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指先から父

亡き父との思い出は、指先に溢れている。

私がまだ小さい頃には、わざと父につんつんしていっては「ぱぱ、どいてよ〜」と構ってもらいにいったものだ。

父の職業がピアノの調律師であったことから、ピアノに触れる機会に恵まれ、兄が先にはじめたレッスンに憧れて私も習わせてもらった。
楽しい思いも悔しい思いもたくさんした。
先生とうまくいかず悩んだ時もあった。
そんな時、隣の職場で事務作業をする父の姿にホッとしたし、ピアノを調律する姿は本当にかっこよかった。
普段おちゃらけている父とはまったく違う真剣な姿。
正確に、うつくしい音域に戻っていく音色。
いつもこんなかっこいいパパだったらいいのに、と幼い私が素直な気持ちを綴った文章が、某新聞の子どもの気持ちの記事に採用され、親戚筋で大笑いになったのもいい思い出だ。


父はタバコもお酒もパチンコも嗜んでいた。
隙あらばパチンコを弾きに行き、たいてい「惜しかった、いいところまでいったんだけどなぁ」なんてこぼしながら帰ってくるのだが、たまに流行りのCDを景品として持ち帰ってくることや、多めに勝った時には行き当たりばったりの家族旅行に繰り出すこともあった。
宿も行き先も決めずに、とりあえず走り出す。
流れてくるラジオの情報にのっかり、美味しいものを食べに行ったり、宿が取れなかった時は車中泊したり、自由気ままでそれはそれでおもしろかった。
タバコは値上げの風もあり、いつのまにか禁煙に成功していたが、お酒はずっと楽しんでいた。
大人になって、同じつまみをつつきながら、どうでもいい話をポツポツ話す時間も好きだった。



私の思春期には、あまり口を出してこなかった父が苦言を口にするようになった。
時代も時代で、頬を叩かれたこともあった。
ああいえばこういうだった私は我が強く、父も手を焼いたことだろう。
それもいつしか立場が逆転し、大学受験の際の進路を真剣にこちらがプレゼンしているのに、携帯片手に聞いていた父は、私にこっぴどく説教された。



父のがんが発覚した時、私は結婚して別の世帯にいた。
中々子宝に恵まれず手を尽くしていた最中、父の厳しい余命宣告は、私の焦りを加速させた。
父に私の子を抱いてもらいたい。みせてあげたいという気持ち以上に、将来覚えていなくてもいいから、私の子に父を感じてもらいたかった。



父の手術の日。
担当医が父のお腹を開いてみたものの、すでに浸潤や転移が進んでおり、打つ手なくまもなくお腹が閉じられた。
父自ら調べて、依頼して執刀してもらった名医だった。事前に手術の説明は受けていたため、すぐに帰ってきた麻酔で眠っている父をみて、一同泣き崩れた。
あまりに早すぎる帰還。目が覚めた時、父も察しがついていた。
なんて声をかけたらいいのだろう。
時に言葉は、無力だ。
誰もが一言めを躊躇った。
私はふと、布団からはみ出した父の痩せた脚に目をやった。
気づいたら無意識に、父の少し冷えた足をあたためながらマッサージしていた。
なにか労わりたい思いが突き動かしたのだろう。

「あったかいなぁ。きもちいい」

父とは数え切れないくらい言葉を交わしてきたはずだが、後にも先にもこれ以上に嬉しく、また切なかった言葉はなかった。


完治は叶わずとも、父はありとあらゆる手段をとって、少しでも長く先の未来をみるために奮闘してくれた。
標準治療を続けながら、自分で調べていいと思ったものは何でも取り入れた。当時まだ始まったばかりで、一部の適合患者しか使えないオブジーボも自ら主治医に掛け合い、適合するか検査した上で治療にこぎつけた。中には信憑性はあやしい民間療法にも手を出していたが、治療を続ける上で、心の支えになるのならばと家族一同黙認した。
なんだ、ゲームや動画のスクロールばかりやってると思っていたら、ちゃんと有意義に携帯使ってるじゃんか。高校生の頃の私に教えてあげたくなった。


そんな最中、私に長女が生まれた。
父はとてつもなく可愛がってくれた。
抱っこしたり、果物をたくさん与えたり、
入院中でも売店で絵本を買ってくれたりした。
食べられるものが急速に少なくなった父とは対照的に、長女はごはんも果物も本当によく食べた。
ニコニココロコロ嬉しそうに食べる長女をみて、
父は本当にやさしい眼差しで「〇〇ちゃんみてるとお腹いっぱいになるわ」と微笑んでいた。
長女が父の何よりの励みだった。
私は一生長女に足向けして寝られない。


父の最後の望みだった、長女と手を繋いで歩くこと。
あと一歩及ばなかったが、その翌月には長女は「じーじ」と話すようになり、少しするとたどたどしくも歩けるようになった。
きっと見届けるまで父は近くにいたことだろう。
「惜しかったなぁ、もうちょいだったのに」という声すら聞こえそうだった。


落ち込む母のそばで、諸々の手続きを済ませるためにしばらく長女と実家に留まった。
契約やカードの関係を整理するべく、父の携帯を拝借していた時だ。
調べ物をするのにインターネットで検索しようとすると、検索窓に検索履歴が表示された。

「ろうらくだんにょ」
「ぜいいんみとう」

なんのことかわからなかった。
そして、ふっと父の癖を思い出した。
こ、これはもしや、いつもの“言いまつがい“じゃないか…

一瞬で謎が解け、たまらず吹き出した。
なに?と怪訝な顔をした母に、
肩を震わせながら私は説明した。
打っても漢字変換できず、
父は自分の聞こえている通りにひらがな打ちして言葉を確かめていたのだろう。
おそらく、
「老若男女」
「前人未到」
と言いたかったに違いない。

「お、おしかったねぇ…くくっ…」
「いや、どこがよ!全員が未踏ってただの未開の地だからね?」

母と私は涙を流して、笑った。
父が最後に指先から笑いをのこしていった。
幼い長女が、不思議そうにこちらをみていた。

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