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日本人は優しくないのか

高校生クラスの「グラフを読み取って、自分の意見をいう」という授業で、世界の若者のボランティアへの意識調査のグラフを使った。

 出典:https://gendai.media/articles/-/67142?page=2

これを見ると、先進国の中で明らかに日本はボランティアに興味のない若者が多い。
各国について色々な意見が出て、活発な話し合いとなって有意義だった。

「日本の若者にボランティアへの興味が薄いのは、受験などで忙しいからではないか」という意見も出た。
それはもちろん一理あると思う。
但し、受験後に行われない理由の説明にはならない。
まあ、「受験が終わったら、思いっきりボランティアするぞ~!」なんてケースは稀有だろう。


募金額の違い 日本VSドイツ

次女の出産直前、13年前の東日本大震災でドイツで募金活動をしたことがある。
そのとき、本当にたくさんの人が寄付をしてくて、励ましの声をかけてくれた。

私は子どものころにガールスカウト、大学生ではボーイスカウト活動をしていて、募金活動は普通の人より経験がある方だと思うけど、日本で募金というと、まずは小銭だ。
100円だとたくさんと思うほど!
まあ、30~40年前のことなので、今は多少違うかもしれないけど。

でも、ドイツでは紙幣が普通だった。
最低でも5ユーロ。
ぱっと見の印象では、多かったのが10ユーロ札で、中には50ユーロ札もあった。
一人当たりの金額が日本の10倍くらいだ!と思った。

最近は日本でも著名人が大型の寄付をするようになって、それはいいことだと思うけど、売名行為?とか税金対策?とか思ってしまう。
自分のためにしている感じ。
もちろん、ボランティアだって自分のためでいい(私、エライな~みたいな)ので、それが悪いわけじゃないんだけど。
お金に名前は書いてないので、どんな理由だって寄付は集まるに越したことはない。

それよりは古着とか、賞味期限切れの食べ物を送るところはケチだなあと思う。

日本人はケチ トルコのガイドさんの証言

添乗でトルコに行ったとき、お客さんたちがチップを集めてトルコ人の日本語ガイドさんに渡したあと、ガイドさんがあとから私にこっそり「日本人ってケチですよね」と言った。
ガイド料は会社から別途出ているし、添乗員の私も会社の規定に従ってチップを渡しているので、このチップは本当にエクストラの収入。

お金をもらっておいてその言いぐさは何だと思う人もいるかもしれないけど、集まったお金はほぼ小銭だった。
どっしりと重い。
最後に余った、もう両替のできない小銭がチップとして集まっていたから。
10日間一緒に旅行をして、心づけを渡すのに一人当たり100円にも満たないような小銭。
確かに自分がもらうなら、「ハア、どうも・・・」という心境になるだろう。

欧米人ならば、恐らく一組あたり1日5~10ユーロとして、50~100ユーロは出すんじゃないだろうか。
もちろんチップを出さない人もいるだろうけど、日本人と比べたら断然多いと思う。

文化習慣だからある程度はしょうがないとは思う。
でも、私が子どものころは日本でも旅館に泊まれば、中居さんに心づけを渡していた。
ポチ袋に入っていたから、中身は知らないけど、まあお札に間違いないだろう。
決して日本にチップの習慣がなかったわけじゃない。


日本人は優しい ドイツ人旅行者の証言

日本語を教えている生徒さんたちが、何人か日本に旅行に行っていて、みんなが口をそろえて「日本人は優しかった!」という。
私の娘たちも「日本が好き! 日本人は優しいから!」と言っている。

でも、よくよく話を聞くと、それは仕事だったからじゃん?と思うことが多い。
例えばお店の人、例えば駅員さん、例えばホテルの人が優しかったと言われても、うん、仕事だからね、と。

それはドイツが「サービス砂漠」と日本人に命名されるほど、徹底的にサービスがない国だからだと思う。
レジの人がニコリともしないとか、レストランで無料の飲み物はないとか、駅に人がいない(優しいどころの騒ぎじゃなく、郊外は無人駅がほとんど!)とか、どこでもトイレは有料とか、そういうのが当たり前の国から日本に行ったら、そりゃあ日本のサービスに感動するだろうと思う。

反対に、「英語が通じなかった」「道に迷って、地図が読めずに困った」という話も聞く。
そう、それが一般の日本人と相対したところじゃないかしらん。
英語が通じないのは、英語圏じゃないのだから当たり前としても、通じないけど、がんばって話そうとしてくれたというケースと、誰も助けてくれなかったというケースの両方を聞く。

この「英語は話せないけど、がんばってくれた人」は優しいと思う。
でも、多くの人は英語が話せないから、と素通りするのではないか。

日本人の多くは外国人(白人)には一見優しいけど、それは受け入れてないことの証な気がする。
そして有色人種には優しくないことが多い。


ドイツ人は優しい!

ドイツは日本人が一般的に考えるほど、きちんとした国じゃない。
そうだったときもあるんだろうけど、戦後大分変わったんだろうと思う。
都市部は外国人も増えて、ドイツ人気質って何だっけと思うほどだし、ナショナリズムの反省ですごくゆるくなった部分もある。
だから、電車が遅れるのも当たり前だし、エレベーターが壊れているのも当たり前。
そして、建物が古いから自動ドアじゃなくて、押すドアが普通!

私がまだベビーカーを押して歩いていたころ、そういう町でどれだけたくさんの人が階段の上り下りを手伝ってくれたか、ドアを普通に開けてくれたか!
駅員さんやお店の人じゃなく、ごく普通の人が。
よっぽど高級店じゃない限り、どのレストランだって子どもダメとは言わない。
むしろ子どもシートが必ず用意してあり、遊ぶ場所があったあり、塗り絵を出してくれたりする。

寄付の件もそうだけど、ドイツ人は優しいと思う。


日本の通勤電車のベビーカー、優先席

日本には優先席がある。
ドイツにはない。
タイにも韓国にもあったから、多分アジアにはあって、ヨーロッパにはない。(タイはお坊さんも優先のマークがある)
「優先だ!」と言われなくても、必要そうな人がいたら普通に席を譲るから、そんな表示は必要ない。

マタニティバッジも必要ない。
日本ほど超満員の通勤列車がないから比較はできないけど、ベビーカーがいたら、まず優先してくれると思う。
飛行機の優先搭乗と同じ。
でも、アナウンスがなかったとしても、駅で多くの人が優しくしてくれる。

ここで、最初の若者のボランティア意識の低さで、生徒が指摘した「受験で時間がない」を振り返ると、ないのは時間じゃなくて、心の余裕なんじゃないかな。

超満員の電車なんて自分のことを守るので精一杯。
毎日過労死寸前まで働いて、人への気遣いなんてできない。
多分、日本も田舎の方に行ったら、もっと優しい人が多い気がする。
(ドイツも都市部より田舎の方が人はあったかい気がする!)

私は新宿生まれ新宿育ちなので、「東京の人は冷たい」って言われるとむかついて、「冷たいのは、『東京に出てきた田舎もん』でしょ!」って思うけど、要は「余裕のない人たち」が優しくないんじゃないかしらん。

金銭的、時間的、空間的、体力的な余裕。
ドイツなら、ベビーカーを優先したおかげで、電車に1本乗り損ねて遅刻しても、職場で咎められない。
どうしても座りたいというほど疲れるまで働かない。
そもそも通勤時間はせいぜい30分。
だから、余裕がある。


日本人は自分に厳しい、他人にも厳しい

加えて、日本は仏教や儒教の影響で「がんばること」はいいことだとされている。
かけっこで1番になった子より、転んで、びりになって一生懸命走った子の方が多く拍手をもらえる。

がんばることがエライから、がんばらない人はえらくない。
ひょっとして多くの人は「福祉(ボランティア)の対象になる人は、もっと自分で頑張ればいいのに」と思っている??

日本人は自分に厳しいし、人にも厳しい。
でも、ドイツ人は自分に甘いし、人にも甘いw
だから、自己肯定感がとても高い。
そのまま、ありのままの自分でいいから。
日本人も、周りのためにも、人のためにも、もっとゆるくなっていけば、余裕も生まれるんじゃないかと思う。

友達に勧められて、読んでみたいなと思っている本。
「『人に迷惑をかけるな』と言ってはいけない」
https://www.sbcr.jp/product/4815607609/

「第1章 「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない -- 「自分から動けない」をつくる呪い
【生きづらさを助長する】
×「人に迷惑をかけるな」
〇「迷惑はお互いさま。困っている人がいたら助けよう」
「迷惑をかけるな」と子どもに教える国は、日本くらい
日本の生きづらさの原因 「迷惑をかけるな」の病理」

「『人に迷惑をかけるな』と言ってはいけない」より

多分、昔は五人組とかもあって、「お互い様」が強かったんだろうけど、一都市集中型で人口の偏りができ、縦横のつながりが希薄になっていってしまって、「迷惑をかけるな」が悪い方にばかり行ってしまっているんじゃないかしらん。

私は典型的な「出る杭」で打たれてきた(自覚はあんまりない!)方だから、お愛想を振りまくけど、実は「早く帰れ」とか思われている日本の接客業よりは、ニコリともしないけど、レジだけ打ってくれるドイツの店のがいいと思う。
少なくとも自分はドイツで働きたい。
日本ではもう働きたくないと思う。

多くの日本人の「優しさ」「思いやり」は業務上または仮面、あるいは自己防御な気がしてならない。



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