自分のいる場所が「ふつうの場所?」
友人とギターについて話していると、「一流ブランドのものより国産の方が優れている」という話になった。
それはまあエレキギターではなくアコースティックギターだったので、木の素材によるところが大きい。友人はマーチンというブランドのギターと、ヤイリという国産メーカーについてそう話した。
私もヤイリ社が作ったギターを持っている。確かに、値段のわりには音がすごくいいし、弾きやすい。
ただ、これはマーチンのギターが劣っているとかそういう話ではなく、日本の気候が関係しているんじゃないかと思う。マーチンはアメリカの会社だ。なので、マーチン社の作ったギターをアメリカで弾けば、そっちの方が音がいいんじゃないだろうか。
同じように、自動車なんかも、日本で乗るのなら国産車がいい。いいというか、外国産の車はすぐダメになる。スケボーの板にも同じことが言える。
そう考えると、いま自分たちのいるところは湿気が多いんだなとわかる。ずっと高温多湿の国で暮らしていると、そのことを実感しづらい。
さらに深く考えると、自分が接している社会(の一部分)もまた、それが普通なのかどうかわからなくなる。私は関西に住んでいる。だから、関西弁が「普通の言語」だ。私の周りで標準語を使うと、けっこう不思議がられる。
極端な場合には、標準語を毛嫌いする人がいるくらいだ。(厳密には東京弁なのかもしれないが…)ただ、標準語はきっと東京に住む人たちの文化というよりは、「いろんな地域から集まった人たちにまんべんなく理解される言語」みたいなものだと思う。なので、私は関西人だが、標準語も使いこなせるようになりたい。
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