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#055 批判するから問題児!?

 6年生の国語の教科書に「笑うから楽しい」(中村真著)が載っている。「楽しいから笑う」と考えがちだが、「笑うから楽しくなる」こともできるため、嫌なときは意識して笑顔を作っていこうというこの話が私は好きである。そして、普段からこのことを心に刻んで生活している。そんな中、ある中学校の生徒指導主事と話した内容が心に残ったためのまとめることにした。

中学校の生徒指導主事の話

 中学校の生徒指導主事が「小学校から問題児として引き継いだ児童の多くは、6年の担任が嫌いで、その教師の悪口ばかり言っている。」と言っていた。6年の担任が、小中の引き継ぎで伝える問題児の問題行動は多かったり大きかったりする。そこで、その児童を批判するように伝えていてしまう教師が多い。もちろん事実を伝える必要はあるが、「この先生(6年担任)は、児童(問題児)が扱いにくい子として苦労し嫌いだったのだろうな。」という感情が滲み出ていると言っていた。そんな先生の元で問題児として扱われた児童は、中学に進学し「6年の担任が嫌いだった。」という。
 非常に難しいと思った。確かに、問題行動や課題を正しく伝える必要はある。しかし、そこに「嫌い」という感情が生まれてしまうことは教育上マイナスである。問題児だからこそ、他の子以上に「嫌い」ではなく「好き(愛情)」を届ける必要があると思った。 

批判するから問題児?

 その話を聞いて、わたしが思い出したのが6年生の国語の教科書「笑うから楽しい」である。「笑う」から「楽しい」ので、「笑う」ことを大切にしている。では、この問題児に対する扱いはどうだろうか。生徒指導主事の話を聞いて「批判する」から「問題児」になっているのと思った。問題行動は、事実としてある行動である。そこで子供を批判すると「問題児」になってしまう。
「問題行動を起こしてしまったが、『良い子(愛される子)』」ではなく、「問題行動を起こし、批判された『問題児(悪い子)』」とされてしまっては子供は荒れて当然である。子供も教師も多種多様で常に馬が合うことはない。そのため、児童に嫌われることはある。しかし、子供に「私の先生は、私のことが『嫌い』なのだ。」と思わせてしまっては、教育上マイナスになってしまう。そして、そうさせないのが教育のプロである教師だと思う。

行為を責めて、人を認める

 私が問題行動対応でいつも心がけていることがある。それは「行為を責めて、人は認める」ということである。問題行動という行為(事実)は、いけないこと・許されないことであることを毅然とした態度で指導する。一方、その行為に至った背景や自ら反省している姿を認め、理解を示すようにしている。褒められることがなくても「〇〇したくなるくらいに怒れたのだね。」と伝えたり、指導の際に「一連の自分の行動を振り返って、あなたはどう思う?」と気付きを促したりするようにしている。指導というよりは、本人の根底にある思いや気付きを引き出すための交通整理をしているイメージだ。

まとめ

 今回は、生徒指導に関わる件で中学校の生徒指導主事と話した時に気づいたことをまとめてみた。私の指導が全てだと思わないし、私も多くの子供を傷つけ嫌われてきたと思う。特に若い頃は、自分の指導に盲信していた。しかし、常にリニューアルし、学び続けることで今の考えに至っている。子供に好かれたい訳ではない。しかし、子供を傷つけ拒絶された状態で、正しい教育が届くことはない。教師として、教え導くことを大切にしつつも子供の尊厳を守れる教師でいたいと思う。

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