサカリア」を採用したいと思う。

なぜなら・・・皆さんも「シャコンヌ」と「パッサカリア」を口に出して何回か言ってみてほしい。「パッサカリア」の方が、なんだか強うそうでカッコいい響きではないだろうか?

最終的には「なんだかカッコいい!」とか「なんだか美しい・・・」という「直感」がクラシック音楽を楽しむことに最も大事なポイントなのだと僕は確信している。知識で聴くものでも、理論で楽しむものでもなく「心の中から湧き上がる気持ち」を大切にクラシック音楽、オーケストラ音楽を楽しんで欲しい。音楽実演家の末席にいる僕からの、ささやかなお願いだ。

(文・岡田友弘)


公演情報

すみだクラシックへの扉・第11回

2022年11月18日 (金) 14:00開演  すみだトリフォニーホール 大ホール
2022年11月日19 (土) 14:00開演  すみだトリフォニーホール 大ホール

チケット購入はこちら

オーケストラ・キャラバン 新日本フィル 横浜公演

2022年11月20日(日) 14:00開演   横浜みなとみらいホール 大ホール

曲目

モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽 K.477

マーラー:亡き子をしのぶ歌

ブラームス:交響曲4番 ホ短調 op.98

指揮:沖澤のどか
バリトン:大西宇宙


執筆者プロフィール

岡田友弘
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


岡田友弘・公式ホームページ

Twitter=@okajan2018new

岡田友弘指揮教室 "Magic sceptre" 総合案内

この記事が参加している募集

思い出の曲

最後までお読みいただきありがとうございます! 「スキ」または「シェア」で応援いただけるととても嬉しいです!  ※でもnote班にコーヒーを奢ってくれる方も大歓迎です!