見出し画像

フリードリヒを回顧する

さて、先日、『あのころはフリードリヒがいた』を読了致しました。思うことは色々あるのですが、とにかく、わたしの頭の中は疑問符でいっぱいです。

隣人をその人種や宗教の違いで差別することって、そりゃ日本にないって言い切るほどわたしだってバカではないけど、少なくとも経験したことがないくらいボケてもいるので、なんと言ったものか……

集団心理は怖い。凶暴にも残酷にもなれる。個が集団にまさって狂気を帯びた時フリードリヒは亡くなったのであろう、とか、文学的な構成で言えば、そういうことなのだろうなとぼわぼわおもっております。

がしかし、ほんとうに?宗教や人種の違いで?「人」に死ねと言えますか?略奪や破壊の限りを尽くせますか?
これは温暖な気候に発展してきた文明の裔だから言えることなのかな。厳しい環境に生まれた複数の宗教の軋轢に揉まれた人々は、戦争という狂熱を得て、そこまで苛烈に他者を排斥し命を奪うことができるものなのかしら。

オットと話していたのですが、彼の意見は、こう。『日本の宗教観は現世主義が強め。仏教は死後や来世の幸福を求めたりもしてるけど、交通安全も安産祈願も、現世での幸福を願ってのこと。対してキリスト教にしろユダヤ教にしろイスラム教にしろ、基本的に来世主義。来世で幸福になりたいから現世での行為を戒めている。』

ちなみに、集団心理は時として暴力的になる、ということを知って恐ろしいなあ、と思ったnoteがこちら。

なんというアート。そしてそれに背中を押されるマリナさん凄い。

フリードリヒに話を戻すと、『ぼく』は過去を回顧するたびに、『あのころはフリードリヒがいた』と思うのだろうなあ、と……
3部作、岩波少年文庫で出ているらしいので、いずれ読みたいと思っています。




この記事が参加している募集

読書感想文

スキもコメントもフォローもとても励みになります。サポートは本を買うために使わせていただきます。