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同じ窓辺の外【掌編小説】

※3,109字数。
  本作品はフィクションです。


―来年はもう死んでるかもしれないから。
 私は、阿佐子に初めて同窓会に参加する理由をこう答えた。来月60歳になる私は、死に至る病を抱えているわけでは無い。ただ、去年の12月に職場の同い年の女性が立て続けにコロナワクチンの後遺症で亡くなり、死ぬことが今までより身近な存在になっていた。
 コロナなんかで、絶対に死にたくないー。夜通しずっと私は睡眠中にうなされた。夢の中で彷徨い苦しんだ挙げ句、急にハタと目が覚めた。ちょうどその朝に、阿佐子からLINEがあった。
 ー還暦までに、一度参加して欲しい
 私は、同窓会に参加することを決心した。

 同窓会は、どこにでもありそうな小さな居酒屋が貸し切り状態になっていた。お店の名前は【邂逅】と書いてあった。ほとんど誰が誰だか分からなかった。同級生以外が参加しているのではないかと思うぐらい、私の記憶は酷く、年配の店員を同級生と間違えるほどだった。私が自らの中学時代を思い出したくないのと同じぐらい、声を掛けられても3人目ぐらいから面影を思い出したくなくなっていた。男女比は半々で50人くらいが参加していた。
 実際に参加してみると、今日来て良かったと実感したことは一瞬たりとも無かった。孫自慢や夫の職業自慢など、独身の私には縁の無い話題ばかり。聴きたくもないレゲエソングを延々と聴かされているようだった。しかも、決して安くはない5千円という参加費まで払って。
 「裕美子は、いわゆる、おひとり様だっけ?」
 阿佐子がノー天気に確認を入れてきた。中学生の孫が男子サッカーの県選抜になった自慢話が一息ついた彼女は、アルコール臭をさせて尋ねてきた。私と違って、その場が楽しくて仕方がないのは確かだ。ポカンと口を開けたままの私は、慌てて「うん。そう」と全く気の無い返事をした。
 阿佐子は突然、隣の島にいた松下一茂を手招きした。隣席に座らせるなり、私に向かい合わせた。一体、何が始まるのか。阿佐子は彼の一体何なんだろう。 
 「はい一茂。去年12月に定年退職翌日に熟年離婚!」
 勢いよく言うなり、一瞬、静まり返り、直後に拍手喝采が起こった。そうかこんな苦労話を知らないのは私一人なんだな。みんな、普段からグループLINEやSNSで繋がっている。不幸の蜜を共有して、傷を舐め合っている間柄なのだ。私の知らないところで。
 「裕美子。一茂ってどう思う?」先ほどまで頬を赤く染めていた阿佐子は、真剣な眼差しで私に尋ねてきた。
 彼はスポーツ万能、確か高校は県内でも有数の進学校に進んだはず。品があって、スタイリッシュな雰囲気。中学時代の面影はうっすらと残っており、他の男性参加者に比べてひときわ若く見えた。私は心の中で本人が奥さんに見放された理由を考えていた。何かよほど愛想を尽かされる理由でもあるのか。不倫、DV、性格不一致、価値観の相違・・・、そもそも子供と孫はいるのか? 3年間クラスが同じだったとはいえ、「一茂君」と呼べるほど親しくは無いので「松下君」と呼ぶことにした。阿佐子がトイレに行った間に、私達は横並びで座った。松下君は小さなビールジョッキを持った手が震えている。ただ、目はしっかりと焦点が合っていた。
 「松屋・・・、裕美子さん?」何かを確かめるように、滔々と呼んできた。
 私はずっと、名字が変わっていない。強烈に心を抉る一言だった。そんなことはお構いなしに、松下君は更に踏み込んできた。
 「仕事は?」
 「趣味は?」
 「お付き合いしている人は?」
 「両親は、ご健在?」
 私は、松下君から受けた質問を的確に返していく。彼は話が上手だった。私の心を引き込むように、過去を包み込むように話を進めていった。私にも失恋した苦い経験だってある。気がつけば私は、30歳台後半に婚姻目前で破談になった過去をスラスラと話していた。
 突然、電話番号を書いた何かを私に差し出してきた。それは「株式会社グランプラ 代表取締役社長 松下一茂」と印字された名刺の裏に、携帯電話番号が殴り書きのように赤い字で書かれてあった。彼の心境は相当荒んでいたのかもしれない。

  別の島で飲んでいた阿佐子が戻ってきた。
 さらにアルコール臭はひどくなっている。
 「裕美子。どうだった一茂は?」私の肩に手を置いた阿佐子は(どうせ、一茂と何も無かったんだろう)という眼差しをした。
 (ここで阿佐子に本当のことを言えば、来年も同窓会に参加させられるかもしれない)私は思わず嘘をついた。
 「松下君、私なんかにはもったいないな」私は飲みたくもないビールを一口飲んだ。
 阿佐子は「あっ、そう・・・」とぶっきらぼうに言うなり、髪をかき上げる仕草をした。決して笑ってはいない目を湛えていた。
 「ゴメン、ゴメン。だから私ダメなのよ。こういう空間」私は心中で自らを蔑み、顔の前で両手を合わせて阿佐子に謝るポーズをした。
 「裕美子。ここ合コンじゃないから、自然体でいいのよ」まるで諭すように、優しく語りかける阿佐子を見るのがつらく悲しかった。私だって、来月還暦だけどいつまでもオンナでいたい。今日だって年齢に似つかわしくなくても、周りから何と言われようが、漆黒のワンピースに、グレーのブーツを穿いて勝負しにきている。髪も昨日美容院に行って白髪を薄茶色に染めた。普段使わないような高価なファンデーションで小皺を隠して、小綺麗に整えてきた。そんなこんなで、女としての幸せを掴む体制を整えてきたつもりだった。
 (あなたはだから幸せを掴めないのよ)阿佐子は言葉には出さなかったが、きっと心の中で叫んでいたに違いない。私と話す時に酒の量が多かったのは、憤る気持ちを直訳するのを我慢していたのだろうか。今日の同窓会は、私の生きかたそのものを考えさせられた。人間として、何か教訓を得たような気がした。
 「宴もたけなわではございますが、ここで中締めとさせて頂きます!」
 幹事である阿佐子は突然立ち上がった。私は、挨拶もそこそこに失礼することにした。誰一人として帰ろうとはしなかったが、私は空気を読むつもりはなかった。どうせ、別の独身男性と私とを無理矢理繋げようとする阿佐子の餌食になるか、幸せ自慢の聞き役しかならない。

 阿佐子に帰り際に挨拶をしようと思ったが、気が狂ったように大声で子供の学歴自慢をしており、私の声は到底届かなかった。逆に今日一度も話しをしなかった数人が諸手を振って、店の玄関で丁寧に見送ってくれた。最後まで阿佐子の姿はなかった。半世紀もの長きに渡る唯一の仲である阿佐子とはもう疎遠になるかもしれない。もしかすると、今生の別れになるかもしれない。阿佐子は親友だった。中学時代に仲良く手を繋いで下校した楽しい思い出を回想していた。
 吹きすさぶ1月初旬の寒さが店の扉から突然吹き抜けた。自己嫌悪の渦に私は飲み込まれそうだった。松下君の姿もあった。何とか目で追って見つけたものの、店の玄関付近で別の女性参加者と携帯電話片手に必死に連絡先交換をしていた。今日という日が第一期卒業生の学年同窓会だと気取っても、異性への下心の芽が舌に残る独身参加者には所詮出逢いの場でしかなかった。中学を卒業して以来、一度も同窓会に参加していなかった私は、卒業してからずっと同窓会の意味が理解出来ていなかった。だから、参加していなかったのだろう、きっと。来年参加することはないし、今日初めて参加した思い出は何も残らないだろう。ただ、財布に忍ばせた松下君の名刺だけは捨てずにしばらくは残るかもしれない。45年間も同窓会を忌避続けた私は阿佐子からその歳月分、軽蔑され続けていたことに帰る道すがらに気がついたのだった。

【了】



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