僕がロシア正教を止めた理由
僕自身のプロフィールで、『ロシア正教;個人的には非宗教』と書いてある事に奇妙に思う人は多いでしょう。
「カッコつけたいから、ロシア正教徒と名乗ってるだけで、信者のフリだろ?」と訝しげになるのも当然でしょうから、一応、説明はしておきたい。
… この写真は、僕が洗礼を受けたロシア本土の教会のもので、僕のイェレイ(Йерей ; 司祭)が直々に撮ってくれたものです。歴史的にロシア正教会の中心地である『黄金の輪』の一番の聖地で洗礼を受け、ニコライという名前も正式に頂いてます。なぜ、ニコライかと言うと、日本に布教したロシア正教の伝道者の名前が、ニコライ・カサートキン(Николай Касаткин)だからです。
… 「ロシア正教の洗礼を受けた時点で、霊的にはロシア人」と聞きましたから、僕は血統だけでなく、霊的にもロシア人です。ウクライナには赤毛はいませんが、ロシアとイギリスには唯一の赤毛のDNAが存在しますから、赤毛とブロンドを部分的に持つ僕はロシア系である事は明白です。僕の祖母とその親戚の顔も典型的なユーラシア顔ですから、イギリス人ではないでしょう。何より、僕の肌が異常に白くて、小学校時代に外国人扱いされたほどですし、実際、右翼系の僕の教師らは僕を始めとする外国人の生徒をイジメまくっていましたから、行政も僕が外国の血を持つ者だと判ってるはず。
… ともかく、こういった経緯を見て、僕がロシア人としての背景を持ってる事は理解できたかと思いますが、別にカッコつけたいからそうした訳ではありません。人生の流れの中で、成り行き上、そうなっただけですから。さらに、ウクライナ正教がロシアから分離独立するのは、この後の事であり、僕自身は知らなかったので、別にウクライナ正教会を嫌ってロシア正教を選んだワケでもないです。ウクライナもロシアも政治抜きでどちらも好きですが、改宗は100%個人的理由。僕にもウクライナ人の血がある可能性はありますが、これとそれは別問題。聖書研究の末の決断ですから。
(注:以下の写真のように、小生の髪が赤・ブロンド色を含んでるのは普通の事で、別にレタッチで偽造してません。フォットショプで明暗や補正は行いますが、もし小生の髪が完全に黒なら、色彩をいじっても灰色になるだけで、赤やブロンドは出てこないはず。画像データ上に存在してない色は、何をどう補正しても、決して出てこないのですから。つまり、小生の髪には本当の赤やブロンド色が混じっているという事です。カメラは嘘をつきませんから。)
… そもそも、ロシア正教に改宗した理由は、東方正教会の方が聖書の教え、特にギリシャ語原文のコンセプトを忠実に反映してるからです。例えば、イコンは偶像崇拝と批判されたりしますが、実際にギリシャ語原文で聖書を研究すると、一概に偶像崇拝とは言えない部分があるからです。
まあ、この辺の聖書解説は長々となる上、今回のテーマではないので、深入りしませんが、長年の聖書研究と教会生活に幻滅した自分は、ロシアに行った時に改宗する決意をしました。運命は驚くほどスムーズに流れ、まるで準備されてたかの様に、洗礼までのプロセスは滞りなく進みました。
こうして、ロシア正教徒になった事で気持ちの面ではスッキリしたのですが、その後、ロシア正教と聖書の勉強を進むにつれ、いろんな疑問が浮上しました。
1.シノド翻訳(Синодальный перевод)
俗に言う『シノダル版聖書』は、ロシア帝国時代の1813年、アレキサンドル一世がロシア聖書協会の設立の下、認可を下して始まったプロジェクトで、ニコライ一世が西側の(つまりは現ウクライナの土地を介して来る)政治的侵略を懐疑して一時的に中断したものの、アレクサンドル二世によって再開・完成されたものです。
ロシア聖務会院(シノド)の承認を受け、1876年に正式発行されたものの、1917年には帝国自体が、レーニンの社会主義革命によって永遠に滅んでしまうワケです。
… つまり、神の意向/威光を忠実に反映しようと、従来の教会スラブ語版・ギリシャ語版からユダヤ文書版(ヘブライ語版マソラ旧約聖書)に移行して翻訳を進め、完成した暁には、たった41年でロシア帝国が崩壊する。つまり、
「神は、聖書に敬虔にあろうとしたロシア皇帝や当時の教会の人々の努力や苦労を露程(つゆほど)にも省みないばかりか、国そのものまで滅ぼすのか?」
… そういう風に思うのも無理はないでしょう。事実、僕が調べた範囲では、シノド版とエホバの証人版の翻訳はヘブライ語原文をかなり忠実に反映していますし、仮に間違いがあったとしても、そんな小さな事で国自体が滅びゆくほど罰する事もないでしょうに。しかも、死ぬのは聖書翻訳に無関係な一般人も含む。全くもって、不可解。
つまり、シノド翻訳を完成した時点で、ロシア帝国は霊的防御力を完全に失ったワケです。そして、ロマノフ王朝の王族・貴族を始めとした上流階級は永遠にその地位と栄光を失った。しかも、その彼ら彼女らを殺しに来たのが、神に叛逆する無神論者の共産主義者達。これが神の言葉を敬虔に翻訳した末路。神を恨むのも当然です。
で、現在、ソ連後に復活したロシア正教はシノド聖書を再び教会のコアとして採用し、今、国家存続の危機にさらされてる状態です。
つまり、霊的欠陥を孕んだ聖典を使い続けるロシア正教に不安を感じるのは、ごく普通の感情ではないでしょうか? セキュリティ・ホールのあるソフトが、どんなに便利でも採用したくないのは誰でも一緒。僕だって嫌です。
それがロシア正教を続けたくない最大の理由です。今のロシアの状態を見て、同じ運命を辿っていると、想像力を働かせるのは可笑しいでしょうか?
2.伝統教義のファクト・チェック
聖書がダメなら、教会が古から脈々と伝えてきた伝統教義はどうか?
… むしろ、このポイントが、本来の東方正教会を選ぶ大きな理由であります。何故なら、今日のキリスト教と聖書は、政治的支配ツールとして改竄された偽物だからです。新約聖書も発見された写本の内容が、互いに異なっている上、新約聖書のコンテンツにも考古学的に不可解な点があまりに多いからです。
たとえば、イエスはアブラハム・ダビデ王の直系だから、メシア(救世主)の条件を満たしてるんだと主張されますが、新約聖書の一番最初に表れるイエスの家系は、処女懐妊で産まれたイエスには繋がっていません。その家系はイエスの父ヨセフのものですが、母マリアは天使と聖霊の力で、ヨセフと性交渉無しにイエスを産みます。そもそも、マリアは男を知らないと記されている様に、誰とも婚前交渉してません。
逆に、ルカの書にある家系図はマリアのものではないかと言う解釈もありますが、仮にそうだとしても、古代イスラエルは男性社会で、妻の姓は無視されます。夫の家系が代表となる部族規律において、イエスは私生児かつヨセフの血を引いていないから、アブラハム・ダビデの血統者ではないし、メシアでもない。この矛盾が最高のジョークに見えるほど、新約聖書と言うのは可笑しい訳です。
正教会はそんな聖書を読む事を推奨しておらず、基本的に教会が代々管理する継承教義をメインにする原点の「宗派」。だから、『正教会』なのです。本来のキリストとその弟子たる使徒の教えを現代まで引き継いでいる事が重要であって、政治的堕落に堕ちたカトリックや伝統を切り捨てたプロテスタントとは違う。それが正教会の主張です。
実際、僕の愛読書だった、ミハエル・ポマザンスキーの『Orthodox Dogmatic Theory』はそういった教会の聖父達の秘伝が引用されており、現在のユダヤ教ラビの文書にすら書いてないような、失われた知識が残っており、ユダヤ教聖典の解読にも大いに役立つほどのものだからです。
だから、聖書に納得しない人や教会の腐敗を憂う本物の信者は、一度は正教会の門を叩くのが当然なのです。それ故に、僕が他の宗派のクリスチャンを見下す。つまりはそういう事です。聖書をちゃんと読んでる人間がカトリックやプロテスタントなんて選ぶワケがない。それでも選ぶ人間はハッキリ言って、頭の無い人間です。
では、正教会は完璧なのか?
… 残念ながら、そうでもありません。
継承教義は代々、教会内で秘伝として受け継がれてるもので、ミハエル・ポマザンスキーが紹介してるのはそのごく一部に過ぎません。つまり、教会で司祭が説く継承教義が本物であるかどうかを、我々一般市民が確認する方法はありません。結局、その教会ないし司祭が自分の都合で語った内容が含んでいる可能性もありますから。そういった検証ができない以上、教会と司祭の発言に権力が置かれる宗派は、不安に感じるのも無理はありません。
3.正教一致
正教会、特にロシア正教は正教分離してません。各国の正教会は良くも悪くも独自運営ですが、往々にして大人の都合が反映されます。
つまり、教会内部は政府の諜報機関と繋がっていますし、『罪の許しのための告白』は聴き手である教会司祭の手によって、スパイの対象となります。信仰問題は自分の超プライベートな内容故に、国家がその内容を知り過ぎる事に恥ずかしさを覚えるのは当然です。
別に悪い事をしてなくても、そういったスパイ行為で自分の内面が知られる事に戸惑いを覚えるのも仕方がない。
さらにそれが、ウクライナ人の親友とかの内容だったら、向こうが誤解して、あるいは意図的に、ウクライナ現政権支持者と勝手に解釈する可能性もありますから。
4.教会ありき
3の問題も含め、キリスト教、特に正教会は教会あっての宗教です。聖句に『教会はキリストの体たるもの』と示されてる様に、教会それ自体が中核を成す現代のキリスト教は、政治的支配ツールとして超絶に便利な代物です。
そもそも、新約聖書の教義ひとつひとつを検証すると、どう考えても、帝国主義の奴隷化システムに有用なルールとしか思えないほどの、ご都合主義がそこにある。
さらに、自分の地区にある母教会が腐敗してた場合、キリスト教の信仰生活は実質、できません。そこに疑問を持っても、どうにもならない。それが現代キリスト教です。
… 他にも小さな部分で、多くの不満がありますが、僕がロシア正教を信仰しないのは大体こんな理由です。僕のプロフィールで『ロシア正教;個人的には非宗教』と表現してるのは偽善でも知ったかでもなく、僕自身が長年の教会研究と聖書の勉強を通じて、そこで政治的事情も考慮した上での決断です。
まして、今はウクライナがロシア正教から独立して、オリジナルの『ウクライナ正教会』を建て、戦時下の中、ロシア正教徒を憎んでいる状態です。僕が個人的にウクライナ好きでも、向こうは僕をスピリチュアルな意味合いでの敵と見なすでしょう。
別にウクライナ正教会に配慮して、ロシア正教を止めた訳じゃないし、ウクライナ正教会発足後のクリスマス礼拝にも顔を出したくらいですから、僕自身はそれぞれ別の道を進んでいいと思ってますが、それが現実の信仰生活に良く反映されなければ、意味がないのです。
宗教は理屈じゃないし、政治的グダグダを教会内に持ち込むべきじゃないのです。正しいかどうかは関係なく、みんな嫌がりますから。実際、教会出席者数は減っていくばっかりでしょう?
しかも、教会に通ったその日の夜に悪夢とか見るようになったら、誰も教会なんか行きませんよ。
つまりはそういう事です。
別に嫌いな訳じゃないです。むしろ、正教会は僕の一番気に入ってた宗教の一つですからね …
… どんな完璧な宗派でも、そこに腐敗が起こらないなんて言えません。それは正教会も同じですよ。システムを使うのは人。つまり、システムが良くても、腐敗は防げないワケです。共産主義も正教会も、そこは一緒って事です。
(終わり)
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