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東大大学院で言語学を専攻しておりました。現在は私立中高一貫校で国語科教諭をしております…

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東大大学院で言語学を専攻しておりました。現在は私立中高一貫校で国語科教諭をしております。言語学・日本語学の観点から国語教育(特に国文法)について考えていきたいと思います。

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国文法はなぜつまらないか

国語の授業で国文法を習った記憶は、きっと誰しもあるでしょう。「品詞」「文節」「○段活用」など、具体的な用語を覚えている人もいるかもしれません。 しかし、それらの記憶を面白かった、楽しかったものとして思い出す人は、あまりいないのではないでしょうか。むしろ、「元から使える日本語の文法を学ぶ意味がわからない」「学んでも何も役に立たない」と思っていた人も多かったのではないでしょうか。 それは、国文法(口語文法)が古典文法(文語文法)を学ぶための準備段階として教えられていることが多

    • 国文法を学ぶ意味とは?

      この記事では、国語の授業で国文法(口語文法)を学ぶことの意味について考えてみたいと思います。 巷では、国語の授業で現代語の文法を学ぶことについては、「日本語は学校で文法なんか習う前からちゃんと使えるようになっているのだから、言語の運用能力を身につけるためには文法の知識など必要ないのだ」という声を少なからず聞くことがあります。 しかし、母語の文法を改めて学ぶことは、自分が使う言語をメタ的な視点で見ることができる、という大きな意味があります。 文法とは、母語使用の背景にある

      • 品詞は曖昧:品詞の連続性

        今回は、「品詞の連続性」について考えてみたいと思います。 前回の記事では、形容動詞の名詞との近接性について取り上げましたが、これはまさに品詞の連続性に当たります。 下の図は、品詞の連続性を示した図です(寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味』p. 74)。 同じ品詞に分類されている単語でも、その品詞の範囲内のどこに位置しているかで、「いかにも名詞である名詞」や「形容詞っぽい動詞」などが示されています。「イロイロ」「別」は名詞と形容動詞の間、「アタタカ」「ヤワラカ」は形容動詞

        • 曖昧な「形容動詞」という品詞

          学校で習う国文法では、品詞分類の中に「形容動詞」というものが当たり前のように一つの品詞として立てられています。しかし、この「形容動詞」という品詞は、絶対的なものというわけではありません。すなわち、どのような文法体系であっても「名詞」や「動詞」などは欠かせないものであるが、「形容動詞」は必ずしも必要ではないということです。 今回はこの「形容動詞」について、改めて考えてみたいと思います。 国語辞典での形容動詞の扱い方まず、各々の国語辞典で品詞として形容動詞を立てているかどうか

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          認知言語学とは:『言語学の教室』

          今回は、言語学の一分野である認知言語学について書こうと思います。 認知言語学とは、ごく簡単に言えば、人間がことばを使う時に、どのように事柄を捉えているかについて考える言語学の分野です。すなわち、言語現象を研究していく中で、「ことば」のみならず、「ことば」を使用する人間の心・認知の部分にまで踏み込んで追究していくという姿勢をとっているのです。 認知言語学がどのような学問かを知るには、西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室:哲学者と学ぶ認知言語学』(中公新書)がおすすめです。 こ

          認知言語学とは:『言語学の教室』

          「なめられる」教師の必要性:その2

          前回の「『なめられる』教師の必要性」という記事の続きです。 「なめられる」教師像「なめられる」教師の最大の強みは、「生徒の本音を聞き取り生徒の生活現実に直接触れることができる」(田中 2016: 67)ことである。その強みは、自身の存在要求・発達要求をトラブルや問題行動という形で表に出す生徒に対して特に有効なものである。表に現れている行動について、発達過程における環境に原因があると考えることで、抑圧するのではなく、その行動をきっかけに子どもたちの懐に入っていくのである。

          「なめられる」教師の必要性:その2

          「なめられる」教師の必要性

          一般的に、教師というのは生徒になめられてはいけない、だから教師はなめられないような振舞いを常に心掛けねばならない、と思われている。 しかし、そのような考えとは真逆な、「『なめられる』教師が教育の新たな地平をひらく」という文献を以前読んで感銘を受けたことを思い出したので、それを読んで考えたことを書き記したいと思う。 教育現場の現状:ゼロトレランス方式とスタンダードゼロトレランス方式(以下、ゼロトレ)という教育方式では、教師は生徒に対して、実際の行動のみを見て、その理由・動機

          「なめられる」教師の必要性

          「ハ」と「ガ」から考える国文法教育

          前回の投稿からかなり時間が空いてしまい、申し訳ありません。また改めて国文法について考えてみたいと思います。 私が国文法教育に関して常々思っていることとして、「ハ」と「ガ」の違いについて、なぜ深く考えさせる機会がないのか、ということがある。 国文法では「ハ」は係助詞、「ガ」は格助詞ということくらいは必ず習うと思うが、その分類がそれぞれの単語の意味にどのようにつながるのか、ということは習わない。 現在、ある中学校で補習指導を行っているが、その中でこのようなことがあった。

          「ハ」と「ガ」から考える国文法教育

          国文法の問題点その4:動詞の活用

          久しぶりの投稿になってしまったが、今回は学校で習う国文法について、その問題点を「動詞の活用」という観点から見ていきたいと思う。 まず、学校では、動詞には「五段活用」「上一段活用」「下一段活用」「カ行変格活用」「サ行変格活用」の5種類の活用があることを習う。もちろん、この分類には何の問題もない。 問題があるのは、語幹(活用する際に常に音が変わらない部分)の定め方である。語幹は、助動詞が後接する際にどこまでを動詞と認めるかに関わり、非常に重要な概念である。 1. 一段動詞(

          国文法の問題点その4:動詞の活用

          国語辞典を味わう

          今回は、様々な国語辞典の記述を見比べることで、国語辞典を味わってみたい。 基本的な語彙の方が意味分類の仕方に差が出て、当然記述の仕方にも違いが見られる。国語辞典は知らない言葉に出会った時に引くものだと思われがちだが、基本的な言葉にこそ、国語辞典の奥深さが隠されていると言ってもよいだろう。 今回は、「追う」という言葉について、様々な国語辞典の記述を見比べてみようと思う。 岩波国語辞典(第7版) ①先のもの、前途にあるものに達しようとして進む。おいかける。 ②あとに従う。こ

          国語辞典を味わう

          「ている」「てある」を助動詞とみなすべき理由

          以前の記事で、「〜ている」という表現の学校文法での扱い方について取り上げた。具体的には、「〜て」+「いる」のように分け、「いる」を補助動詞と捉える従来の学校文法(橋本文法)の問題点について見た。 今回はそれを踏まえて、学校文法において「ている」「てある」を助動詞とみなして分析することのメリットについて考えてみたい。 1 「ている」現在の言語学・国語学では、「ている」は「動作の進行」、あるいは「結果の存続」を表すとされている。 「動作の進行」とは、「太郎が走っている」のよ

          「ている」「てある」を助動詞とみなすべき理由

          映画『聲の形』に見る障害者教育

          この記事では、日本語から離れて、教育の中でも障害者教育、さらには全ての児童生徒に対する教育のあり方について、映画『聲の形』を題材にして考えていきたい。 1. はじめに障害を持つ児童生徒に対する教育の現状については、以下のように言われている[5]。 「障害のある幼児児童生徒については、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加するために必要な力を培うため、一人一人の障害の状態などに応じ、きめ細かな教育を行う必要がある。このため、障害の状態などに応じ、特別支援学校 や小

          映画『聲の形』に見る障害者教育

          国語辞典を使ったゲーム

          国語辞典はただ知らない言葉の意味を調べるためだけに使っている人が多いと思う。しかし、世の中には国語辞典を使ったゲームがたくさんある。今回は、そのような国語辞典を使った遊びを紹介したい。 (この記事で紹介しているゲームは全て下のイベントが出典となっています。) なお、この記事の問題は全て『新明解国語辞典』第七版から作成しているため、家庭にある国語辞典でも十分遊ぶことが可能である。 ・ 「たほいや」多くの人が知らないような言葉を出題し、選択肢の中から正しい語釈を当ててもらう

          国語辞典を使ったゲーム

          考える国文法その1:「音便」

          この記事では、国文法教育について、従来のような一方向な知識の詰め込みから脱した学習方法を考えてみたい。 ・ 「音便」という現象まずは、「音便」という現象について取り上げたい。音便は国文法教育においては、特に「書いて」や「習って」のような、五段動詞(古典文法なら四段動詞)の特殊な活用(「音便形」)として学習するだろう。 しかし、その扱いとしては、カ行やタ行のような各行内での活用からはみ出るものとして、詳しく取り上げられることはない。これはとてももったいないことである。このよ

          考える国文法その1:「音便」

          国語科新指導要領から考える文学の価値

          前回は、国語科の新学習指導要領や大学入試改革について提言がなされている東京大学文学部広報委員会編『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』(集英社、2020)を取り上げた。 今回は、国語科の新学習指導要領について、以前から考えていることをその意義と問題点に分けて記そうと思う。 1 「新学習指導要領」の意義「論理的な文章」と「実用的な文章」を教材として扱う機会が増えること自体は、現代においては必要なことだと思われる。 情報メディアが必要以上に発達し、SNSが生活に浸透

          国語科新指導要領から考える文学の価値

          『ことばの危機』を読んで

          この記事では、東京大学文学部広報委員会編『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』(集英社、2020)を読んで考えたことについて記そうと思う。 この本は、東大文学部の先生方が、国語教育における大学入試改革や学習指導要領の改訂がもたらす「ことばの危機」について提言を行ったものである。昨年東大文学部で行われたシンポジウムの内容が元になっている。 国文学のみならず、翻訳学や哲学など、人文学という見地からのとても示唆に富んだ内容であったので、この記事と併せてぜひ多くの方に読ん

          『ことばの危機』を読んで