雑巾

おばちゃん、この子泣いてるで
と あたしは、なんにも言わずにそばに立っているのはとてもいやな気持ちになったので、言った。
こんなところに よりによってここに、一人であたしをおいていったお母さんに うんざりする。お母さんは悪くなくて、ついていかなかったあたしが悪いのだった、と思い出して それでもやっぱり、わざわざ日曜日に都会の、こんなところへあたしを連れてきたお母さんに 「うー…」と思う。「うー…」は、子どもの頭ではまだ言葉にできない、なんとなく 「うー…」という感じの感情だ。
おばちゃんは あたしがそこにいることに 今初めて気づいたようだった。
道路のはじに ツツジが咲いている。違った、ツツジはもう終わったから、サツキの時期やねってお母さん、言ってたかな。ここはあたしの住んでいるところより 空気がちょっとざらざらしているから、サツキの葉っぱの気孔は、きっと真っ黒になっているだろう。
「ほっとき、雑巾みたいなもんやねんから」
ぺっと、味のしなくなったガムをはき出すみたいに おばちゃんは言った。ピンク色のスカーフが風でふわふわしているので生きているみたいだ。ピンクのへびみたい。
雑巾みたいなもん の意味はわからないけど、おばちゃんの言い方は いやぁな感じだ。よくない。
この子は、大きいけれど、この子としか言いようがないこの子は、しとしとひそひそと泣いている。ひっしにあたしの手からにげようとする あきこちゃんちのハムスターみたいに すみっこで消えてなくなりたいって思ってるみたいに 泣いている。泣いていることさえ いやだと思っている感じで泣いている。
おばちゃん、雑巾みたいなもんって、なに
あたしは それがどういうことか本当にわからなかったので、聞いた。おばちゃんはめちゃくちゃうっとうしいな、という顔をした。
「あんた、おばちゃんおばちゃんて、しっつれいな子やな、なんちゅう親に育てられてん、ほんまに。」
おばちゃんは、思いっきり全身で おばちゃんをしているようにあたしには見えたので、それを怒られるとは思っていなくて とてもびっくりした。この人の言うことは、今のところなにもかもがちぐはぐで、まちがっている感じがする。
だから、世界では、怒っている大人には、ごめんなさいと言わないといけないらしいのだけれど、この子が可哀想だし、おばちゃんは 子どもから見ても あんまりいいおばちゃんじゃないようだったので あたしはあやまらなかった。それが世界の決まりみたいなものに さからうものだったとしても、聞いているのは この子しかいないので、だれかにチクったりしなさそうだし、べつにいいと思えた。
おばちゃん、ピンクのへびに首しめられたらええのに。
うわっ!という気持ちで、強く思って言ったので、自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。それでも怖い顔にならないように ふつうの顔をした。
あたしの笑った顔はまわりの大人に評判がいいのだけれど あたしは笑わなかった。笑える量に決まりがあったら、マリオの残りみたいに減っていくとしたら、もったいなくてこのおばちゃんには使えないと思ったからだ。
ふつうの顔をして良くないことを言うあたしに、おばちゃんはびっくりしていた。そのすきに、怒るひまがないうちに、あたしは建物の中ににげる。お母さんの しんせきのおじさんは 声が大きくてあんまり好きじゃないけど、おばちゃんとくらべたらぜんぜんましなので、あたしはおじさんの声の大きさを我慢する方をえらんだ。
ひとに いやなことを言うと たいてい もやぁとした「うー…」という感じの気持ちになるけれど、あたしは、今日はぜんぜんそんなことはなく、あとで買ってもらえるかもしれないお洋服のことや、ぜったいによれるであろうアイスクリーム屋さんのことを考えながら、階段をのぼった。エスカレーターかエレベーターかまだかんぺきに覚えてないからどっちかわからないけれど、あのせまい乗り物は きらいなのだ。


#ショートショート #大阪弁 #cakesコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?