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妻の存在。夫婦、家族、距離感について思うこと。

月のようで太陽のような存在。
全く違うが両面ある。合わせてひとつ。

振り返ると全ては繋がっていると気づく。
当時はできなかった見方。
新しい見方は妻の新たな側面を発見する。

彼女がいなければ私が見れなかった景色。
捉えられなかった感情。

彼女も私といたことで見ることができた景色。捉えられた感情もあるのだろう。

選択と決断の連続。
人生の転換点を共に過ごしてきた仲間。
何度も助けられてきた。感謝。

私や私の家族で妻を縛っていた。
それは私が妻を都合の良いように使ってきたのだろう。それはもうおしまい。

お互いの尊重し合える距離感を探している。

妻のやりたい事が見つかった。
「自由に表現すること」

絵を描く。創作をする。
初めて3月に個展を開く事を決めた。
やったことのないチャレンジをしている。
身近にいて刺激をくれる人。

自遊自在
地球を表現しているそうだ

彼女が彼女である事を純粋に応援したい。
私は私のままでいい。

私の人生を変えるキーパーソンの1人。
大切な存在であり器の大きい人。
私には持っていない感性を持っている。

自己成長するために必要な人。
今は個々で活躍できるように
〝内なる私〟を探している仲間でもある。

私が26歳の時に出会った。
今振り返ると良く行ったなと思う。
面倒なことは苦手な私。
自分で自分を褒めたい。

ライブを2つハシゴして観にいっていなければ、そして会社の先輩にライブがあると言われていなければ出会っていなかった人。
行ったからこそ出会えた人。

私の好きなバンド「夜のストレンジャーズ」のライブがあった。当時の私もバンドをやっており、ドラムの友達と一緒に見に行った。どういう流れだったか忘れた。別のライブハウスで先輩のライブを観に行くことになった。妻もバンドしており出演していた。

そこで出会った。妻の演奏は観ていない。
共通の知人がいて紹介してくれた。
そして連絡先を交換した。

連絡先を交換してから週末によく2人でご飯に行った。最初から話しやすかったわけではない。第一印象はどこかツンと人を寄せつけない雰囲気。キツイ印象の人。怒っているのかな?と思った事もある。

ハッキリした目鼻。
あまり喋らないところが人を寄せつけないように感じさせたのだろう。それでも会ったのは魅力があったのだろう。会う回数が増える度に惹かれていく。

何に惹かれたのだろうか?
私が無理をしなくて良い人だった。
一緒にいても無理しなくて良かった。
楽な空気感を彼女は纏っていた。

ただ私で居ることが許されたような感覚。
心地良さ。

妻もバンドをやっており共通の話ができた。

私は飲み会、コンパが好きではなかった。
お酒はほぼ飲めない。
私は話が得意ではなく、
世の中の流行りに興味がない。
上辺だけの話ができない。

つまらない時は〝つまらない〟が顔に出てしまうタイプ。

言葉とは裏腹な表情が顔に書いてある私。あの当時の私は行きたくないと正直に断れなかった。今なら行きたいなら行く。行きたくないなら行きたくない。行かないと言える。

誘われて行きたくないのに「いいよ」と言いながら顔には〝本当は行きたくないけどね〟と書いてあるのが当時の私だったのだと思う。

嫌われるのが怖かったから。行きたくないのに行く行為の方が失礼だと今なら分かる。

当時を振り返ると自分で自分を馬鹿にもしていたのだろう。女性が苦手で自信のなかった私。だからモテるわけはなく、どうしていいのかが分からなかった。付き合うまでに1ヶ月以上かかった。

断られるのも怖かったのだと思う。だから何度もご飯に行って2人の距離を縮めたのだと思う。

付き合って1ヶ月ちょっとでプロポーズした。OKをもらった時はとても嬉しかった。

プロポーズをしたと友達に話すと舞い上がっている時はそんなもんだ。早いよと言われたが翌年結婚した。結婚して16年経つ。妻を選んだ自分の勘は間違ってなかったと思う。

プロポーズを決めた理由はじいちゃん、ばあちゃんにとても優しく話す妻を見ていいなと感じたからとても嬉しかったのを覚えている。

4人姉妹の3番目。妻にも同じようなじいちゃん、ばあちゃんがいた。私は長男。上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる友達を羨ましく思っていた。妻と結婚した事で姉ができ、願いは叶った。

私の家族と3世代同居をした。結婚前、マリッジブルーになっていた妻を思い出した。同居が嫌だったのだと今なら分かる。当時の私は妻の気持ちを分かっていなかった。そして理解していなかった。

私は私の育った家族しか知らない。じいちゃん、ばあちゃん、両親の姿を見て育った。家族とはみんな仲良く、一緒にいるものだ。そういうものだと思い込んでいた。

結婚して翌年、娘ができる。娘がいなければ離婚していたのかもしれないと後に知る。妻は私の家族という狭い世界に閉じ込められていたのだ。だれも妻に厳しくしたわけではない。両親は自分の娘のように扱うと話した。それでも嫌だと思えば嫌なのだろう。

それぞれ性格の違う人間が狭い場所に集まればストレスは溜まる。私も大学時代に家族と離れ、独り暮らしをした時には快適さを覚えた。外から入ってきた妻は特にしんどかったと思う。離れた今なら分かる。距離感が近すぎた。身近な人ほど距離感が重要なのだ。

私には気づく時間が必要だったのだ。

娘がお腹にいた時、妻のつわりは酷かった。酷かったおかげで実家へ早く帰ることができた。身体と心は繋がっている。心が悲鳴をあげていたのだろう。

娘が産まれて里帰りしている間、私は妻の実家に毎日通った。2人に会いたかったのだ。その甲斐あってか元気になった妻は娘を連れ、戻ってきてくれた。しかし根本は変わっていなかった。戻ってきても妻は苦しかったと思う。

一度決めた事を変える事への抵抗があった。世間体。両親への申し訳なさ。変な思い込みであった。思い込みを手放してみると何もなかった。自分で作った幻想と知る。私ではない何かに囚われていた。

今は実家を離れ、アパートを経て自分の家を持ち、私の家族4人で暮らしている。離れることで両親とも心地良い距離感を保っている。それぞれが楽になった。彼女の問題に見えて私の問題であった。私も家を出るために彼女の存在が必要だったのだ。時間が経った今やっと気づく。


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