ぼくの白いおかあさん【掌編小説】
※2,626字数。
※本作品はフィクションです。
小学校時代の親友だったタケシ君のママは若くて美しい人だった。たしか23歳とかだったか。不思議と、鮮明に覚えている。目鼻や顔だちがはっきりした沖縄美人で、見た目は中学生くらいに見えた。小柄で、いつも白のエプロンを着ていた。僕にとっては初恋だった。
母親がいないせいかもしれなかった。あんなキレイなママがいたら毎日楽しいだろうなとか、授業参観で自慢するだろうなとか、そんなことを考えていた。
タケシに帰りがけに訊いたことがあった。
「あんなママがいたらワクワクしないか?」と。
「いや。うちの母ちゃん、怒るとマジ怖いから」
僕は羨ましそうに「タケシが怒られるから悪いんじゃないか。あんなにキレイで優しそうなのに。タケシママ。」
タケシはつまらなそうだった。
「ごめんごめん。僕に本当の母ちゃんがいないからかなあ」僕は思わず自虐的に言った。
「いてもいなくても、毎日一緒にいたら色んなことあるんじゃないか」タケシはえらく大人びたように視線の遥か先を見つめた。
ーー僕の新しい母ちゃんは、今日、うちにくる。
タケシに聞こえるように、ぼそっと言ってみた。軽い告白のようだったか。
「キヨシには、優しい母ちゃんだったらいいな・・・」親友は、いやタケシは優しく囁いた。
さっきまで聴いていた音楽のビートが急に緩くなったようだった。
僕は感傷的(ナイーブ)になっていたせいか、タケシを連れて帰りたいと思った。
自宅の前でタケシに祈るように手を振った。夕暮れの陽の光が眩しかった。
「明日、学校来いよ」
「ありがとう」
「新しい母ちゃん、美人だったらいいな」
「・・・」
「--えっ。うん」
「うん」
「また明日」
(キヨシには、優しい母ちゃんだったらいいな・・・)
【新しい母ちゃん、キヨシには優しい人だったらいいなーー。
新しい母ちゃん、優しい人だったらいいなーー。
新しい母ちゃん、人間だったらいいなーー。
新しい母ちゃんーー。
母ちゃん・・・。。僕の・・・。】
ボロアパートの階段を登る時、数分前にタケシから言われた言葉が変形を繰り返した。玄関の前では突如何かに吸い込まれて消えた。
ガチャ。
扉を開けたら、見知らぬ女性がスクッと立っていた。反射的にすぐに新しい母ちゃんだと理解できた。その反面、自分の中に受け入れるには時間がかかると直感した。
化粧がやたらと濃い、香水の匂い臭がひどい女性だった。
こちらを振り返るだけで、窓から吹き抜ける風が激しく鬱陶しく思えた。
「はじめまして。キヨシ君」
美人だ。いや、美魔女だ。
目元は薄黒色のチーク、口元にはほうれい線を隠すように厚化粧が施されていた。
「こんにちは。浅草 清詩(あさくさ きよし)と申します」
僕は普段使い慣れていない敬語を駆使して深々と頭を下げた。
「キヨシ、今日からこの人はお前の新しい母ちゃんなんだからな」
親父は分かりきっていることをすごく偉そうに言った。まるで、美人女性を連れてきたことをアピールでもしているかのように。
このオバサン、歳はいくつぐらいなんだろう、と考えている間に、彼女は何度もこちらをマジマジと見つめてきた。視線を感じつつ、ランドセルを部屋に置いた。
リビングに親父とそのオバサンと俺がテーブルを囲む。何かの鼎談でも始まるのかと思うぐらい一種の異様な雰囲気だった。
「キヨシ君、ガッコは楽しい?」
彼女は手を顎につけて舐めるように見つめている。ネットで見たことのある昭和のアイドルがするポーズだ。
「オバサン、いやお継母(かあ)さん、すごく楽しいです!」
こう言った僕に親父は間髪入れずに言った。
「おいキヨシ! オバサンは止めろ」
いかにも失礼と言わんばかりに言ってきた。そんな厳しい口調で言うのは珍しい。親父はよっぽど何かこの女に弱みを握られているのだろうか。いや、単なる体裁だったのか。
「いいのよ。キヨシ君。オバサンでも、おばちゃんでも」
おばさんは笑いながら僕の腕を軽く叩いた。やっぱり昭和生まれの人だ。平成ではない。
「私とキヨシ君だと親戚のオバサンと甥っ子だもんね」
おばさんはハハハっと変な高笑いをした。一気に顔が皺だらけになった。おばさんじゃなくて、まるで化粧おばけみたいだった。
おばさんは今日は夕ご飯を食べずに帰るらしい。
普段は銀行で働いているらしく、忙しいらしい。親父は給料が少ない上に博打が大好きだった。離婚した理由はそれだったのだ。二人が並ぶと余計に彼がヒモみたいに見えた。腹の出た細いヒモみたく。
「よしキヨシ君、おばさんと人生ゲームしようか」
おばさんは熱いお茶を一口飲むと僕にせがんで来た。やたらとグイグイ攻めてくる女性だった。
向かいに座る親父は目をキョロキョロした。次第にオドオドしはじめた。
「オレはいいや。二人でやって」
そう拒否する彼の目は本気だった。
よっぽど「ゲームみたいな人生」と揶揄されたくなかったのだろうか。いや、まだ誰も何も言っていないのに。
おばさんが親父を誘うとあっさりと参加を了承した。なーんだ、単に尻に敷かれているだけだった。そればかりか、やる気に満ちていた。
「おい、キヨシこの野郎。俺もやるぞ!」
ヒモみたいな親父は、年甲斐もなく、お笑い芸人みたく奇声を上げた。家中に響いた声におばさんはハイっと反応した。
変な夫婦になりそうだと思ったが、嫌な気持ちでは無かった。おばさんは先ほどよりも更に顔をシワクチャにして、ハハハっと笑った。クセ強の「オバサン笑い」は彼女が心を許した人だけに見せる個性みたいなものだろうか。僕はそれを見てつられるように笑った。人生を共に歩むことが出来るかもしれない、と僕は心からの声に耳を傾けていた。
翌朝タケシと登校時にバッタリ会った。
恐る恐る彼は話を向けて来た。
「キヨシ・・・。どうよ、新しい母ちゃんは?」
僕は不思議と満面の笑顔だった。
「うん。顔が真っ白で、40歳は超えていたけど、面白い人だったよ」
「面白い人? それなら良かった」
「お前のママほど若くはないけど【いい母】だと思う」
僕はこう言うと、タケシに羨望の眼差しを向けた。彼は思わずうつむいた。
「優しく、してくれそう?」
「ううん。まだ分からない」
「--分からないけど・・・また、会いたいと思う」
「そう思えたなら、良かった」タケシは一つ笑った。
「うん!」
僕はそう言うと、タケシママの純白で清楚なエプロン姿を思い浮かべていた。
【了】
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