柳原はしご

一人飲みの日々に酔った頭で考えたことを、忘れないように書き留めています。 時々写真も。

柳原はしご

一人飲みの日々に酔った頭で考えたことを、忘れないように書き留めています。 時々写真も。

最近の記事

どこかに普通の街はあるのだろうか

普通の街に住みたいと最近強く思う。 今住んでいる街は東京都内でも地味な街で、それが何よりの良さだった。 ところが近年、意識高い系のバカ(失礼)が街づくりに乗り出してきて、自然発生的な街並みが人工的で気持ちの悪い姿に急速に変わりつつある。 そういう街を必要としている人たちもいるのかもしれないが、それは普通に人が暮らす街とは言えないと思う。 それで、引越しするべきか悩んでいる。 防災対策を強化するような街づくりはもちろん歓迎だ。 私が嫌悪しているのは、「人が集う街」などのキャッ

    • 最近の乃木坂46、というか山下美月のこと

      山下美月のことは今まで特に何とも思っていなかったけれど、「チャンスは平等」のMVの顔を見て考えが少し変わった。 彼女すごいね。 このMVで彼女はとてもいい顔をしている。 まるで何かを達観したような。 できればこの新曲は3期生だけで演じてほしかった。 4期生や5期生をノイズに感じてしまうくらい、3期生の存在感が充満していた。 サイクルの早い世代交代がアイドル界の常だとしたら、4期生や5期生の卒業もそんなに先ではないわけで、なんか諸行無常だなあ。 橋本奈々未が卒業して7年か

      • この世の極意

        目の前に座る女子が、口の横にご飯粒を付けている。 いいなあ、うん、いいよ、美しい。 整い過ぎたものに魅力を感じなくなったのは、いつ頃からだったろうか。 たとえば、カラオケで音程がピッタリ合った歌声を聞いたとき、 たとえば、細部に至るまで計算された文章を読んだとき、 たとえば、隙のないメイクを施した彫刻みたいな姿形を見たとき、 感動とは程遠い、むしろ嫌悪に近い感情が湧いてきた。 不完全な状態やいびつな形が非常に尊いものに感じられる。 なぜその状態に心を動かされるのかうまく

        • 強さと美しさについて思う

          自然界における強さは美しい。 人間界において強いとはどういう状態なのだろうかといつも思ってきた。 他者を思いやる力は人間だけの強さだと信じてきたのだが、その考えは今や危うい。 動物の本能が見せる姿は美しいのに、それに比べたら人間が見せるあらゆる姿は醜悪すぎる。 本能が破壊されているのはしょうがないとして(それが人間である条件だから)、変態的な歪みをもっと奥深くに隠して、表面的にはスパッと真っ直ぐな佇まいでいられないものだろうか。 それが文明というものだと思うのだが。 そ

        どこかに普通の街はあるのだろうか

          今年最後の酒を飲みながら

          私たちは今までとは違う世界の前夜にいる。 ここ数年持ち続けてきたその感覚は今も変わっていない。 自然界、人間界を問わず、どう考えても今までとは違う場所に向かっているように思えてならない。 変化は数十年単位の時間軸になるだろうから、もしそうなら不安定な時代が数十年続くわけだ。 そんな状況に私は耐えられるのか考えると、たぶん耐えられないと思う。 どうすればいいのか。 目の前の小さなことに楽しみを見つけて、日々のささやかな幸せを積み重ねていくしかない。 いつだって大切なのは目

          今年最後の酒を飲みながら

          すべてが繰り返されている。目の前も、周りも、過去も

          私が話す言葉は、いつか誰かが話した言葉かもしれない。 おそらくこの世界は、すべてが繰り返されている。 だからオリジナリティが無いことを嘆いてもしょうがない。 オリジナルなものを求めるならば、ビッグバンまで遡らないといけないだろう。 そんなことは誰にもできない。 そして言葉だけでなくこの実体としての身体も、過去のどこかで、あるいは未来のどこかで、物体としてまったく同じ状態で存在していた、あるいは存在するかもしれない。 無限に近い時間があれば、この宇宙では原子や分子のどんな組み

          すべてが繰り返されている。目の前も、周りも、過去も

          鎌倉(由比ヶ浜)シーキャッスルのこと

          1年前に閉店したことをさっき知った。 異国の地に根を張り、決して媚びることなく65年間続いてきた硬派な店が閉店していた。 初めて店を訪れたのは学生時代だった。 ちょうど今くらいの季節だったから、もう海辺には人もまばらで、午後の店内には他にお客はいなかった。 当時つきあっていた人が由比ヶ浜を好きで、よく2人で海辺に行ったのだが、店に関する情報は何も持たないまま、ある日何気なくドアを開けた。 彼女は酒を飲めず、私だけがビールを頼んだ。 マダムは彼女にスープをすすめたけれど一

          鎌倉(由比ヶ浜)シーキャッスルのこと

          業態はカラオケの無いスナックだった

          9年前に店を閉めた酒場の元ママから電話があった。 かつては毎晩顔を合わせていた人だ。 私のことをふと思い出したそうで、ありがたいことだと思う。 元ママは82歳になる。 半身に軽い麻痺があるが毎日酒を飲み、月に一度は外で飲み歩いているらしい。 あの頃、ママは私のカウンセラーだった。 その店と出会わなかったら、私の人生はだいぶ違ったものになっていたはずだ。 いろんな人がいて、いろんな事があった。 店の最終日、歴史の歯車が回る音を聞きながら、ひなたの名残を飲み干した。 ゆりかご

          業態はカラオケの無いスナックだった

          ワインは熟成する。人生も同じであってほしい。

          かつて、職場の近くにあったフランス料理店にいつも一人でふらりと行っていた。 普通の居酒屋にも一人で行ってはいたが、まともなレストランで一人過ごす時間があの頃の私には必要だった。 ところがそのレストランは、次第に予約なしでは座れない店になり、その後、予約することさえ困難な店になってしまった。 そして私はそれを機にフランス料理店そのものから遠ざかっていった。 他の店では代替が効かない。 その店でなければいけない何かがあったし、だから満ち足りた時間を過ごせた。 時々その時間を

          ワインは熟成する。人生も同じであってほしい。

          アイドルが背負っているものとか、オジサン達とか

          乃木坂46の初期の曲「Tender days」の位置づけがよくわからなかった。 いい曲なのだが、なぜ乃木坂46が? 学生運動、ジョーン・バエズというワードに今時の誰が反応するのだ? 年齢的に多彩なファン層の中で、ある年代に向けた曲なのかもしれないが、あえて50代以上の人たちに向けて歌う意味がわからなかった。 最近、公式ライバル『僕が見たかった青空』を見ていたら気付いたのだが、女子アイドルを本当に必要としている人達は、アイドルと同年代の若者達だけではなく、夢破れて疲れきっ

          アイドルが背負っているものとか、オジサン達とか

          あの頃の痕跡〜郷里の町で〜

          久しぶりに帰省して郷里の町をあちこち歩いてみると、かつて好きだった人の家があった場所には、見慣れない景色が広がっていた。 その人の家が昔のままそこにあったところで、どうするわけでもないのだが。 東京だけでなく日本中が変わってしまった。 私が子供だった数十年前、町のそこかしこには戊辰戦争の痕跡がまだ残っていた。今もそれがあるのかわからない。 戊辰戦争が何かを知っている人も減っているだろうし、150年以上も前の出来事だ。 好きだった人の家の前には小さな川が流れていて、その川は

          あの頃の痕跡〜郷里の町で〜

          刺身を食べて思ったこと

          ずっとマグロの刺身で晩酌したかったのだが、スーパーで買って家まで帰る途中で、暑さで傷んでしまうのではないかと危惧して結局買えずにいた。 体感温度40℃以上の中を、時間をかけて生モノを持ち帰る勇気はなかった。 このところ少し気温も下がってきたので(それでも30℃は超えているが)、ついに買ってきた。 普通に酒を飲んで、普通にマグロを食べて、普通に満足した。 普通でいることがどれだけ貴重なことか。 ささやかな願いをかなえて、小さな幸せを積み重ねていく。 それが重要なのだと思

          刺身を食べて思ったこと

          きちんと秋が来るのだろうかと思う

          これだけ暑いと、今年の夏は出来事の思い出ではなくて、単なる気温の推移だけが記憶に残るようで、もうそれでいいけれど、それよりもきちんと秋は来るのだろうか。 気候だけではなくて、生活スタイルも変わってしまった。 私はコロナ禍以降のこの3年半、昼も夜も外食はしなかったので、外でかき氷を食べたり、生ビールを飲んだり、という夏の定番がなかった。 周りの人たちは以前の生活に戻ることばかり考えている。 私は戻るつもりはないので、今とても生きづらさを感じながら日々を過ごしている。 私に

          きちんと秋が来るのだろうかと思う

          現実の世界では今日も戦争

          今の戦争が始まった頃、ウクライナへの寄付を募る呼びかけが盛んだった。 寄付自体は否定しないが、自然災害の被害に対する寄付とは異なり、ロシアが戦争を仕掛けなかったら、そもそも寄付の必要も生じなかったのだ。 争い事は、我々のささやかな生活に対しても負担の増大を強いてくる。 そのことをマスコミはもっと発信してもよかったのにと、今も思っている。 世界中の人々を貧困と不幸にわざわざ導いている戦争がなぜ無くならないのかは、以下の三つのことが原因だと考えている。 前提 我々人間は本能が

          現実の世界では今日も戦争