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親から虐待を受けた子どもは人生終わるのか⑦


児童養護施設に入ったら人生は終わったと子どもは思う

 彼は現在大学受験勉強をしながら、週に1回一時保護所(虐待、置去り、非行などの理由により子どもを一時的に保護するための施設)のボランティアに行き、社会的養護のアフターケアを知れるプラットフォームのサイトを作るアルバイトをしている。
ボランティアの内容を聞くにあたり“子どもアドボカシー”の説明をしてくれた。初めて耳にする言葉だ。
 子どもアドボカシーとは、子どもの声にならない声を聞く、弁護するサポートだ。
一時保護所では、同じ空間で生活しているのに子ども同士での会話禁止としている施設もあるそう。(個人情報の関係で、だそうだ。納得できる説明をいつか聞きたいものだ)
彼がボランティアをしている施設はそんなルールはないが、子どもたちは施設の先生には話しづらいことも多い。先生との会話は記録として残り、大人たちに共有される。それに抵抗を覚える子もいるようだ。

 因みに私が養護施設に入っていた時は共有されているなんて知らなかった。子どもに気取られない配慮を施設職員の方がしていたのか、私が鈍感な子どもだったのかは分からないが。
 彼は遊びや運動を通して信頼関係を少しずつ形成していき、子どもが彼に話をしたいという意思表示があったとき子どもの話を傾聴する。
子どもたち皆とは言えないかもしれないが、気軽な関係というポジションの人間がいるのは子どもにとっては安全地帯になり得ると思う。
彼はここでボランティアを1年以上続けている。

「社会的養護を受けたら人生終わり。って思っている子どもたち、全然居る」
 私も児童養護施設に入所した時は似たような感情にかられた記憶がある。自分の感情整理に一杯一杯で、未来を考える余裕がなくなる。そのうち、根拠もなく自分の未来は暗いものだと決めつけた。
 大人になり一児の親となった今、子どもが「自分の人生終わり」と言っているのを想像すると胸に重いものを押し付けられた気持ちになる。鼻から息を少し吐き、涙が出るのを耐える時の癖で左下の唇を噛んでいた。

 社会的養護に悪いイメージがついているのは、認知できていないことが原因にあると彼は言う。
 児童養護施設への募金のポスターを見たことがあるだろうか。公園に一人ポツンと立っている子どもの写真を一例としてあげる。
この写真を見て同情心“可哀想”から多くのお金は集まるだろう。だが社会的養護=可哀想のイメージを同時に植え付ける結果になっているのを彼は懸念している。

この例えには私も頷いた。
 駅前でたまに見る子どもたちの募金活動なんて私は違和感しか感じない。勿論自らやっている素晴らしい子ども達もいると思う。だが、とてもそういう表情ではない子がいると感じるのは私だけだろうか。
 可哀想、助けてあげようという感情を利用した活動には本質を失う可能性があるのではないだろうか。なによりそれを受ける当事者達が希望していない結果になってしまっていないか。少なくとも目の前にいる彼は希望していない結果になっていると発言している。
 それに、もしもの話だが“自分は可哀想な人間だ”と思う人を量産してしまっているとしたら、それはまさしく社会の損失だ。幸せから遠ざかる行為だからだ。

 彼はアルバイトで、児童養護施設を退所後のアフターケアが調べやすくするサイトを作っている。
アフターケアは多岐に渡り、授業料減免、給付型奨学金支援、住居支援、就労支援、母子生活支援等がある。これらの情報を、どんな環境で育った人間でも“知っているのが当たり前”までの認知度にできたらと彼は言う。
 物凄く難しいことだが、彼は自分を知ってもらうことで、社会的養護に対しての認識のフィルターを薄くしたいのだ。

フィルターを薄くするとは当たり前の文化に変化をもたらすことだ。
亭主関白、男子厨房に入るべからず、同性愛、骨身を削り会社に尽くす、特攻隊員だった祖父は自分こそ国のために死にに行きたいと何回も叫んだ。
文化に変化をもたらすことは何年何十年とかかることだが、時代とともに変化していっているものがあるのも事実なのだから無理だと断言するのは早計だろう。
自分が消えた時には変わっているかもしれない。

 彼は冷静に淡々と自分の考えを述べていたが、眼差しの奥にそっと秘めている強いものも感じた。自分が行うべきことが明確に定まっているのだろう。
彼は大学生になりその後、何者になっていくのだろう。



さいごに

 私は現在親から暴力を受けている人や、親の支配から抜け出せていない人に彼の方法や考えを説き勧める気は全くない。
ただ、何万人といる暴力を受けた人の中の一人の青年は、こうして親・暴力の呪縛から抜け、自分の人生の舵取りを始めた。
 彼は決して可哀想がられたくて私の質問に答えてくれたわけではない。
自分を知ってもらうことでフィルターを薄くしたいのだ。
彼の幼少期は自分で何かを選択する機会は少なかっただろう。その数少ない機会を取りこぼさず考え続け選択した。
 私は自分が足踏みしていると気がついた時、私の人生は私のものだと強く思うことで思考をクリアにしていく。そんなことは普通だと思う人もいるだろう。だが私は「“普通”とされるものが何か私には欠けていて、欠けていることすら気づかずに生きている可能性があると認識すべき」という考えが根本にある。だからこの普通の思考でも私は念入りに考える。
 それが理由なのか分からないが、彼が自分で人生の舵取りを始めた経緯を聞いていくうちに、嬉しい感情が湧いてきたような気がした。
 いつか死ぬその時までにあと何回舵を切れるか分からないのに、自分の船に不要な人間を乗せたり、ましてや舵を握らせるなんて笑止千万だ。

 彼を見て、社会的養護を受けた人間は人生が終わるわけではないという証明になってくれたら嬉しい。

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