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あいちトリエンナーレ考2 公金がアートに必要な理由

公金=税金でなぜ現代アートの展覧会をひらく必要があるのか、わたしの意見です。それぞれ見解があると思うので、それぞれ、ぞれぞれに、ちぽちぽに。


税金を文化に使うのはそもそも当たり前のことではないことも再確認した上で、公権力や資本家や強者と癒著しない展覧会を開くためにこそ、公金が必要でそれは社会に有用であるからです。

アーティストは、お金持ちのパトロン見つけろとか自分の資産でやれ、となると、ハイソサエティーのプレイヤーばかりのハイソのための閉じた世界になりまする。だから内容に口は出さない公金という資金は現代アートには必要な経路なのです。そしてその成果は社会の階層を超えあらゆる人びとに還元される(よう目指す)。

少数派や資産のない人や政権とのコネクションをもたない人など、あらゆるこの世界に存在する人に向けて、放つのが目的だからです。そしてもっと言えば、今現在だけではなく、時を超えて未来と過去へも届けるのだと思います。

ところで、なのですが。

いわゆる純文学(文芸誌)も、市場原理からすればとっくに廃業部門なのだけど、出版社が芸術振興として黒字部門から資金を回す経路で踏ん張ってくれています。ただ市場を回していらっしゃる漫画家の先生たちや売れっこのエンタメの作家さんたちが、自分たちが稼いだ資金を偉そうにしているくせに稼がない純文学(文芸誌)に回すな、と主張したと仮定して、

純文学作家たちが、その人たちと出版社へ、

「検閲やめろ」「文化を殺すな」と上から目線で抗議したら、おたんこなすだと思ってみたり。
市場原理からすれば、殺すなもなにも、元々息してないでしょ…死体のために黒字部門が長年資金調達してるんだが…となる。
文学は、一見役立たずだけれど、市場と癒着しない必要があって、そしてあらゆる階層や人種や性別を超えた、この世界のすべての人びとのためにあるもので、もしくはこの世界のすべての人びとのためにならないもので、文学の成果は資本家や公権力や強者におもねない形で社会と人びとに還元されてゆく。

だから、純文学側は、謎の権威主義を振りかざさないで、資金の回路をたたれようとした時は、「市場と無関係の資金の経路を確保して(くだせ〜、お願いしますだ〜)。間接的に人類にたぶん貢献しているんです。そしてこの余白こそに人間が人間であるための豊かさと条件がかかっているのです」と言うしかないように思う。


文化庁、文科相は、普通に洞察すれば、明らかに政治的な意味であいトレに補助金を出さないとしているけど、手続きや運営にミスがあったのなら別の問題としてアウト。なぜなら日本は法治国家だから。ただし、手続き上の不備をつくというカードを切ったのはポイント(さすが東大法卒のゴリゴリインテリ官僚軍団をバックに従えているだけある)。

ですから、いまのことろは、あいトレは手続きを透明化させないとわたしたち外部は判断できないというパラレルにいるのです。

ただ一般的には、赤字部門が資金を得る際に、高みから「アート舐めんな」「検閲やめろ」とスポンサーに言っていたら、おま、お金をもらっている分際で、それは非常識クレーマーでは…と思う人はいると思うのです。

なぜなら公金で制作などをするのは決して一般的ではないから。


いろいろ、再確認して、文化庁の発表の撤回を目指し、そして、アートフォビアが拡散しないようがんばろ、今後公金での展覧会が縮小しないよう、社会と真剣に正直に向き合おうーーー!えいえいおーーーー!(ひとりきりでおたけび)


そんな感じです。ちぽちぽ。


映像編集の途中でパソコンがダウンして、パソコンがダウンしない異世界への転生を考え中です。



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