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メタ認知強すぎ 自分と自分の会話

元からだが、
外側から
思い切り冷めた目でいる自分と
不安で自信ないダメな自分が
いつも 会話している

宇宙飛行士視点で
地球に住んでるちっぽけな自分を
観察して 嘲わらってる
(遠すぎて、見えもしないか)

地球上で立っている自分
日々葛藤して もがいてる

自分の中の二人

メタ認知、理性の私と
感情的な裸の私 せめぎ合っている

黙ってるときは
心ここにあらずで 
頭の中で 一人なのに「会話」してる

だからかな、
仲良くなった人には
メタ認知の私人格が

私ってこういう奴だから、
こう飼いならせばいいよ とか
私ってこういう性格だから
こう扱えば 操作できるのに とか

種明かしをしてしまう

Apprivoiser 飼いならす
星の王子さまで おなじみの単語

こんな愚かな私でも

たとえば

信用してくれて
心配してくれて
いつでもアパートに来てねと
合いかぎを渡してくれた人

知り合っても間もないのに
個人情報を 話してくれる人
それも 詳細な かなりプライベートなこと

信用してくれて 嬉しいのだけど
申し訳なくなってしまうのと同時に
「こんなに、簡単に人を信用していいの?」
なんて、思ってしまうのだ。

私が私を信用してない

最近、職業的な性格に
浸食されつつある

私は 善人なのか?
善人を 意識的に
振舞っているだけの 偽善者なのか?

かといって、
利己的に 悪人行為?をしても
メタ認知が 許さないだろう

何バカな ことやるの?
最終的になんに なるの?

当たり前かもだけど 理性

メタ認知優勢で
理性が がんばってくれて
模範的? 規範的?までとは
いかないけれど

どうにかこうにか 
恥じない人生程度は
できてる・・・かな

メタ認知がいう
うーん まだまだ
ここと あそこと・・・ なってない
(以下省略)

だからかな、
感情100パーセントで生きられる人
才能あって 天才で
それでいて 感情豊かな人たち
繊細だけど 心に正直な人たち
憧れるのかな

愛情や 嫉妬も
怒りも 悲しみも
きっと その中にいる本人
苦しいに違いない

だけど うらやましい

ロダンよりもカミーユ・クローデル

彼女のことを 思いながら
眠りにつきたい

カレーライスの市民より
Calais(カレーという町名だけど)
子どものころ、カレーライスじゃないの?
大真面目に思ってたが、大人に聞けなかった。

イザベルアジャーニが演じた
カミーユを

壊れるくらいに 人を愛することができるって
どれだけの 強い思いなんだろうと

昔の芸術家や作家、
気になる人の生涯を調べてみると
多くの場合、悲しい終わりになっている

表現力も豊かで 繊細で
繊細がゆえに 心をいためて

凡人の私は 素人なりに
彼らが残した作品を
めでて 心で受け取り 味わって
彼らの生きざまを 生きた証を

彫刻の鑑賞方法?

彫刻って
どのように鑑賞すればいいのか
わからない 
ただ 作品の目の前にたって
題があるなら 題名を読んで
立体の シルエット?
全体としての 均衡?を
見ればいいのかな・・・

興味あるけれど 無知です
知ったかぶりも できないほどの


私の心の中は
いつも 連想ゲームだ
次から次へと 終わりがない

同じような方って いますか?
私は やっぱり 変人なのかな?
(自覚はあります 大真面目に)



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