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やる気は必要か


頑張ることは良いことだけれど


頑張ることは良いことだ。
自分のために頑張っているのなら、人にとやかく言われる筋合いはない。
しかし、頑張っても、それは長くは続かないのがわたくし。
何でもそうなんだろうが、一つのことを長年やり続けている人は尊敬に値する。
受験勉強を何年も続けられる人は、やっぱり成績が良い。
大抵の人は、一瞬だけやる気になるのは同じだが、やる気が長く続かない。
一夜漬けだから、成績が伸びない。
頭が悪いわけではないが、あきらめがやる気に先行するのだ。

やる気の問題

ここで問題が。
老後、やる気が必要なのか。
結論から先にいうと、老後に、やる気は必要とは言えない。
不必要とは言わないまでも、やる気はタンスにしまっておくほうが良い。

老年になって思うのは、やる気になってやったからと言って、何かが変わることはない。
経済だけのことを考えたら、やる気は役立つ。
例えば、年金が足りないので、働けばその分生活にゆとりは出る。
だからといって、生活自体の満足感が上がるかといえばそうではない。
ずっと考えてきたのは、資本主義社会ではやる気がないと経済的に上の方へ行けない。
要するに金持ちになれないと言うことだ。
でも、金持ちが幸せというわけではない。
金持ちが幸せになれないとしたら、別にやる気も必要ではない。
年金の額をいつも気にしている日本の空気は、資本主義社会の精神状態を反映していることになる。
禁句だが、資本主義社会の洗礼を受けた人間は、ついついやる気になって、金儲けのことを考える。

そろそろ、やる気の足を洗う時期が来ても良いはずだ

やる気があれば、何でもできそうだが。
反対に、やる気があると出来ないこともたくさんある。
例えば、のんびり過ごすには、やる気はいらない。
温泉に保養に行って、やる気を出したら、なんだか妙だ。
24時間戦っている戦闘モードのサラリーマンと同じだ。
老人になったと認めたら、やる気が不必要だと早く気づくべきだろう。
贅沢ないい暮らしを送りたいと考えること自体が。やる気丸出しだ。
いい車を乗り回したい、ゴルフ三昧の生活を送りたいも、同じようにやる気に振り回されている。

やる気の代わりに欲しい物

自然な気持ち。
例えば、自分の家の前の道がゴミで汚れていたら、自然に掃除の出来ること。
困っている人がいたら、自然に手を差し伸べられる。
そういう自然な振る舞いというのは、やる気からは程遠い。
老人というのは、本来成熟した人であるはずだ。
それだけ、人生でいろいろな体験をして経験が豊富なはずだが、実際はそうではない。
だからこそ、老後は、自分を見つめ直す時間を持つことが大切だ。
自分を見つめるというのは、反省をすることではない。
今の自分がこれからどう生きていくか、自分の未来の道を見つめ直すのだ。
惰性で生きていくのは面白くない。
どんなに歳をとっても、明日は新しい世界が待っている。
その世界を、味わうために、今の自分を見つめ直すのだ。
それは、生活の修正と言っていいかもしれないし、生活の工夫とも言える。
生活を慈しむ、それが日々を楽しくするし充実させる。
やる気は捨てて、自分の生活の足元を見たいものだ。

旗じいの話を飽きもせず聞いてくれてありがとう。

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