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狭い世界の中の生き方

今日のいいたいこと:世の中は狭い世界の中でしか通用しないことで争っている


先日、ある方と話をしていて”絵の世界には画力によって差別化されている”という話があった。

画力が上の人が神扱いされていて画力の低い人は人間扱いされない

とのことです。

その方は画力の上の人に人間性まで否定されて悔しい思いをしたと話してました。

そんなことはあるんですかね。


まあその人だけの体験かもしれませんが、そういう画力カーストがあるのだとその人はいうのです。


私はこの話をされたときに、嫌なことを思い出しました。

それはセールスマンの世界の中で起こる営業成績によるカースト制度です。

セールスマンの職場では営業成績でランク分けされて成績が良ければ神様扱い、悪ければひどい扱いをされる職場があります。

その会社はブラック企業扱いされまして、今はそのようなことはありませんが、セールスの世界にはそういうカースト制度みたいなものは確かにあったのです。

私の勤めていた会社もそんな会社でした。

成績上位は海外旅行、底辺は毎日叱責され研修と言う名のいじめをうける。

そんな会社でした。

さすがに営業成績上位者がやっているやり口が新聞で叩かれ、営業停止になったりして現在はそういうことをやらなくなりましたが、おそらくカースト制度というのは慣習として残っているはずです。


サルの世界の名残



私思うのですがそういうものはサルの世界にもありまして、サルは常にマウンティングという相手の上にのって優位性を確かめることをするそうです。

結局それと同じことをカーストという名でやっている。

スクールカーストなども同じで結局順列をつけてあの人より私の方がましだと安心したいだけで他人を貶めて自分が安心するというだけのものかなと思うのです。

そこにいじめとか発生するのでどうしようもないのですが、安心したいという欲望が引き起こすもので、人間が社会を形成するためには必要なんでしょうね。

こう考えると実にくだらない。

でもよく考えるとどの世界にもあるんです。


だからそんなもの人と比較するから勝手に思い込む心理的な罠で、評価する基準を狭いものではなく、もっと幅広くすればいいし、相対基準から絶対基準にすればいいんじゃないかとも思うんですけど。

まあこんなことを社会では言うだけ無駄なので絶対いいませんけど(おそらく社会でそのまんまストレートに言うと一発で異端視されます)
そんなことばかり考えます。

人間様がいつまでもサルの世界と同じことをしてていいのか?

マウンティングをとってくる人に気がついたらその人の近くから離れりゃいいかなと思うんです。

まずめんどくさいだけだからね。

自分が言ってることがサルのマウンティングと何も変わらないことを恥ずかしくもなくやっているんですよ。

気がつかなきゃ言ってる本人が一生恥ずかしいだけと思ってればいいのかなと思うんです。

カーストなんて、はよ世の中からなくなりゃいいのにと思うんですけどなくならないですよね 

社会になじむというのはそういう根本的なことを知りながらも人と付き合わなきゃならないので辛いことなのかと思います。

「それでも夜は明ける」という2014年アカデミー賞を受賞した映画の中で女性奴隷同士のけんかで「あの子より私の方が綿花を摘むのが上手いのよ!」という一言が私とても印象に残ってます。

奴隷にはその価値観しかないんだな。

狭い世界の中ではその価値観で世界が成り立っているんだと可哀そうに思えて仕方なかった。

でも私たちは社会の中で綿花を早く摘めるのよと自慢したら恥ずかしいでしょ?


それと同じことを狭く閉じた世界ではやってしまうのです。

なんかカーストを見るといつもそんなことを思ってしまいますという話でした。


それでは今日はこの辺で

それじゃまたね

さいごに


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