どれくらい大喜利
思いを言語化することは、とても大切だ。
自分の気持ちを整理する上で必要であり、
対人関係においても役立つ。
「なんか」「なんとなく」といった
ぼんやりとした伝わりづらい感情の機微も、
日頃から意識して語彙を増やすことで
少しずつ豊かなアウトプットに繋げられる。
その考え方をもとに、
育児をする上でも意識はしているのだが…
「ちゃーちゃん、だいすきだよ。
ねえ、ちゃーちゃんはわたしのこと
どれくらい好き?」
どのくらい、のバリエーション問題。
子どもがまだ1、2歳の頃は、
彼女たちが知っている大きな動物に例えたり、
その動物の個数を積み上げてみたり、
家の端から端まで走り「こーーーーーーーーーのくらい!!!」と言って愛を伝えた。
毎度同じにならないよう記憶しながら、反応がいい例えを見極めていく。
キャッキャと喜んでくれる姿が可愛らしかった。
しかし、子どもは成長する。
興味が広がると内なる概念もどんどん大きくなり
親への“どのくらい”のハードルも高くなる。
いつのまにか彼女たちは、数字の大小を知り、また目に見えないものも想像して感じられるようになっていった。
恐竜や地球の誕生、自然科学…
今や興味は古代や宇宙にまで拡大している。
「恐竜が生まれるよりもさらに1億2千万年前からずっとずっとだいすきだよ。
ちゃーちゃんは?」
長女の愛が時空を超えている。
「ちゃーちゃん、ちきゅう34こぶんくらいだいすきだよ。」
次女の愛が月に届いている。
動物でキャッキャ言っていた頃が遥か昔のようだ。
「「ねーえ、ちゃーちゃんは?」」
は、母はねぇ…
「137億年前、ビッグバンで地球が生まれる頃からあなたたちのことが好きで好きでたまらなかったよ!あ、ビッグバンっていうのはね…
「知ってる。ねえ、ほかの惑星も地球といっしょにできたの?」
「…ど、どうかな。宇宙の本で一緒に調べようか」
思いの丈を伝えるにも、
おたがいに知識の拡充がまだまだ必要なようだ。
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