自転車旅とルンペン飲み【エッセイ】

人生の中で、自転車旅ほど素晴らしいものはないと思う。
南米を三ヶ月、アフリカを三ヶ月、あとは日本はぶらぶらと二週間ほどの旅を何度かしてきた。

どうして自転車旅とは面白いのか。
そんなこと書こうと思うと、途方もなくて書ききれないだろうし、野暮な結論に終わる気がする。
旅の日々について興味のある人は、noteにも載せている小説「ウツとアフリカ 阿呆自転車」を読んで頂ければと思う。

自転車旅と通ずるものにルンペン飲みがあると思っている。
ルンペン飲みというのは、コンビニで酒を買ってぶらぶらと飲む。歩きながらも飲むし、疲れたら、その辺に座り込んで飲む。
理想的なのは、紙パックの鬼殺しだが、まあ、ビールでも良い。土日よりも平日の方が理想的だが、昼間であれば良い。
時期については、梅雨明けのうだるような暑さが良いんじゃなかろうか。ビールがごくごく飲めるような。日陰を探しながら歩くような。
あるいは5月の風が爽やかな日でも良かろうし、真冬で缶ピールを持つ手が冷たくて千切れるんじゃないかって日でも良い。どうにも寒くて小さい銭湯に入ったら、刺青の入ったおじさんと二人きりになったりとかね。

とはいえ、やはり模範は西成の本物のおじさんたちだ。
もはや、美味いとも不味いとも分からない、路上でワンカップがサマになる。青空眺めながらチビチビ飲み続ける。
西成で千円のドヤに泊まって、朝からワンカップを飲むと楽しい。出来れば、おじさんたちの座っている並びに一緒に腰掛けるなり、寝転んで飲むと、より良いんだろうけど、やっぱり本物にならないとそれは出来ないから、歩きながらチビチビ飲む。
ただ、実際になってみたいとは思わない。
一週間だけとか限定なら良いなとは思う。
文字通り命を削って飲む酒だし、ずっとそうなっちゃうとやっぱり美味しくなくなってしまうのだろう。
美味しいとも不味いとも感じず、ただ青空眺めて酒をなめるというのが究極なんだろうけれど、そこには到達できそうもない。

それこそ、自転車旅をしていた頃に、本当のホームレスさんに、宿を借りたことがある。
岐阜の道の駅で、そこは車上生活者が多くて問題になっていたんだけど。
そうとは知らずに野宿しようと行った。
当時は今よりは割と道の駅での野宿って寛大な時代で、自転車でふらふら旅していたら、道の駅でよく寝ていた。
その日もテント張って寝ようかなと思っていたら、
「あんちゃん、寒いからさ、こっちの車で寝れば良いよ」
って話になった。真冬の寒い時期だったからね。
「え、これ、おじさんの車ですか?」
行くとボロいハイエースがあった。後ろを開けると後部座席はなくて、ダンボールが敷かれている。
「いや、誰のものでもないんだけど、ずっとここにあるんだよ。誰か寝たいやつがいたら自由に使っているような感じ」
そんな車あるのかと思った。
柳田邦男の書いている船上生活者のいる時代じゃあるまいし、それも道の駅で車が落ちてるって、そんなことあるのか。
「酒好きかい?」
「はあ、好きです」
それで、おじさんの酒を飲ませてもらうことになった。
焼酎のラベルにはここ一番と書かれていて、ホームレスのおじさんが持っていると何とも面白かった。とくとくとプラスチックのカップに注いで渡してくれる。生ビール用の大きいカップだった。
タバコに火を付けると、酒の代わりにタバコ頂戴と言うのであげた。
おじさんは、車で生活している。
子どももいるというようなことを話していた。もちろん、子どもはすでに独り立ちしていて、車にはいない。
助手席の方には奥さんらしい人が先に眠っていた。
仕事はしているそうだ。
生ビールサイズのカップを一杯、ストレートで焼酎を飲むと酔って目が回った。
テントを設営するのも難儀で。寝袋だけ出して例のハイエースで眠った。
ハイエースがそのまま出発して、森に連れ去られて困ったことになるんだけど、酒が回ってどうにも動けなくて、穴に埋められる夢を見た。
起きると少し頭は痛かったが、何より寒かった。テントって意外と暖かい。狭いので熱と湿度がこもる。ハイエースはそうはいかない。凍死しなくて良かった。
お礼を言おうと思ったけれど、もう出発して車はなかった。
別に何を話したわけでもないんだけど、随分と楽しく飲んだ記憶だけある。

他にも大道芸の練習をしていたら、ホームレスさんからビールをしこたまご馳走になったこともある。
風呂にも入っていないらしい、汚くてくさい人だったが、ビールはコンビニで袋いっぱい買ってきてくれて、駅の広場の人通りの少ない影に座り込んで、大道芸の練習しながら楽しく飲んだ。

自転車旅はホームレスとは違う。
ちゃんと旅費も貯めるし、きちんと計画して装備も積むし、何だかんだで毎日走るのは体力的にもそこそこハードだ。
だけど、今夜寝る場所もきちんと決まっていなくて、見知らぬ土地のどこかで野宿するのは何とも楽しい。

どうしてルンペン飲みやホームレスさんとお酒を飲むことと、自転車旅にどこか通ずるものがあると感じるんだか、正直なところ、自分でも分からない。
無責任さなんだろうか。
全部手放した気楽さとでも言うのか。
そりゃ、ただのモラトリアムじゃないの?と思うかもしれないけど。
いや、どちらかというと、安倍公房の「箱男」なんかの方が近い気がする。

もちろん、クリーンな自転車好きとして、冒険の旅への野心とか、そういうのも無いことも無いんだけど。
何というか自転車旅の泥臭さというか、浮世離れした感じというか、そんなのが好きなんだろう。
それにしたって、ルンペン飲みと自転車旅は随分とかけ離れているんだけど、不思議と通じるものがあると感じる。

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