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なんとかなるかもしれない

今日は遅めに起き、そして友達と散歩に出かけた。カラッと晴れた空の下、パン屋さんで買ったパンとチャイを片手に川沿いを歩く。山や海に行かなくても、それだけで心が満たされた。これで良かったんだ、と思った。満たされるという感覚が掴めたことに私は感動した。こんな朝が過ごせれば午後どのように過ごしても良い休日だと言える気がした。

午後、兄に会い、美味しいピザ屋さんに連れて行ってくれた。正直兄と何を話すのだろう、と思っていた。理系脳の兄には私のこのウネウネした気持ちにまっすぐ喝を入れられるかもしれない。でもそれで視野が広がれば良いとも思っていた。

そしたら違った。うんうん、と話を聞いては、私を責めないよう言葉を選んで色んな選択肢を提案してくれた。私の考えがどれくらい萎縮して、自分を抑制していたか気付かされるようだった。

今日は夜行バスで実家に帰る日。兄とは別れて夜行バスまで時間を潰すつもりだった。でもなんか話足りない気がして、暇なら付き合ってよと言って一緒に時間を潰してもらったのだ。夕飯もご馳走になって、私は色々なことを話した。長ったらしい話だったと思う。でも聞いてくれた。

ふと休職になってからの日々を思い返した。どの日として一人ではなかった。心配してくれて、でも無理に励まさず、無理に同情せず私の気持ちに寄り添ってくれる人が周りにいたのだ。それをもっと仕事をしている時も自覚していれば、元気を持続できたかもしれない。いや、それはわからないけど、意外と孤独ではなかったのだ。

正直リクルートのエージェントと話していても、やっぱり自分の進路を心から考え、寄り添ってくれていると思えなかった。人には甘えられない、自分しか決めれない、と殻に篭り始めていた所だった。

意外とどうにかなるかもしれない。ならなくても一旦一人じゃない。そういう考えは長らく私にはなかった。当たり前のことかもしれないけど、私は頑なだった。もしかしたらどうにかなるかもしれない。

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