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山本太郎を阻む壁

 昨日、参議院議員の山本太郎が新しい政治団体、政党の立ち上げを表明した。

「れいわ新選組」という名前には違和感はあるが(苦笑)、彼の掲げる反新自由主義・反緊縮の政策には何一つとして反対する部分はないし、私自身も支持・応援をしていきたいと考えている。

   で、今日、書きたいのは、彼、山本太郎の新党や政策の問題ではなく、全く別の問題。先ずはこの彼が立ち上げた政治団体「れいわ新選組」の寄付を募る頁を見て頂きたい。

(勿論、彼の政策に賛同される方には、私と同じく寄付をして頂ければ幸いだが、それはまた別の話…笑)

 彼がなぜこれだけの金額の寄付を集めなくてはならないかと言えば、それは選挙に立候補するのに「供託金」が必要だから。 その明細は彼のサイトにも書いてあるが、

衆院選の選挙区で300万円、比例区で300万円か600万円。 参院選の選挙区も300万円、比例区で600万円。
 都道府県知事選挙で300万円。市長選挙で政令指定都市が240万円、その他が100万円。町村長選が50万円。都道府県議会議員選挙が60万円。市議会議員選挙が政令指定都市50万円、その他の市が30万円

     立候補するだけで、候補者一人につきこれだけ多額のお金、「供託金」が必要になるのだ。勿論、「供託金」なので預けるだけで、「規定(選挙によって違うが有効投票総数の10分の1や、有効投票総数と議員定数の商の8分の1等の得票数)」を満たせば、お金は戻って来るのだが、それでも立候補に際してこれだけのお金が必要になるのは大きな障害といっていい。

   というよりも、そもそもこの「供託金」なる制度自体が選挙の立候補に金銭的障害を設けることで、売名目的などの無駄な立候補、候補者の乱立を防ぐことを目的としている訳だが、それは本当に正しいのだろうか?

 今回の統一地方選の道府県議会選挙では過去最高の26.9%が無投票当選。つまり、道府県議員の4人に1人が有権者の審判を経ずに当選した、というのだ。これは逆に言えば、全国で何百万人もの有権者が選挙で議員を選ぶという民主主義で大前提になる権利を奪われたことを意味する。

この無投票当選、つまり立候補者が集まらない理由には地方の人口減少なども言われているが、やはり「供託金」という障害が原因になっていることも否めない。

 いま道府県議会選挙60万円という「供託金」を廃止すれば、それこそ誰でも選挙に出られるし、それならば出よう、という人間も少なくない筈。逆に高額な「供託金」はいま議員をしている人間や富裕層にとっては、痛くも痒くもない額だし、そういう人間には「供託金」が高くて立候補する人間が減った方が好都合ともいえる。

 事実、日本の「供託金」制度は、1925(大正14)年に普通選挙法の制定に伴い、資金はないが国民の人気は高かった社会主義政党の国政進出を防ぐ目的もあって作られたと言われているのだ。

今も山本太郎の新しい政党ではないが、自民党のように資金力のある大政党と違って小さな政党にとっては、この「供託金」の負担は重くのしかかっているし、これが自民党政権を下支えしているのは間違いない。

 そう考えて来ると、この「供託金」制度は、自民党など大政党や創価学会や連合など資金力のある大組織にとっては有利に働いていても、私たち国民にとっては百害あるのみなのではないだろうか。

 実際、アメリカ合衆国・フランス・ドイツ・イタリアなどでは、選挙の「供託金」という制度すらなく、フランスに至っては、1995年に上院200仏フラン(約4千円)、下院1,000フラン(約2万円)の「供託金」すら民主主義を冒涜していると批判され、供託金制度が廃止されているのだ。

 この「供託金」という壁は山本太郎だけではなく、私たち国民、そしてこの国の民主主義そのものを阻んでいることを忘れてはいけないだろう。

追記:山本太郎の反新自由主義・反緊縮の政策がなぜ素晴らしいのか、拙い解説ですが、先日、「日本国皇帝チャンネル」の方でこの「新自由主義」について話をしているので、宜しければこちらもご覧下さい。

           ※Photo by 参議院議員 山本太郎 公式HP  

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