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ひとり闇の中を走るときに僕の考える事

深夜3時。静寂に支配されたトレイル。真っすぐ走っているつもりが、眠気で頭がボーっとして右の路肩へとふらつく。時折、前後に振る自分の腕が腰に付けたランプの光かりを遮り、巨大な影となって路面を横切る。初めてその影が現れた時は、急に動物が襲い掛かって来たかと思い、声を上げて驚いた。

ロサンゼルスの北、約50㎞。このあたりには未だ野生動物が多く生息している。コヨーテやシカは頻繁に見かける。極めて稀にではあるが、ブラックベアーやマウンテンライオンの目撃情報もある。


灯りは殆どなく、ランプが照らし出すエリアの先には漆黒の闇が広がる。ガラガラヘビは草むらの至る所にいるはずだ。秋口にはあまりお目に掛る事のないガラガラヘビではあるが、よろけて草むらに転んだら、睡眠を妨げられた腹いせで、ガブっとやられてもおかしくはない。夜中のトレーニング。闇の中で恐怖を増幅させるのは、強盗やオバケではなく野生動物だ。


ふっと、数年前の出来事を思い出した。当時はトライアスロンに嵌まっていた。11月の肌寒い季節に開催されるアイアンマン・レースに向けて、長袖のフル・ウェットスーツ買った。それまでは春から夏にかけての大会ばかりだったので、袖なしのモノしか使ったことがなかった。始めて着たフル・スーツは、息苦しさを感じるほど窮屈だった。それにも増して、鏡に映った姿はウナギの様で格好悪かった。レース前に試してみたいと思ったが、一人で海で泳ぐのは危険だ。かといって、このウナギのような姿でジムのプールには行きたくない。子供たちで賑わう近所のプールは論外だ。

仕方なく、夜に人気のない近所のプールに忍び込んだ。一人、暗闇の中で泳いでいると、プール中央付近で腕に何かがまとわりついて来た。幾度となく子供を連れて来たことがあるプール。至る所にガラガラヘビ注意の看板がある。「ガラガラヘビだ!」。それ以外には何も考えられなかった。突如、襲ってきた恐怖心を振り払うように、必死に腕を振り続けた。うす暗いプール、ゴーグル越しに見える世界は限られている。もがき続けながらプールの淵までやっとのことで辿り着いた。

そこで目にしたのは、蛇ではなく、背中のジッパーに結びつけられたストラップだった。ホッと胸をなでおろし、あたりを見回す。幸いというか、当たり前というか人の姿はない。再度、ホッと一息。仮に誰かが見ていたとしたら、暗く静まり返ったプールでウナギのような真っ黒いウェットスーツを着て、手をぐるぐる回しながら叫ぶ姿は、さぞかし滑稽だったことだろう。

一人、ニヤつきながら闇の中を走る。人の姿はない。こんな時間に人とすれ違うのは逆に怖い。人影は無くていい。走り始めてから、かれこれ6時間。だいぶ前に日付は変わっている。


昨日、午前五時に起きて、10㎞ほど走った。その後、いつも通りフルーツ、ヨーグルト、シリアルで朝食をとり、一日仕事をして過ごした。唯一違っていたのは、意識してスタンディング・デスクを多用し、通常より長時間立ったままで仕事をしたことだろう。仕事の後は、普通に夕食。ここでも、ほぼ普段通り。若干違ったのは、晩酌のビールがなかったことくらいだ。その後、少しのびりして、午後9時半にランニングシューズを履き家を出た。夜通しで、のんびりと60㎞ほど走り、午前5時に家に戻る予定だ。帰宅後は、2~3時間の仮眠をとり、大学の寮に入る長男の引っ越し荷物を運ぶことになっている。


家族も呆れる、「夜通しラン」。何故こんな事をしているかというと、一言でいえば6週間後に迫った100マイル(160km)レースのトレーニングだ。効果があるかどうかは全くわからないが、眠気を我慢して夜通し走ったという自信にはなる。一昨年の100マイルレースの前にも同じようなことをした。その甲斐あってか、前回は眠気に悩まされることなく完走できた。今回の夜通しランはレース前の儀式の様なものだ。パンデミック下でレース参加を見送っていたので、二年振りとなるウルトラマラソン。最善のコンディションで臨みたい。ここまで怪我もなく、いい仕上がり具合だ。

今晩の目的は主に三つ。一つ目は、朝までカフェインなしで走る儀式を経て、「魔除け」ならぬ「眠気除け」のお守りをゲットすること。勿論、そんなお守りはないので、気持ちの上での「お守り」だ。二つ目は、新しく購入した、ウェスト装着型のランプUltrAspire Lumen 600の使い勝手とバッテリー持続時間を確かめること。最大光量での持続時間を見極めたうえで予備バッテリーを準備する。三つ目は、オンラインで購入して数日前に届いたシューズAltra Olympus 4の履き馴らし。

一昨年のレースでは不覚にも道に迷い、28時間40分を要した。今回は、ロストしなければ多少の時間短縮は出来るだろうが、28時間程度は走り続けることになる。メンタル面も含めて、出来る準備は全てしておく。それでも、途中でケガをしたり、腹を下したり、天候が急変したり、想定外の事態は起こる。全てシナリヲ通りなんてことはまずない。不測のハプニングに対し、その場で最善の対策を講じて、最後まで走り続ける術を見出す。それが100マイルという途方もない距離を走る者に課された宿命であるとともに、醍醐味でもある。事前のトレーニングや準備を周到にしながらも、最後は出たとこ勝負。何とかなるだろうと腹をくくらなければ、夜通し山の中を走るようなバカげた真似はできない。

と、格好の良いことを言いつつも、50歳を過ぎて尚、路面に映し出される自らの影に怯えたり、プールで姿なきガラガラヘビを見て叫び声を上げたりの日々。「もう少しまともな大人になっている筈だったのに・・・」、と思う事も少なくない。眼を閉じて思い浮かぶ自分の姿は40歳くらいで止まっている。鏡に映る自らの顔を見て驚くことはないが、写真で見るそれは驚くほどオッサン顔をしている。

南米の赤道直下の太陽。メキシコの乾いた風。燦々と一年中降り注ぐカリフォルニアの強い日差し。長年に渡りそれらに晒され続けた肌。50歳を超えた頃からだろうか、酷使に対する苦情を申し立てるかのように、急に皺やシミが姿を現し始めた。これまで太陽の下で思う存分、好きな事をしてきた。その結果として刻まれた皺やシミ。まぁ、仕方が無い。と言うか、そんなものだろう。全てはアンデス山脈に響くサンポーニャの音色、カリブのターコイズブルーの海、デスバレーの灼熱の砂丘といった様々な記憶とともにある。

眠気で再び足元がふらつく。早く帰って一眠りしたいものだ。そんな事より、6週間後に迫った100マイルレース、無事完走できるだろうか?待てよ、数時間後には息子の引っ越しの手伝いがある。ちゃんと起きられるのか。忘れちゃいけない、更にその翌日には娘の引っ越しもある。まさか、連日で子供の引っ越し荷物を運ぶことになるとは。家内と二人で寂しくなるなぁ。愛犬のブラウニーも年老いて顔に白いものが目立ってきた。ところで、ブラウニーは何歳になるんだっけ・・・ なんだか良く分からなくなってきた。


いつもこうだ。走っている間、脈絡もなく様々なことが頭に浮かんでは去ってゆく。単純な反復運動を長時間に渡って繰り返すときの思考回路は極めて大雑把難だ。複雑な事は上手く考えられない。ゴールタイムの逆算といった簡単な算数でさえ至難の業。その一方で、静寂に包まれた闇の中では、外界からの情報が完全に遮断されるのでの、精神がより内面に向かい易い。その結果として、禅問答のような問いかけを繰り返すときもある。

「僕は走ることに何を求めているのだろう」、「人はなぜに敢えて苦しい道を選ぶのだろう」、「苦行を乗り越えた先には何が待っているのだろう」。意識は脳内の小宇宙を彷徨う。

そんな時に突然、自らの体の一部が巨大な影となって路面に映し出される。脳は咄嗟に現実を理解しきれずに、「うゎ~、ブッラクベアーだ~」、と腰を抜かさんばかりに驚くというわけだ。

やがて空は明るんでくるだろう。それまで、この闇の中を走り続けるしかない。まだまだ行ける。これからが正念場だ。なんとか小宇宙に迷い込むことなく家に辿り着きたいものだ。

By Nick D



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