20XX年のゴッチャ その94

  確認


 
 ホワイト・ハウスでは国家安全保障会議が漸く終わり、大統領が執務室のオーバル・オフィスに戻ろうとすると、アマール補佐官とマキシーン・ウイラード国家情報長官、ジョン・トルキンCIA長官、それにコリアミッション・センターのファン・ジアン所長が続き、追加の説明機会を求めた。
 
「何があった?」
 
 大統領が尋ねるとアマール補佐官は情報長官を見て発言を促した。
 
「中朝首脳会談の直後に北京からパリに向かった空飛ぶ救急車があった件はご報告申し上げたと思います」
 
「そうだったな…」
 大統領は訝しそうに頷いた。
 
「その空飛ぶ救急車に乗ったのは金正恩総書記本人だったことが分かりました」
 ウイラード情報長官が断言した。
 
「何と…待てよ。ということは平壌で現在、国の指揮を執っているのは誰なのだ?」
「個体としては別人という事になります。しかしながら、その平壌に居る最高指導者こそが公式には金正恩総書記であるという体裁になります」
 
 理解し難い異状であることは間違いない。
 
「確か兄がいたな?まさかクーデターではあるまい?」
 大統領は全く腑に落ちない様子で尋ねた。
 
「平壌にいて総書記役を務めているのは、まさに兄の正哲と考えられます。しかし、その兄こそが今は正恩総書記なのです。替え玉というより、完全な代役と思って頂くのが適切かと存じます。クーデターではございません。この場合、ロング・ラン・ミュージカルの主人公役と同じで、兄・弟、どちらがその役で出演しても同じ主人公であるということです。それと同じなのです」
 
 当を得た説明なのかも知れなかったが、直ぐに納得はし難い。
 
「すると、つまり、二人は一心同体ということでもあるな?」
「そうお考え下さい」
「とすると、今回の動きは二人とも承知の上ということか…」
「妹の与正書記も考えは同じと思われます。むしろ中朝首脳会談以降の一連の動きに関しましては三人の兄弟妹で一体となって最高指導部を形成して実行したものと言えるかもしれません」
 
 普通では在り得ない驚きの事態だが、あの国なら可能なのかも知れなかった。
 
「うーむ…では、北朝鮮の今回の動きは個体としての正恩がどうなろうとも変わらないと理解して構わないか?」
「何が原因でどうなったかによりますが、基本的にはその理解で問題は無いと思われます」
「成る程…そんなことがあるとは…」
 
 大統領は何とか納得しようとしていた。
 
「で、パリに向かった御仁はどうなったのだ?」
 当然の問いだ。
 
「それは、こちらのコリアミッション・センターのファン・ジアン所長がご報告申し上げます」
 トルキンCIA長官がジアンを指名し、ジアン所長が説明を始めた。
 
「大統領閣下、その後の調査で、我々は空飛ぶ救急車に乗った患者がパリ市内の病院に入り、生体肝移植手術を受けたことを掴みました。ドナーも北朝鮮から連れて行きました。しかし、それが誰なのか決め手をなかなか得られなかったのですが、韓国の国家情報院は、その患者こそが金正恩総書記本人に違いないと、情報長官が申し上げた通り、あくまでも個体としてですが、そう断定致しました。
 その根拠はAIによる画像解析と様々な状況証拠を積み重ねた結果ということでした。
 フランス当局は、我々の問い合わせに対して、当初は梨の礫でしたが、今週に入って漸く、患者はカン・チョルと言う名義の公用パスポートを保有する北朝鮮の外交官であることだけは認めました。ただ、それ以上は頑として認めませんでした。あくまでもカン・チョルという名前の一外交官で押し通すつもりのようです。諸事情を考慮しての事だろうと思われます」
 
「諸事情とは?」
 大統領は更に問い質した。
 
「フランスがいつ確認したのか不明ですが、やはり北朝鮮の独裁者を、人道的見地とは言え、求められるままに受け入れたということが今となって明るみに出ると野党や国内外の人道団体などから非難を浴びるのは必至、また、それが表に出ると病院周辺が大騒ぎになり収集がつかなくなる恐れがあるからだと思われます。北朝鮮の最高指導部に貸しを作り、チャンネルを維持したいと言う思惑もあるのでしょう。フランス政府は、もしかすると最初から分かっていたのかも知れませんし、今となって苦慮しているのかも知れませんが、もう後戻りは出来ません」
 
「ふん、フランスらしいな…奴らが何を考えているのか理解に苦しむが、中国は?気付いていない筈は無いと思うが…」
 これまた当然の問いだ。
 
「そのように存じます。しかし、中朝首脳会談のテーマはADE株の封じ込めという緊急にして重大な事柄でした。そちらへの対処を優先し、総書記の人定に関しては追及しなかったのだろうと推測できます」
 
「成る程…しかし、それが今になって明白になると習近平は赤恥を掻くな…」
「ですので、中国も、パリの患者は総書記ではない、封じ込め作戦に同意した総書記は平壌で国を統治しているという立場をとことん維持すると思われます。ADE株対策が最優先なのは今も変わりません」
 
「結局、この点に関しては皆同じ船に乗っているということだな?」
「左様にございます」
 
「手術は上手く行ったのか?」
「そのように認識しております。退院して帰国できるようになるのはそれ程遠くないと思われます。私からのご説明は以上です」
 
「で、我々としてはどういう態度を取るのが良いのだ?」
 大統領は暫し考え、アマール補佐官に尋ねた。
 
「現時点では様子を見守るのが最善かと存じます。仮に、今、我々がこの事実を発表しても、北朝鮮や中国、それに、多分、フランスもそんなことは断固として認めないでしょう。現に北朝鮮の最高指導部は、既に申し上げました通り、平壌で健在です。政治的にプラスは無いと考えられます。むしろ、却って、北朝鮮がまた殻に閉じこもり、凍結宣言や査察の受け入れを撤回する恐れが出て来ます。それは望ましい事ではありません」
 
「我々はこれにも乗る必要があるということか…」
「現時点では御賢察の通りかと存じます」
 アマール補佐官ら出席者全員が頷いた。
 
「しかしだ…、とすると凍結宣言は、金正恩の無事帰国を図る為の壮大なカモフラージュということも考えられないか?」
 大統領も鋭い。
 
「現時点でその可能性を否定する材料はございません。しかし、凍結と査察受け入れは、朝鮮半島に安定をもたらす始めの一歩となり得るものです。我々がずっと求めて来たものでもあります。これを今、潰すような事態は避けるのが得策と存じます」
「それはその通りか…」

 渋々ながら大統領も同意した。子供の頃に正直を美徳として育てられた大統領も今は政治家なのだ。
 
「前にも申し上げましたが、今回、手術を受けたのも、ADE株の封じ込め作戦を受け入れたのも、彼はまだ生きていたいからです。その証です。当然、彼らは今後も生き残りを第一に行動するはずです。また、今回、多大なリスクを冒してまでも手術を受けなければならないという状況に陥った以上、彼らは次の世代の事も間違いなく考え始めています。
 彼らが今回の一連の動きで何を勝ち取ろうとしているのか、何処まで行こうとしているのか、我々は慎重に見極める必要がございますが、彼らが乗り出そうとしているこの新しい路線を、当面、前に転がしてみるのが肝要かと存じます」

 アマール補佐官はこう進言した。
 
「うーむ…分かった。そのようにしてくれ給え。国務長官や国防長官には?」
「これから内々に伝えます…なお、申し添えますが、例えば、もしも、凍結宣言が単なるカモフラージュに過ぎなかったということが明白になった場合は、我々はこの事実を公表し、北朝鮮の不実を非難することが出来ます。習近平の顔に泥を塗ることも可能です」
 
「中国も一蓮托生に見せることは出来るか…分かった。その時はまた考えよう。言うまでもないが、トプシークレットだ。機密保持は厳重に頼む」
 
「承知いたしました、大統領閣下」

 アマール補佐官らは連れ立って全員オーバル・オフィスを退室した。
 
 ジアン所長は韓国系アメリカ人の一人として、金王朝には人並み以上の嫌悪感を持っていた。しかし、私情は忘れ、半島の安定を最優先すべきと改めて肝に銘じていた。
 
***

これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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