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20XX年のゴッチャ その23 

 御前会議 
 
「列車内の様子はその後どうなっている?」
 
 習近平主席が幾分甲高い声で尋ねると防疫・公衆衛生問題を統括する国家衛生健康委員会担当国務委員・趙龍雲が応えた。
「朝晩のPCR検査でも排せつ物の検査でも何も引っ掛かっておりません。これまでのところ金総書記訪問団に新型コロナに関する限り異状はございません」
「後何日待てば良い?」
「厳密には最大二週間でございますが、入国後十日程何も出なければ受け入れを正式に決めても大丈夫かと思われます。それですぐにこちらに到着する訳でもありませんし、ご面談までに万が一の事があれば面談を更に遅らせることも、取り止めることも不可能ではないと存じます。一方、陰性が続くなら、換気を良くし、シールドを置いた上で十分な距離を取ればリスクはほとんど無いと思われます。治療薬の予防服用もご検討いただくことになる場合もあるかと存じますが…」
 
 その日、夕刻、北京の中南海では御前会議が開かれていた。習主席自らが会議を取り仕切っている。
 
「変異株の調査は?」
 
 人民解放軍軍事科学院の責任者が応える。軍事科学院は対生物兵器の研究担当でもある。
「フル装備の衛生中隊が最新の検査資材を取り揃え、昨日、ようやく平壌に入りました。BSL4並みの移動研究施設を積んだ船も本日平壌近くの港に着きます。数日中にも結果が出るものと期待されます」
 人民解放軍の調査団受け入れには北朝鮮軍が難色を示していたが、受け入れなければ総書記一行を追い返すという脅しが漸く効いた様だ。
 
「やはり変異株と考えるか?」
 
 今度は公安部長が応える。
「ワクチン接種済みの高位層の感染状況と病状からしてワクチンの効かない変異株が出現したと考えるのが筋かと存じます。しかしながら、ワクチンを受けていない一般階層の感染率や重症化率に大きな変動はないようです」
 
「それはどういうことか?」
 
 防疫・公衆衛生担当の趙国務委員が引き継ぐ。
「新たな変異株の感染力と毒性はワクチン非接種層では変わっておりません。しかし、接種済み層ではいずれも高いということのようでございます」
「つまり?」
「ワクチンが単に効かなくなったというだけでは無い可能性があると懸念致しております。すなわち新たな変異株はADE・抗体依存性感染増強を引き起こす恐れがあるという懸念でございます」
 
 この発言に習主席も暫し押し黙る。一同からは小さなどよめきが起こった。
 
「それはいつ確認できる?」
 
「初期の遺伝子解析よりは時間が掛かるかもしれません。と言っても暫定結果なら一日か二日遅れる程度だと存じますが…」
「まずいな…封じ込めは可能なのか?」
「多分、まだ間に合うかと。北朝鮮は事実上の都市封鎖をしておりますし、国境警備は万全です。鼠一匹通しません。彼の国が我が国の全面介入を受け入れればまだ可能かと存じます。検査と治療薬の投与を大規模に行いADE株を抹殺するのです。幸いにと申し上げますと語弊がありますが、ワクチン接種さえしていなければ既存株と感染力も毒性もほぼ変わりません。一日でも早く対処すれば従来株と同じように封じ込めは可能かと存じます」
「万が一、失敗すると?」
「それは…大事に発展するかもしれません」
 
 一同、息を飲む。趙国務委員は「なるかもしれません」と言ったが、ADE株の封じ込めに失敗すれば新たなパンデミックの恐れがある。それもワクチン接種の進んだ先進国でより酷いことになる恐れがあった。
 
 しかし、趙国務委員が補足した。
「恐れながら、ADE株にも対応可能と期待されるワクチンは現在最終治験に入っております。緊急使用なら年内に可能になると期待されております。また経口治療薬も理論上は有効と考えております。万が一、漏れ出しますと一定数の犠牲と大混乱は避けられないでしょうが、対応は可能かと存じます」
 
「さて、どうするか?」
 習主席は劉副主席を見る。
 
「まずは金総書記を説得する必要があります。全面介入を受け入れるまで説得を続けるのです」
 劉副主席が応えた。つまりは全面介入を受け入れるまで帰国させないということになる。
「次に、確かに我が国だけでも十分対応は可能ですが、万が一のリスクを考慮すれば国際的な支援の枠組みを直ちに作り上げるべきかと思われます」
 
 習主席は頷く。
 
 中国が単独介入して万が一失敗すると、隠ぺいしたとか独断専行して世界に禍を再びもたらしたと間違いなく指弾される。WHOは勿論アメリカや欧州も引き込まなければならない。これも北朝鮮をまず説得する必要があるが、アメリカや欧州は否も応もない筈だ。
 
「いつ、どういう段取りを踏んで、国際介入を実現するか、計画は出来ているか?」
 習主席が劉副主席に確認した。
「はい。まずは説得、そして、次に国際的な根回しを早急に。主席ご自身にもご対応をお願いすることになるかと存じます」
「分かった。一同、然るべき最速の時点で一行の北京入りを決め面談の手配をして欲しい。そして、訪中を公式に発表する」
「承知しました」
 一同の返事が会議室に響いた。
 
 会議後、習主席は劉と公安部長を執務室に呼び込み尋ねた。
「病人の様子はどうだ?」
「安定しているようです」
 劉が応えた。
「フランス行きの手筈は?」
「予想通り空飛ぶ救急車を予約した模様でございます」
 空飛ぶ救急車も中国当局の許可無しに領空に入ることは出来ない。会社から飛行計画の提出と申請があったばかりだった。
「成る程…」
公安部長の報告を受け、習主席は少し考え口を開いた。
「北京での手術を勧めるのも有りだな」
「御意」
 劉が賛同した。場合によっては人質にするのだ。
 
 撮り鉄
 
「日本政府も韓国政府もかなり焦っているでしょうね。何かお聞き及びですか?」
 翌週月曜日、オーフ・ザ・レコードのカウンターで菜々子はルークと桃子に尋ねた。
 
「北朝鮮でワクチンが効かない変異株が出現した恐れは強いと見ているようよ。ただ、そのウイルスを入手して確認できる段階ではないから、結構、焦っているみたいね。北だってどこまで分かっているか怪しいものだし、それを日本や韓国に真っ先に伝える訳は無いでしょうしね」
 桃子が国情筋の見方を披露した。
 
「俺の知り合いもそうなったらどう対処するかという国内対策を考えるのに今は精一杯みたいさ。北以外で真っ先に確認できるのは多分、中国だろうが、問い合わせて教えてくれるような相手では無いからね。アメリカが証拠をどこまで揃えているかだが、多分、まだ状況証拠に過ぎないだろうしさ。武漢株の由来だって多分中国以外、まだ誰も分からないんだから仕方ないんじゃないの」
 ルークが披露したのは日本政府筋の感触だ。
 
「心配ですよね…」
 菜々子が応えるとルークはパソコンを持ち出し、ADEを説明するページを二人に見せた。
「これだったらとんでもないことに発展する恐れがある。内調系の別の知り合いも真剣に危惧しているよ…関連情報は無いかとこっちに問い合わせてきたぐらいだからね」
 
 最近の若手の中に情報・公安当局に顔の利く記者は少ない。特に外国のそうした当局者に独自のルートを持つとなると滅多に居ない。政治部記者が官邸筋からこういった類の情報を聞き込んでくる場合もあるが、そういう話は他社も知るケースが殆どだ。横並びで独自色は薄い。こんな時は意図的なリークに近い話ばかりというのが実態かもしれない。だからこそ、ルークや桃子、矢吹の情報網は価値が高く、時に日本の当局も驚くような報道に繋がったのだ。
 
 今回の一連の情報も大元は桃子であった。菜々子はその有難みと共に、後輩達の取材を突き詰めようという姿勢に物足りなさを改めて感じていた。ルークの口癖ではないが、どんなに叱咤しても生温いのだ。
 
「しかし、ぼちぼち色々と表に出て来てもおかしくない頃なんだが…撮り鉄情報もまだかい?」
「それもまだ…北京支局はあちこち当たっているんですが、難しいみたいです」
「いずれにせよ、もうすぐ北京入りだろうね」
 
 その頃、金正恩総書記一行を乗せた北朝鮮の特別列車は、遼寧省の省都・瀋陽の広大な操車場に居た。周辺にわざわざ住んでいる中国の熱心な撮り鉄達はその姿をカメラに収めていた。しかし、アップロードしようとしてもネットがブロックされ、不可能だったのだ。しかも、彼らは軒並み、数日前に地元公安の来訪を受けていた。公安担当者は、他愛のない世間話の後、去り際にこう言った。「最近は規制が厳しくなっていますから、無理はしないように」
 
「チクショー、今出せば結構な値がつくのに…」
 その撮り鉄の一人、唐軍は嘆いた。唯一外部と繋がる有線電話で同好の士に問い合わせると皆同じ目に遭っていた。
「仕方ないな。それでも、今はもう何も言って来ないということは、ネットが繋がったら出しても構わないという意味だな…。待つしかないな」
 勿論、他の町に持ち出せばアップロードも可能だが、そんなことをすれば最低でも拘束され、機材を没収されるのが関の山だった
 
 オーフ・ザ・レコードではあーでもないこうでもないと情報の再精査が続いていた。そして、それが一段落するとルークが言った。
「お腹空いた?今日は特製チキン・マカロニ。グラタンがある。旨いぞ。食べるだろ?」
「はいー」
「もちろん頂きます」
 
 寒い冬の日に熱々のグラタンは嬉しかった。三人組の別の客も入ってきた。仕事の話はもう終わりだ。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。
 
©新野司郎
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