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幸せになれない私から幸せになれない貴方へ


「幸せになりたい」


それはおそらく誰もが願うことだろう

寂しさを紛らわしたい
寂しさから逃れたい
空っぽな心を満たしたい


様々な理由から
私たちは煌めき輝いているであろう「幸せ」に手を伸ばす


私もその一人だ


どうしてこんなに苦しまなくてはならないのか
孤独な寂しさに打ちひしがれなければならないのか
全て受け止めて抱きしめてもらいたい
愛を感じたい


そう思って

ただひたすらに「幸せ」に手を伸ばし「幸せ」に焦がれて生きてきた



そもそも

「幸せ」とは一体何だろう


毎日が楽しいこと?

誰かに愛されること?


もちろん人それぞれ思うところは違う


では
貴方が今思い描いた「幸せ」もしが実現されたなら

貴方は「幸せ」になれるのだろうか


毎日楽しく、そして誰かに愛を注いでもらったら
私は「幸せ」を得られるのだろうか

望むこと全て叶えられたなら
私のからっぽな心は埋まるのだろうか


形式上の「幸せ」はあくまで形式上である


どんなに至れり尽くせりの世界になったとしても
私の苦しみが消えないのであればそれは「幸せ」ではない


誰がどう見ても「幸せ」な女の子になったとしても
私の心が満たされないのであればそれは「幸せ」ではない


誰かに愛されて
家族や友達、上司にも恵まれて
仕事も上手くいってそれなりに生活が充実したとしても

空っぽな心は一向に満たされない


その時その時は良くても
家に帰ってきて一人になって布団にもぐれば
やっぱり寂しくて孤独を感じる


そんな自分を容易に想像できてしまう


どんなに「幸せ」な環境下に置かれても
その「幸せ」を迎え入れられる心が準備できなければ
それは「幸せ」ではないのだ


「幸せ」は歩いてくるものでも手繰り寄せるものでもない


誰がどう見たって「幸せ」とは言えない子どもに
「幸せか」と聞いたら「幸せだ」と返ってくるように


「幸せ」は他人の尺度で測れるものではない


なぜその子供は「幸せだ」と言うのか


それは

その子が「幸せ」だと感じる心を持っているから


つまり
どんな環境下であっても
「幸せ」だと思えれば人は「幸せ」になれるということ


一つ言っておくと

嫌な現実と向き合って無理やり自分に「幸せ」だと信じ込ませることを薦めているのではない

現実から目を背けて精神的にも物理的にも逃げなければ生きていけないことだってある


そういう時は

一旦目をそらして逃げて
そうしてからゆっくり「幸せ」を感じられる心を作っていけばいいと思う


「幸せ」を感じる心の作り方


心が満たされれば自然と「幸せ」を感じられる心が出来上がる


つまりは
生活も心も充実すること
(それが難しいのだけど)  


だからこそ人は「幸せ」の定義に恋愛を組み込みたがるのだろう
恋は人を豊かにし日々を充実させる

そしてそれが「幸せ」へと直結するのだ


「幸せ」の形は人それぞれと言うように
恋愛だけが「幸せ」ではない

何が充実へと導くかは自分で見つけるしかないのがもどかしいが


絶え間なく続く苦しみの中で
充実させてくれる何かを掴んで

「幸せ」を感じられる心を作れればいいと思う



「幸せ」になりたいのなら「幸せ」を感じる心を作ること


「幸せ」になれない私が
「幸せ」を求めてここへやってきた貴方に伝えたいことだ。

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