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「人/物は<何/どこ>が---」の学習と差別社会教育

明日のにほんごクラブの準備中。
ここのとろろ形容詞を取り上げていたので、春休み前の来週に「好きなキャラ(でも実在の人でも)紹介」でもしようかと、欠かせない「人/物は<何/どこ>が---」の文型を用意しつつ、これってでもきっとよくないんだろうなあともやもや。

大学で使っている教科書Genkiにも、この人が太っている/やせているという描写が出てきて、これ現代(ヨーロッパ)ともうすでに合わないなあと思った。
見た目を云々するということが、ほとんどタブーのようになっている。

私が
「〇〇って、肌の色がちょっと茶色い子だよね?」
とクラスメイトの確認をしたら、長女に
「お母さん! そういうことを言っちゃいけないよ!」
と言われた。

いやでもさ、眼鏡をかけてるとか、髪がすごく長いとか、なんか特徴的なことがなければ、見た目ですぐ分かることじゃないか?
私的には、そこに差別はない。
ただ、色が違う、という話なだけだ。
じゃあ、「あの人の髪は黒い」も差別なのか。
ただの違いじゃないか??

ただこういうのはセクハラと一緒で、相手がいやだと思ったら、もう差別なのだろう。
私に差別意識はありません!といくら思っていても、言ってはいけない。
今のドイツの子どもたちは少なくともそういう教育を受けてきている。

かといって、じゃあ子どもたちは一切そういう話をしないかというともちろんありえる話で、「理科の〇〇先生ってどんな人?」
「背が低くて、ちょっとぽっちゃりしている先生」
みたいな会話は普通にある。
ドイツ語の「先生」の部分は英語のMr.やMrs.に相当するHerrとFrauが入っているので、性別と教科担当は分かっている上で、「どんな先生か」と聞いているんだから、見た目の話なのだ。

まして、欧州よりそういう点で後れを取っている日本では、この言い方の是非はともかく、理解できるようになっていた方がいい。

なので、見た目の描写を教えるのに、公的な立場としては適切な例文じゃないんだろうなあと思いつつ、
「日向は背が低いです」
「アーニャは目が大きいです」
「ナルトは髪がオレンジです」
といった例文を用意した。

もちろんこの文型は人に留まらない。
「ドイツは冬が寒いです」
「日本は寿司がおいしいです」
「オレンジは皮が固いです」
のような「---は、---が---」という言い方はよくする。

これをドイツ語や英語に訳すときには、
ー日向は大きい
ーアーニャ目は大きい、アーニャは大きい目を持っている
ードイツ冬は寒い
ー日本寿司はおいしい
ーオレンジ皮は固い
のように、「の」「で」などで表す言い方をすることになるだろう。
または「持っている」という所有だ。

でも、主語と述語を明確にして話す話し方だからだ。
もちろん、「アーニャは目が大きい」も主語はちゃんとある。「目」だ。
じゃあ、「アーニャは」はなんだ?!というと、主題である。

「アーニャは目が大きい。」
「口は?」
となれば、主題が口に移っているし、
「デズモンドは?」
といえば、別の人が話題となる。

「私は日本人です」などの例文を最初に学ぶので、学習者は「は」は主語を導いていると覚えているだろうが、それでいくと、
「日本は寿司がおいしい」は、主語「日本は」述語「おいしい」となって、あれれとなってしまう。

「今日はパーティーをします」も、え?!誰がパーティーするの?
今日さん??となるだろう。

そういうのもあって、「は」という助詞、「が」という助詞の役割を理解するのにも、「---は---が---」というのはとても都合がいい。

物や場所で説明すればいいんだろうけど、初心者の語彙だと不足があって、安易に見た目の描写をしてしまう。
だって、
「象は鼻が長い」「うさぎは耳が長い」っていうなら、「象」と「うさぎ」も覚えないとならないんだもん。

まあ、諦めないで、今からがんばって他の易しい語彙での言い方も考えて、合わせて教えたいと思う。



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