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目を覚まさないで

もうすぐ30歳になる。

未だに大学の同期たちが、TwitterやFacebookなどのSNSに自撮り写真を投稿している。

7、8年前まで僕も同じようなことをしていたのだが、恥ずかしくなってやめた。

では何故恥ずかしくなったのか?

同期たちの自撮り写真の投稿がイタイと感じるようになったことがきっかけだ。

確かに写真の同期たちはカッコよかった(可愛かった)。
しかし、実物は全くカッコよく(可愛く)なかったのだ。

そのギャップにやられた。

見ているこっちが恥ずかしくなった。


それとほぼ同時に嫌な予感もした。

あれ?もしかして僕もそう思われてる!?

僕は加工をしたことはない。だが、写真や鏡に向ける顔はおそらくキメ顔だろう。
無意識のうちにキメちゃっているはずだ。
通常の自分とは大きく異なる可能性がある。

そう思った僕は、できるだけ通常の顔をカメラに向け、自撮りをした。

※自分の顔が見えないよう、内カメではなく、外カメを使った。

その写真を確認すると、やはりSNSに投稿していた写真の顔とは大きく異なっていた。

本当の自分は全くカッコよくなかったのである。

その後、写真付きの投稿を全て削除した。


『目が覚める』という感覚をそのとき初めて味わった。


SNSへの投稿をやめてから間もなく、僕は初めての彼女ができた。

これまで20年以上モテてこなかった僕が、初めて女性に好かれたのである。

そのときにようやく気付くことができた。

『容姿の悪い男たちには、自分の格好悪さを自覚し、それを真に受け入れたときに初めて、僅かにモテる可能性が生ずる』

ということに。


誰にでも憧れの人はいるだろう。
その人みたいになりたい!と思い、その人の真似をしたくなる気持ちもわかる。
実際、僕もしばらくの間、憧れの人を演じるように生きていた。
しかし、演じている自分と本当の自分との間に大きなギャップが生じている場合、却ってイタイやつになる。
無理をして演じることになるからだ。
自分磨きは重要なことではあるが、他人の丸コピをすれば良いという話ではない。
自分の容姿やキャラ、強みや弱みときちんと向かい合い、どこをどう伸ばしていけばカッコよくなれるのか?分析することが大切なのである。
そのためにはまず、目を覚ます必要があったのだ。


同期たちには自撮り写真の投稿を続けてもらいたい。
それをやめてしまったら、どこか遠くへ行ってしまったような気持ちになりそうだから。

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