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ミュージカル『DEVIL』における『ファウスト』の要素とは

はじめに


ミュージカル「DEVIL」大千秋楽おめでとうございます。
プレビュー版を拝見し、本公演を今かと待ち構えていましたが、プレビュー版とはまた違った演出、プレビュー版では披露されなかった楽曲、新しい訳詞など新たな発見がたくさんありました。
プレビュー版を拝見した時もゲーテの『ファウスト』をどこまで下敷きにしているか考察してみたのですが、今回の演出によって新たな発見も多かったので、個人的に少し整理してみようと思います。
なお、あくまで個人的な考察ですので、軽くお読みいただければ幸いです。

X-WhiteとX-Blackは何者か

これについては俳優さん達の解釈によって意味合いが違ってきそうですが、X-Blackが登場する際にバフォメットやアレクサンドル・カバネルによる絵画『堕天使』(大山真志さんがTwitterでも画像を使用していましたね)が映像演出として使われているため、少なくとも今回の公演では我々が一般的に悪魔として考えている存在と考えて良さそうです。
バフォメットとは山羊の頭を持つ悪魔として描かれますが、これは19世紀のフランスの魔術師であたエリファス・レヴィが描いたものが発端であるそうです。
なお、悪魔のイメージの中でフクロウの頭を持つ悪魔の絵が使われていましたが、あれはソラス(もしくはストラス)という名の悪魔で、フクロウやワタリガラスの姿で現れるとされています。ソロモン72柱であり、天文学と薬草の知識を与えてくれるとされていますが、悪魔として有名かといわれると微妙なのであのイラストをなぜ使用したのかは謎です。
X-Whiteについては『その名』という曲が表すようになんと呼んでも良い『救いの存在』という側面が強く、天使、神とも表現できそうですが、ゲーテの『ファウスト』ではグレートヘェンは神や聖母に対する祈りを欠かさず、彼女の祈りによってファウストは昇天します。
また、ファウストの昇天の場面では聖母がグレートヘェンを導き、ファウストが天に昇れるように助言しているため、X−Whiteは原作における聖母マリアのポジションなのかもしれません。

グレッチェンの祈りと狂気

「わたしはあなたのものでございます、神さま。お救いくださいまし。」(『ファウスト』手塚富雄訳より)
ゲーテのファウストではファウストと出会ったグレートヘェンは彼に恋をし、彼を家に招き入れるために彼からもらった睡眠薬を母に与えた事で母を死に追いやってしまいます。
また、兄の死(ファウストがグレートヘェンの兄とは知らずに兵士と争い彼を殺してしまった)や、自身がファウストの子を身籠ったことにより精神を病んでいきます。
追い詰められていくグレートヘェンが教会で呵責の霊に「罪と恥は隠し通せない」と責められる場面はまさに『DEVIL』における『Mad Gretchen』の前後の場面を彷彿とさせます。
グレートヘェンはファウストとの間に生まれた子を溺死させ、その罪によって刑死となりますが、牢屋で神に祈り続け、助けに来たファウストの手を振り払います。
グレッチェンが『種を宿す』と歌うとおり、もしかしたら『DEVIL』でも彼女はジョンの子を身籠ったのかもしれません。ただジョンはX-Blackの言葉に傾倒し、彼女は悪魔の存在を感知していたため、もしかしたら精神のバランスを崩す中で、ジョンではなく悪魔の子を宿した、その子を消し去ろうと自殺をはかったのでは…と思えてなりません。
演出の中でヘンリー・フューズリーの描いた『夢魔』が使われていましたが、グレッチェンとしては覚えのない悪魔の子を宿した=夢魔のイメージでこちらの絵画を使用したのではないかと。
また、『ファウスト』ではファウストとメフィストフェレスがワルプルギスの夜に行われるサバトに向かうためにグレートヘェンから離れ、その後に子殺しが起こります。そしてサバトの中でグレートヘェンに似た霊を見つけるのですが、『DEVIL』においてモーガン・プライス氏を自殺に追い込むこと、ジョンがワルプルギスへ向かったこと、絶望した表情でジョンがワルプルギスに向かった姿を見ているグレッチェン、そしてグレッチェンの狂気といった場面はこのあたりから着想を得ているのかと思われます。
モーガン・プライス氏についてはグレッチェンが恩人を蔑ろにするなどと指摘しており、これをきっかけにグレッチェンが追い詰められていくため、彼の存在はグレートヘェンの兄、ヴァレンティンに当たる設定なのではとも考えられるのではないでしょうか。
そして、グレートヘェンはどんなに狂気に落ちても神への祈りを欠かさず、最後はファウストの魂を導く存在として描かれています。
また、プレビュー公演でも今回の公演でもグレッチェンが聖母マリアを思わせる青いドレスを身に着けていたり、百合の花が歌詞に出てくるのも、グレートヘェンが聖母マリアの近くに仕える存在として描かれることにも繋がるような気がしますし、最後までジョンを愛し、X-Whiteにすがるグレッチェンの姿に重なっていきます。
花嫁という言葉も、原作では「花嫁の冠は引き裂かれた」と嘆き花嫁になれずに狂気の中で刑死したグレートヘェンを思わせます。
ちなみに劇中でアダムとイブの楽園追放が演出で使われており、歌詞の中でも双頭の蛇という風に蛇が登場しますが、『ファウスト』ではメフィストフェレスが「姪の蛇」と発言しておりイブを唆した蛇は彼の身内であったという設定になっています。

美しい存在とは、時を止めるとはどういう事か

「Verweile doch!Du bist so schön.」
『ファウスト』の中であまりにも有名なセリフがこちら「時よ止まれ、お前は美しい」だと思います。
『DEVIL』においてはグレッチェンを取り戻すための試練として「お前の時を止めろ」とX-Blackから提案されますが、これは『ファウスト』では契約の終了を意味する言葉として登場します。
「とまれ。お前は実に美しいからと言ったら、君はおれを鎖で縛りあげればいい。おれは喜んで滅びよう。葬いの鐘が鳴りわたって、君は従者の任務から解放される。時計はとまり、針がおちる。おれの一切は終わるのだ。」(『ファウスト』手塚富雄訳より)
ファウストの臨終の際にこの言葉を聞いたメフィストフェレスは彼の魂を地獄に連れて行こうとするもグレートヘェンの祈りにより彼の魂は昇天し、その姿は蝶に例えられます。『DEVIL』でもその翼で羽ばたけという風な歌詞が盛り込まれていましたが、ジョンとグレッチェンが日常に戻る姿は『ファウスト』のラストシーンに重なるハッピーエンドだと思います。
そしてX-Blackが契約条件として持ち出す『美しい存在』はジョンはグレッチェンのことだと解釈しましたが、原作での設定を考えるとこれはジョン自身のことを指すとも考えられるのではと思います。
すなわちジョンがグレッチェンを愛しく思っていること、彼女のためなら己の時を止めても構わない、その愛が損なわなければあの契約は成し遂げられないという図式でジョンとグレッチェンは日常に戻ったのかなと。
それを作用させたのは原作における聖母マリアの立場であるX-Whiteの存在だったのではとも解釈できそうです。グレートヘェンの愛があったからこそ、ファウストは救われたのですから。

おわりに

いかがだったでしょうか?
『ファウスト』自体も難解な物語とされており古今東西さまざまな解釈がされてきました。
『DEVIL』も役者さん達の解釈や演出、我々観客がさまざまに解釈できる物語だと思います。
あくまで個人の考察や感想なので、そういう見方もあるのかと皆様のご参考になれば幸いです。

参考文献

『ファウスト(ゲーテ著、手塚富雄訳)』
『怖い絵展(産経新聞社)』
『地獄の辞典(コラン・ド・プランシー著、床鍋剛彦訳)』
『悪魔と悪魔学の事典(ローズマリ・エレン グィリー著、金井美子訳)』

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