幼少期の記憶

エッセイという舞台に立つと決めたからには、これを読む人(本当にいるのかな?)に向けた自己紹介という名の自分語りを堂々としていくことにした。
書きたいことや、これで書けるかもな、みたいなテーマの種はパラパラとはあるのだけれど、まずは自分の人生を順番に振り返っていく。

自分のいちばん古い記憶について考えるきっかけに、5歳になる娘の存在がある。3歳過ぎから喋り始めて4歳になる頃には結構普通に言語によるコミュニケーションがとれてくるのだが、ふと「この子は今のことをこの先も覚えているかもしれないな。」と思った。自分の中の漠然とした幼い時の記憶ってよく考えたら4〜5歳くらいのもので、まさにこの子くらいの時だと気づいたのである。

幼稚園の入園式の日の朝に家の前で写真を撮った記憶がうっすらとある。幼稚園の門の前とかならわかるが、どうして家を出発した直後の玄関をバックに撮っているのかわからない。ひょっとしたらその写真を撮っていた父親にとっては自分の家と共に撮る子供の成長の記録というのが大事だったのかもしれない。家の前で撮る写真が嫌いだった記憶はないが、好きだった記憶もない。その写真を見ると、乗り気でないのか、眩しいのか、はたまた新しい門出に緊張しているのか、なんとも言えない表情をしている。

そんな幼稚園で今でも瞬間的に鮮明に覚えている出来事が2つある。ひとつは父親の流血事件と、もうひとつはタイヤのブランコ事件だ。

なぜだか覚えていないがその日は幼稚園を他の子達よりも早めに帰る日だったみたいで、珍しくスーツを着た父親迎えにきてくれていた。先生と別れて教室を出たあと、少し急いでいたのか一緒に園内を小走りで移動していた父親が「カーーーン」という撃たれたような音と共に仰向けに地面に倒れた。倒れ込むというより足を滑らしたような勢いで背中から地面に落ちたのである。何が起こったのかわからなかった。周りの子達も一斉に父親の方を見た。痛そうに立ちあがろうとしている父親の頭から血が出ている!出血だけでもショッキングなのにそれが自分の父親なら尚更である。幼稚園生にとっては到底届くはずもない高い高い天井の梁が飛び出したような場所に頭をぶつけて、その勢いでこけたようだった。先生たちが駆け寄ってきて救急車を呼んでくれたりしている中で、僕は先生に抱かれてワンワン泣いていた。その後のことは何も覚えていないが、病院から帰ってきた父親の頭には果物のようにネットが被せられていた。

保育園での人気の遊具の一つに、タイヤのブランコがあった。タイヤの側面3点が鎖と繋がっていて地面と平行になるようにぶら下げられ、タイヤの穴にお尻を入れて乗るとくるくると回転するちょっと変わった1人用ブランコだった。これもなぜだか覚えていないがその人気の遊具を1人で占有して遊べるタイミングがあった。嬉しくなった僕は意気揚々とそのタイヤのブランコを漕ぎ、もっと勢いをつけるために立ち漕ぎをしようとタイヤの上に立ち上がった。タイヤを上から見た時に正三角形となる頂点でタイヤと鎖は繋がれているのでうまくバランスを取るためにはその三角形を跨ぐような形で足を置かなければいけないことは今では簡単にわかるが、当時の僕は三角形の底辺側に両足を置いてすくっと立ち上がったのだ。いや、正確には立ち上がることすらできなかったかもしれない。バランスを崩した僕は振り子となっているブランコの動きも相まって、吸い付くようにびたーんと顔面から地面に落ちた。痛い!泣き虫だった僕は当然声をあげて泣こうと体勢を上げたが、後ろから乗り手のいなくなったブランコのタイヤが後頭部を直撃した。ガクンっとした後ろからの衝撃に驚いて振り返り、理解できぬまま前に視線を戻したその時に今度は顔面にそのタイヤをモロにくらった。

この二つの出来事は映像として脳に残っているのだが、その映像の視点は1人称ではない気がする。起きたことは紛れもない事実のはずだが、何度も思い出しているうちに色々と都合よく出来上がった記憶になっているのかもしれない。

この幼稚園での出来事を思い出しているうちにもうひとつ記憶が蘇ったことがある。幼稚園の校庭で朝礼のような集まりがあり、みんなが列を作りかけている時に先頭にいた僕は三角コーンを足に挟んで前後に揺れて遊びふざけていた。そして目の前にいた先生のおっぱいをふざけたふりをして半ば確信的に触りにいった。ただ触ったというよりかは突いたと言ったほうが多分正確だと思う。子供が勢いの加減をするはずもないので、おそらく結構な勢いで突いてしまったのだろう。先生が一瞬顔を歪ませたあとに保育園の先生として怒った顔で僕を叱った。その一瞬見せた先生の本当に嫌そうな表情から僕は「ダメなことをしてしまった!」ということを瞬時に理解し反省したが、同時に恥ずかしさも込み上げていたので敢えてヘラヘラと対応していたと思う。あの一瞬の先生の表情に興奮を覚えるような変態の素質が当時の自分にはなくて本当に良かったなと今思っている。

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