見出し画像

メモ

この4月、新入職者をふたりお迎えした。

メモの取り方を見ていると、その人がどのくらい仕事できるのか、なんとなくわかる。
メモが整然ときれいかどうかの話ではない。
その人にとってメモが使えるものかどうかといったことだ。

いままで一番仕事ができた人は、私の言うことを端からすべてメモしていた。百均の小さなメモ帳。ものすごく汚い字で、分類することもなく、ただひたすら順番に書いていた。その人のすごいのは、私が「前にも説明したかもしれませんが」と言うと、瞬時にそのページを開くことができたことだ。どこに何を書いたのか、書いていないのか、全部頭に入っていた。すぐに仕事を覚え、新しい知識もどんどん吸収し、どれだけ伸びるだろうと思っていたら、結婚してお相手の赴任先に付いていくためにあっさりと退職した。そんなもんだ。

ものすごく熱心にメモを取っていても、仕事に生かせない人もいる。
あまりに仕事を覚えてもらえないので、失礼ながらメモ帳を見せてもらったことがあった。それを見たときの衝撃は今でも覚えている。何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。確かに日本語が書いてある。でも、それを見ても何をどうしたらいいのかひとつもわからない。メモを取る能力以前の、もっと根本的な問題を感じた。
けっこう大きな職場も経験してきたようだけど、よく事故なく勤めたな、と思う。マニュアルをできるだけ簡略化して、必要最低限のさらにコアな部分をまとめたマニュアルのとおりに仕事をしてもらうようにした。そんな仕事は楽しくなかっただろう。でも事故が起きても困る。この人が在任していた時が一番しんどかった。何をどう工夫しても仕事が円滑に回ることはなかった。小さなミスは数えきれないくらいあった。そのために数えきれないくらい頭を下げた。でも、愛嬌があって憎めない感じもあり、いま思えばそれがその人の処世術だったのかもしれない。

過去にふたり、一切メモを取らない人がいた。
ひとりはたぶん映像記憶のできる人で、テスト勉強をしたことがない、と言っていた。見たものは全部頭にあるらしい。ウチみたいな弱小職場におらんでも、いくらでも活躍できそうな気がしたけど、いろんな意味で枠に収まらない(収まれない)人なんだろう。風のように去ってしまった。

もうひとりメモを取らなかった人は、取らないわけではなく、メモを取っている姿を見られたくないようだった。けっこう分厚いメモ帳、というかノートを持っていて、たくさん書き込まれていた。ただ、それを人前で開いているのを見たことがほとんどない。何か理由があるのだろう、その人なりの。ちらっと見えたメモはイラストがあったり、矢印で展開してあったりで、いかにもわかりやすそうだった。

若いうちはメモし損ねても記憶に残っているかもしれないけど、私なんかはもう駄目だ。3秒前のことさえも覚えていないので、メモは文字通り生命線だ。
でも、いま何について話されているのか大掴みしつつ、要点は何かを無意識のうちに判断できるようになったので、メモの量自体は少なくて済む。
何ごとも経験と訓練だ。年を取るのも悪くない。

今回の新人さんはふたりとも職場で走り書きのメモをして、家で清書してくるタイプ。ひとりはペーパーブランクス、ひとりは革の手帖を使っていて、こだわりが垣間見える。
百均のメモ帳だろうが、革の手帳だろうが、中身が大事なのは言うまでもない。


読んでくださってありがとうございます。よろしければコメントもお気軽にお願いいたします。