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MMT~お金とは何なのか?(前編)

   このnotoでは何度か「MMT」のことについて書いて来たが、簡単でうまい説明が思いつかずに、実は避けてきたことがある。

   それはそもそも経済を考える上での原点中の原点、「お金(貨幣)とは何なのか?」という問題。
この部分が「MMT」と私たちが今まで抱いてきた「常識(主流派経済学の考え)」とでは違うからこそ、「MMT」が多くの人にとってとんでも理論にしか思えないのだろう。

   そこで今回はそもそも「お金(貨幣、紙幣)とは何なのか?」ということを説明していきたいのだが、私たちの「常識」になっている「お金(貨幣)」の役割や、その起源というのは、おそらくはこんなことだろう。

     これは「商品貨幣論(金属学説)」などとも呼ばれるが、とても判りやすい理屈。

 確かに「貨幣」は歴史上も多くの場所でずっと金貨や銀貨だったし、特に「金(ゴールド)」は、その希少性と腐食変質しないこと、装飾性や有用性などから「正貨」とも呼ばれて来た。
私たちがいま使っている紙幣も「兌換紙幣」といって、その金の代替品として、最終的には金そのものと交換出来ることで価値を保証されていたのだ……これをご存じのように「金本位制」という訳だが、ただし、これは今は昔の話なのだ。

   1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が新経済政策を発表して、それまで「35ドル=金1オンス」で行われていた、米ドルと金の交換を停止。ドルが金とは交換できない「不換紙幣」になったのだ。

  それまでも世界各国で金とは交換できない「不換紙幣」は発行されていたのだが(日本では1942年から発行)、まだ世界の基軸通貨であるドルを通して世界各国の貨幣は金とも繋がっていた訳で、ドルが金との関係を失ったことで「金本位制」は完全に崩壊。この瞬間から世界中の貨幣(紙幣)は金という正貨とは全く無関係な、謂わば、単なる「紙切れ」になったのだ。

   ここで考えてほしいのは、いま私たちが使っている紙幣(貨幣)は、現実にはこの「紙切れ」な訳だし、その役割を上で紹介したような今までの私たちの「常識」=紙幣(貨幣)そのものに価値があるという「商品貨幣論(金属学説)」では説明出来ないということなのだ。

   そして実際に、「お金(貨幣)」の役割やその起源については、この「商品貨幣論(金属学説)」とは違う別の考えもある。

  これを「信用貨幣論」というのだが、実はこれが「MMT」に繋がる「お金(貨幣、紙幣)とは何なのか?」という考え方なのだ。

   これは「お金(貨幣、紙幣)」そのものに何か価値がある訳ではなく、「負債」を証明したり、それを取り立てる「権利」を証明する事自体に価値があるので、貨幣そのものは貝でも、金でもいいし、それこそ借用書や今の紙幣のような「紙切れ」でも構わないということになる。

    「商品貨幣論」に比べれば少し分かりにくい面もあるが、文化人類学者のデヴィッド・グレーバーなどは貨幣のない世界での贈与と返礼という負債の果たす役割に注目し、この「信用貨幣論」をとっている。また、日本でも室町時代には「割符」と呼ばれる商人同士の借用書というか手形のような紙が貨幣としても使われていたし、今も住宅ローンとか自動車ローンとか誰かの「負債」が債券化されて全く関係のない第三者の間で、それこそ貨幣のように価値のあるものとしてやりとりされていることを考えれば分かり易いかも知れない。

  勿論、そもそも「お金(貨幣)」が本当にどうして出来たかは判らないし、この「信用貨幣論」も、それこそ私たちが常識と考えている最初の「商品貨幣論」もあくまでも理論であり、それを立証出来る考古学的な証拠はない。

 ただ、起源は別にしても、貨幣や紙幣そのものが実際に「金(ゴールド)」のような価値を持たず、単なる「紙切れ」になってしまった現状では、「お金(貨幣)」の役割をうまく説明出来る理論は、私たちが常識として来た「商品貨幣論」ではなく、「MMT」の基本になっている「信用貨幣論」だというのは確かだろう。

 このように、「MMT」はそもそも「お金(貨幣)」の本質や役割が、今までの常識だった「お金そのものの価値」ではなく、「負債の証明」にあると考える訳で、それはお金のやりとりや金融への考え方も変える。

 「信用貨幣論」では「負債」が「お金(貨幣、通貨)」の役割の基本になっている訳だから、「MMT」は誰かが「負債」を抱えること、具体的には銀行から企業や個人が借金をすることで「お金(貨幣、通貨)」が生まれると考える。これを「貨幣供給内生説」というが、例えば景気のいい時には貨幣の量(マネーサプライ)が増えるが、これは企業や個人が盛んに銀行から借金するせいと考える。

 逆に、今までの常識だった「商品貨幣論」では「お金(貨幣、通貨)そのものの価値」が基本になっている訳だから、誰かがお金の価値を保証して貨幣を発行することで「お金(貨幣、通貨)」が生まれると考える。こちらを「貨幣供給外生説」というが、具体的には日本で言えば日銀のような中央銀行がお金の価値を保証しつつ貨幣を発行することでお金が生まれていると考えるのだ。

 この今まで、というか今も採用されている「貨幣供給外生説」では当然だが貨幣については中央銀行の役割が全てで、貨幣の量(マネーサプライ)も中央銀行が決められるということになる。これが「マネタリズム」という今の主流派経済学(新自由主義、新古典派経済学)の考えだし、貨幣の量を増やして景気をよくしようという、アベノミクスのような金融緩和やリフレ派の考え。

 つまり、「景気がいいからみんなが借金した結果、貨幣の量が増える」と考える「MMT」とは、前にも紹介したインフレと同じように、また「原因」と「結果」が逆になってしまうのだ。

 そのインフレも「貨幣供給外生説」では、中央銀行が貨幣の価値を保証している事が重要なので、貨幣の量を増やせば価値が毀損されてインフレが起きると考えるし、「MMT」の「貨幣供給内生説」では貨幣は元々が紙切れなのだからインフレは中央銀行の金融政策ではなく、需要が供給を上回るような実際の経済の状態によって起きると考えることになる。

 結局、「お金(貨幣)」をコントロールしているのが中央銀行である日銀であり、金融政策なのか、それとも企業や個人のお金のやりとりであり、需要と供給による景気なのか…これが今まで私たちが「常識」として来た金融の考えと「MMT」の金融の考えの大きな違いと言っていいだろう。

 ただ、現状を見ればインフレどころかデフレ脱却とは名ばかりで、アベミクスや金融緩和の失敗は明らか。それはそもそも「紙切れ」に過ぎなくなっている「お金(貨幣)」の事実を見ようとしなかった「商品貨幣論」「貨幣供給外生説」の限界と言ってもいいかも知れない。

 だからこそ金融政策よりも、とにかく赤字国債でもいいから財政出動をして国民の懐を豊かにして景気をよくしよう、という「MMT」の反緊縮政策、そしてその基礎となっている「信用貨幣論」「貨幣供給内生説」をいま考えてみる価値は十分にあると私は思うのだが…。




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