見出し画像

雑誌の未来に奇跡を起こす。 <その2>   始まりの始まりの始まり

どうしてnice things.のような雑誌が生まれたのですか?
最近、よく質問されます。でもなかなか短い時間では答えきれません。このことの本質を答えるにはすごく長い時間と言葉を費やさなければならないのです。ということで、このnoteには制限がないようですので、少しずつ時間をかけながらお伝えしていきます。

nice things.は自分で生み出した媒体ですが、号を重ねていくうちにある時、「生み出したのと違う、どちらかというと出会った、という感覚がしっくりくる」ことに気付いたんです。それと、遠い記憶やどこか自分の奥底に沈んでいたものを呼び起こしてくれるような感覚や、それに自分自身にとって何が大切かを教えてくれるような、そんなことを作るたびに感じるようになりました。

雑誌の世界に飛び込む前は、物書きになろうと思っていたんです。22歳の夏の終わり秋の始まりごろに九州から東京に出てきました。作家になりたいというより、書きたいものがあるから書く、ということだったのです。昼間はバイトをして、夜な夜な書いて。ワープロもパソコンも普及してない時でしたから、原稿用紙に書いていくわけです。上京して半年ぐらい経った時に、ようやく書き上げました。
書き上げるまでは、出版社に売り込むことを夢想していました。でもどういうわけか、書き終えたことで満足したのです。その原稿は、知り合いの人に無理やり押し付けるように渡してしまいました。コピーも取らなかったので、原稿は手元から完全になくなりました。少なくとも半年の間、書き続け、東京にも来るきっかけになったものをどうして深い付き合いでもない知り合いに渡したのか、はっきりとした理由はわかりませんが、ただ誰かに読んでほしかったのだと思います。
そのとき自己完結できるものは、書きたい時に書けばいい、食べるために無理に書くことはできない、職業的物書きにはなれないし、なりたくなかったんだと思います。物書きに対する自分の気持ちはそこで収まったのですが、一方、「なぜ、東京に来たんだ?」っていうことが残りました。その答えはなかなか見つからず東京での日々が過ぎていきます。
農家の長男として生まれ育ち、実家に帰るべきはずの人間が微かな夢を追いかけて東京に来てしまった「どうする?」、すぐには答えなどわからずバイトに明け暮れる日々が続きます。このままでは九州に帰れない、そんな思いで東京にしがみついていました。あるとき、東京に来た理由を探すうちに、ひとつの方向が浮かび上がってきました。東京だからできる仕事として出版がありそれに携わり、自己完結でなく、複数の人間でしか作れないものを作ろう。活字の世界で、それができるのが雑誌だと思ったのです。

画像1

雑誌を作るとなると、出版社に入るしかありません。その時は1980年代で、今よりはるかに出版社への就職は困難で、編集者は憧れの仕事の一つでした。中途採用の募集があったとしても、高い倍率でした。履歴書を送るも連絡はなく、書類選考で何度も落とされてました。書類を送ったところで同じことの繰り返しが続きます。なので考えを変えました。「こんな雑誌を作りたい」ということをまとめて(今にして思えば企画書のレベルにもなってなかったはずです)、直接出版社に電話をかけてまずは会ってもらおうとしました。いきなり電話しても、どこの馬の骨ともわからない人間と会ってくれるはずはなく、門前払いの状況が続きました。ならば出版社以外にもあたろうということで、当時は大きな編集プロダクションがいくつもあったので連絡してみました。そのうちの1社が会ってくれることになり、某月某日の某時間にどこどこに来るように言われて行ってみると、大きな会場には200人はいようかというほどの人が集まっていました。書類選考後の筆記試験の会場に呼ばれていたのです。「自分は筆記試験を受けに来たのではない、作りたい雑誌の企画書を持ってきているので、そちらを見てほしい」と担当の人に話をするも、「まずは試験を受けてそれを通過してからです」、との返事。試験の点数が5点や10点違ってなんの意味がある?それよりも編集者募集なのだから雑誌の企画内容に意味があるはずだ、っていう気持ちで結局試験をせずに会場を後にしました。
それからまた出版社を当たり続け、ようやく1社面接してくれるところが見つかりました。ところが、その担当者曰く「雑誌の企画は面白いけどね、編集の経験もないし、うちの会社は〇〇大学のような都内の有力大学の出身者ばかりなんだよ」、というよくわからない理由で程よく断られました。
当時、社会的な認知度や給与の良さから、文系学生のみならず大手出版社は人気企業でした。高い志で出版界に入ろうという人ばかりではなく、商社や銀行、証券会社などと同様の位置付けで就職活動している人たちもたくさんいました、
かつてこの業界の黎明期においては、自由と平等、主義主張、対権力、文芸や文化を大事にする、など出版をする思想や考えを持って新聞社や出版社が設立されました。でも、時を経て企業化していくなかで創業の時の大切なものは消え失せ、採用においても個を見るわけではなく、学校名や試験の結果などで重視されていくようになったのです。写真週刊誌も出始め、なりふり構わず売れることが至上命題になっていきます。その頃は、どこの業界もそうですが、1番手が開拓した市場に2番手として参入するような後追い出版が増えていき、特に雑誌はビジネスの手段にすぎなくなっていきました。

ここまで読んでみて、だんだん脱線しているように感じるかもしれません。「こんな話のどこがnice things.の誕生と関係あるんだ」って思いますよね、自分でもこのときはこうしたさまざまな出来事や感じたことが「雑誌の在り方」、nice things.を作ることにつながっていくとは想像もしてませんでした。

続く。

nice things.編集長
谷合 貢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?