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ズボラとマメは紙一重

私は、自分のことをとてもズボラな人間だと思っている。
暇さえあれば、少しでも楽に生きられる道はないかと模索している。
とにかく、ダラダラとのんびりと暮らしたいのだ。
そんな環境を整えるためには、努力を惜しまない。
逆説的なようだけど。

戸棚にものを収納するときも、
出し入れのアクションをとにかく減らす工夫をする。
戸棚を開けて1アクション、さらに蓋付きの箱を出して2アクション、
蓋を開けて3アクション・・・。
蓋はいらないし、ひょっとすると箱自体必要ないのでは・・・。
こんな調子で、アクションの数を極限まで減らしていくと、
使った後、ものをしまうのが楽になる。
掃除はまとめてしようとすると、とても時間がかかる。
汚れはこびりつくと、ゴシゴシ擦らなければ取れなくなるから、
簡単に撫でるように拭くと、あっという間に取れる。
洗剤も少しでいいし、時間は大幅に短縮できるし、労力も少なくて済む。
だから、毎日掃除する。
一刻も早く余計なことは頭から取り去って、心からリラックスしたいものだから、
書類などの提出物や、支払いなどは光の速さで終わらせる。
無駄にしか思えない動作は、極力排除したい。

それもこれも、すべては
一刻も早く余計なことは頭から取り去って、
ソファでだらだらと読書したり、ドラマを見たり、昼寝をしたり、
そんなことをできるだけ早く長く、
心からリラックスして行うための準備と言ったらいいだろうか。

「すごくマメだね」
と、よく言われる。
・・・え!?
違うよ、ひたすら怠けるための準備を入念に行っているだけ。
だから、私はズボラの極みなんだよ。
でも、周りの人たちにはそう見えないらしい。
とてもフットワークが軽いように見えるらしい。
でもこれって、すごく不思議なことだ。
だって、本来甲斐甲斐しく動くのが好きなタイプではないし、
それをなるべくしないで済むように、
少しでもたくさんダラダラできるように環境を整える動作が、
他人にはマメに映っているなんて。

だから、ズボラとマメは、設定したゴールや見る角度によって、
対極に見えたり、同じに見えたり、
紙一重なのだと思った。

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