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誰かのせいにしたかった。

最近、自責傾向の強い若者が増えていると聞く。政府統計では15~39歳が若年層とされているらしいので今年39歳の僕もギリ若者だ。40代へのカウントダウンが聞こえる時期になってやっとわかってきたことがある。それは僕はずっと誰かのせいにしたかったのだということだ。

内向的な性格であることも他人からの頼みごとに嫌だと言えないこと、ゲイであることも田舎の長男であることもすべて自分で抱え込んでしまった。それは大きな間違いだったのだとようやく気付いたのだ。

思えば親への反抗期のない子供だった。親にとってはやさしい問題ない息子のように見えたと思う。しかし、社会に出ていく段階でこれまで隠せていた問題が徐々に確実に噴出してきた。仕事を転々としてみたり半引きこもりになってみたり。

いわゆるいい子だったのにいわゆる不良にも負ける人生。それもまたコンプレックスになっていった。他人にはできることが自分にはできない。自分が悪いのだ、自分が足りないのだと。

自責の反対は他責。誰かのせいにする。他責は見苦しいことだと教えられてきたような気がする。直接的に言葉でそう教わったわけではないのになぜだろう。他人に迷惑をかけないという日本らしい不文律のせいだろうか。今の本当の若者は20年ぐらい前から幅を利かせている自己責任論の影響もありよりつらいのではないかと思っている。

自分がいい子であるように親もいい親であったと思う。近所の人の悪口は言っていたが、基本的に悪い行動は何もなかったし、少なくとも子供にとってはいい親の面しか見せなかった。毒親などと言われるが良親の害ももしかしたらあるのではないかと最近よく考えている。

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