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歴史は“繰り返す”から良くなる

 この時代がどう変わっていくのか?

 戦争が起きたり、元首相が暗殺されたり、物価が高くなったり…、様々な事案で不安な日々を過ごす人が多い。このまま世界は破滅するのだろうか?

 そんな時お薦めな考え方がある。

 「円環史観」。

 “歴史は繰り返す”と言った方が分かりやすいか。

 円環史観は時代が例え悪くなっても、再び良くなるという希望を与えてくれる。今までも、世界各地で国家の再生や革命(暴動や反乱ではない)を後押ししてきた。

 その提唱者には有名な人が多い。インドの仏陀、中国の司馬遷、ギリシャのプラトン、日本の頼山陽など。

 ここでは4人の円環史観を比較検証して、結局は同じ見方であることを結論づける。そして、現代の場合は何を行えば再生できるかを追加する。

 後編途中で有料とするが、各説を紹介する無料部分を知るだけでも十分に満足できる構成とした。

  1.仏陀の四劫
  2.司馬遷の夏殷周秦
  3.プラトンの政体循環論
  4.頼山陽の日本外史

1.仏陀の四劫

 仏教によれば、成劫(じょうごう)、住劫、壊劫(えごう)、空劫(くうごう)の4つの時間が繰り返されるという。
 人気漫画「孔子暗黒伝」(諸星大二郎)では、主人公の子供2人を左右に連れた仏陀がその話を説く場面があるので引用する。

 

2.司馬遷の循環論

 中国の歴史書「史記」の作者・司馬遷も、高祖本紀の巻末で政体循環論を述べている(赤い四角の箇所)。

  上の文を図表化し、右側にはそこから類推される現代風の表現を追加した。

 司馬遷は夏→殷→周の政体が繰り返されるとしつつも、周の次の秦が“文に文を重ねて”刑法を過酷にした失敗を指摘した。これも現代に多く、事故や事件の再発防止を講じるに当たり、通常業務やルールを“文に文を重ねる”ようにするため業務の円滑さを失い、更に複雑化したため人々を息苦しくさせている。

 だから漢の劉邦は有名な“法三章”を掲げ、秦の苛法を変易した。

横山光輝著「項羽と劉邦」より

 後述するが、現代の我々も劉邦のこの姿勢を見習って、無駄な法、無駄な歳出、等々に思い切って踏み込まなければならない。

3.プラトンの政体循環論

 ギリシャの著名な哲学者・プラトンも、著書「国家」や「政治家」の中で政体循環論を説いてる。ウィキペディアから貼り付ける。

 最後の民主制を日本で言うところの“下剋上”と解釈すると、下の実力ある者が上にかわって王になるため循環する。

  その王が制度を改めた後に貴族制となり、やがて制度が古びて募頭制による改革、それも失敗してまた下剋上の民主制へ。

4.頼山陽の循環史観

 幕末のベストセラー「日本外史」も、水戸光圀著「大日本史」の直線史観に対して循環史観と言われる。

  著者・頼山陽は、源氏や平氏、足利氏、新田氏、織田氏等と家別に構成したから、現代の日本史の教科書も鎌倉時代や室町時代、江戸時代というように編集されたという。

 当時絶対視された徳川氏も、他の家と同等に並べたため幕末の若者たちは幕府とて絶対なものではないと相対化に目覚め、強く倒幕に影響した。

 現代も、絶対視が強過ぎて変えるべきことや変えられることまで諦めている節がある。

 まずは日本史がどう循環してきたか振り返ってみよう。

 このスライドは作成した当時の小泉政権で終わっているが、次の第1次安倍内閣から政権交代を経て第2次安倍政権、そして今の菅・岸田政権まではどう解釈するべきだろうか?

5.各時代は同じパターン

 そういえば日本史は、なぜか藤原摂関も北条執権も足利・徳川将軍も、そして自民党単独政権時の首相も、15代の宮澤喜一で終わっていた。

 そして、初代は“オオモノ”が多いことは当然として、2代目が目立たず、3代目で“基本制度”ができて(北条泰時や徳川家光)、5代目で安定(徳川綱吉や佐藤栄作)、8代目でターニングポイント(北条時宗や足利義政、徳川吉宗)、11代目で後半一番の盛り上がりが起きた後(藤原道長や中曽根康弘)、“コツブ”化して15代目で終わる(足利義昭や徳川慶喜)パターンになっている。

 それを「変革→制度→文化→改革」と4つの季節にまとめてみた。

 循環する原因は、15という数字よりも、サブタイトルの通り制度疲労ではいかと思われる。

6.各説は同じパターン

 いよいよ、上記1~4の説を統合していきたい。そして7にて現代の捉え方につなげていく。

 ここから有料とするが、誰でも肯定的に考えると同じ結論に行き着くと思う。(循環そのものを否定する見方は別として)

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