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【短編】 登山のご縁#4(一大決心)

大山さんは、26年も前のことを覚えておられるだろうか、ましてやご存命だろうか。


洋子は悩んだ挙句「溺れるものは藁をも掴む」の思いで、名刺に記された大和株式会社に電話をかけた。
すると『只今、おかけになった電話番号は現在使われておりません。プー、プー、プー』残念な音声が流れ、緊張の糸が切れた。

暫くして、インターネットで何か分かるかもしれないと『大和株式会社』を検索して調べた。
住所は違っていたが、同じ名前の会社が見つかり早速電話をした。
「大山勉社長さんの会社でしょうか」
「いえ、社長の名前は勉ではありません、どちら様でしょうか」若い女性の声は怪訝な口調だった。
「はい、川田と申します」
「どのような御用件でしょうか」
「間違ったようです、大変失礼致しました」
「大山勉は、会長です」
「そうですか、26年前、霧島の韓国岳で名刺を頂いた者です。もし、覚えておられたら是非お会いしたいのですが」
「申し伝えておきます」
「宜しくお願い致します」と言ったものの電話番号を伝えなかったため、半ば諦めて電話を切った。

着信記録を頼りに、大和株式会社から彼女に電話があったのは、それから2、3日してからだった。そして話が通じ、会長を訪ねることになった。

不安な気持ちで会長を訪ねると、矍鑠としておられた。

二人にお互いの顔の記憶はなかった。流れた時間もさる事ながら、韓国岳では、岩に横並びで腰掛け正面からの顔を殆ど見ていなかった。

洋子が、あの日の思い出を振り返りつつ現状を話すと、会長は意を汲んで下さった。袖振り合うも多少の縁だからと、大金を無利子無担保で当面の間、融資して下さることになった。彼女は溢れる涙を堪えながら、何度も頭を下げてお礼を言った。

恵麻はこの朗報を聞き、尚一層の勉学に励んだ。その努力の甲斐あって、東京の同じ系列大学の推薦入学の合格が決まった。
そして母は、借りた資金を元手に、新たな事業を始めようと暗中模索していた。

ある日、父を見かけたと知人から知らせが届いた。

髪結の亭主になっている筈の父が、東京の動物園で飼育係として働いているらしかった。
家を出てから僅か2カ月もしない内に女性と別れ、小さなアパートで一人暮らしをしているとの情報だった。金の切れ目が縁の切れ目か、あっさり捨てられたのだろう。

恵麻は、父を迎えに行った。
「パパ、みんなでやり直そうよ、きっとなんとかなる」
手を差し伸べ、助けて下さる方々がいることを懸命に話した。
「決して努力が足りなかった訳じゃない、ご時世よ。捨てる神あれば拾う神ありって、よく言うじゃない」

両親は、恵麻の説得でよりを戻し、父は、動物園で餌の拘りに気づきを得、世に自然栽培の作物を流通させようと閃いた。そして、お世話になった方々に恩返しをするために、人生をやり直す一大決心をした。

おわり

最後まで読んで頂きありがとうございます。40年程前、韓国岳登山で差し上げた、たった半分のみかんのお礼にと、名刺と『何か困ったことがあったら‥』とお言葉を頂いた際のエピソードを元に創作しました。他の実話も散りばめたので、少し泣けてきました。気に入っていただけたら幸いです。

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