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誕生への導線 - JACSON kaki が視る地平 -


CALM & PUNK GALLERY で開催中のJACKSON kaki、toiret status、Szemán Petraの3名の作家によるグループ展「ZOR」を訪れた。

3DCGクリエイター / VJなどとして活躍している JACOSON kaki が本格的にアート作品に取り組み始めた2022年以降、できるだけその作品や思想には触れてきたつもりでいる。メタバース / バーチャル・リアリティにおける身体について模索を続ける彼にとって、身体とはまさに「生きている証」の象徴であると考える。今回のグループ展で発表された新作において、私なりに少し整理しておきたいと考えた。

なお、本省察は作家本人の意向や思想を代弁するものではない。また、評論家ぶって作品を評価するものでもないことだけはご承知おき願いたい。


死へ憧憬からあぶりだされる暴力へのアンチテーゼ

2023年初頭にIAMAS2023で発表された『Violence in Metaverse』ではフィジカルな身体(=肉体)に暴力を与え続けるさまをVR上で再現した。死体・死について憧憬ともとれる態度を示しながら、そこに至る過程としての痛みを捉えた作品に包含されていたのは、さまざまな「痛み」への問いかけでありる。

IAMAS2023より

JACKSON kaki 自体は、どちらかといえば温厚な人柄であり、争いごとを好まない。私はそれこそが彼が死や暴力に惹かれる大きな要因であると考えている。彼はそれを好まないし、対峙するつもりもないだろう。だからこそ体現し得ない感情や力を表現する必要があったのではないだろうか。

『Violence in Metaverse』では直接的にダメージを受けていない鑑賞者にも居心地のわるい暴力を提示し続けていた。鑑賞者は否が応でも暴力というものと対峙しなければならない。彼がここで示したのは、まさに向き合うという感情であった。

私はこの作品において、彼が示す身体という在処について強い関心を覚えた。複次元的な身体観は従来の哲学では存在していなかった。身体は常に感じられるものであり、認識されるものであった。テクノロジーの進化によって獲得したバーチャルな身体を「私の身体」と呼べるかどうかは別の議論であるとしても、本作でJACKSON kakiが見ている地平は、思想面から私が見ているところに限りなく近いということは間違いない。

肉体への疑義

JACKSON kakiは2022年3月にBE AT STUDIO HARAJUKU(ラフォーレ原宿6F)で開催されたグループ展「Supernatural LABO」 ではインスタレーション作品『Incarnated Avatar』を発表し、フィジカルな肉体そのものへの疑義を提示した。

Incarnated Avatar / JACKSON kaki

この前後でずいぶんゆっくりと、かつじっくりと彼と話をする機会を得た。メタバース的な世界観はやがて到来するマルチバースと融合し、人間はあらゆる身体との接続を可能にするだろう。そこにおける自我や存在について考えるのが私の仕事とするならば、それぞれの世界で生きる身体の在り方について考えるのがJACKSON kakiの仕事であると確信した。

私たちは大きな意味で同じベクトルに向かっていながら対象となるレイヤーが異なる。だから私たちはお互いの思想について深く理解しようとする態度が必要である。それはそれぞれが考えるものと異なる可能性が高い。しかし、だからこそ批判してはならない。考えや態度が異なるからこそ、そこに理解しようと努める態度が必要なのだ。
私は彼の考えや作品について深く話を聞く。薦められた文献や資料は積極的に手を取り、同じように私からも経験や参考になりそうなものを提供する。私たちは接続できないかもしれないが、接続しようとする態度を続けることが私たちの思想の上での信頼を強固にしていくのだと信じている。

死(death)と性(sex)を繋ぐ誕生(Birth)

「ZOR」で JACKSON kaki が示したものは性である。それは性別というものというよりも本能的な性(= 生)への欲求であった。

死を渇望し、暴力で身体を確かめた JACKSON kaki は生(= 性)への執着を表現する。『自慰の複製』は、モーションデータを他のアバターへコピーすることができるという。私たちは自分のアバターにJACKSON kakiの生 = 性を乗り映すことが可能となる。果たしてそのアバターにおける身体性というのは、どこにあるのか。

単なる動きの複製として見ることは決してできない。その動作にはJACKSON kaki の情動が内包されている。彼はアバターを通して生を表現し、精を放つ。その性と身体を受け入れた身体(the other Avatar)には、彼の生きる力が存在している。それは新たな身体の誕生ではないだろうか。

多くの生物は死と引き換えに性の本能を発揮する。そして新たな生が誕生する。JACKSON kaki が次に捉えるテーマは誕生であるはずだ。死に憧れ、暴力を否定しながらも性の情動を直視する態度は、受精〜出産という生命の起源を捉えてほしいと願う。今生きている私たちはやがて死ぬ。死を待つのではなく、迎え撃つために私たちは生きることに執着する。生きるとは死ぬことであり、死とは生へのバトンである。

人生の折返し地点を迎えた私と、若さとエネルギーのピークを迎えるJACKSON kaki とでは生きる力や死生観が異なる。だからこそ、私たちはお互いが持ち得ないものをリスペクトしながら、その思想を理解しようとする態度が必要なのだ。

小説や新書、映画や展覧会などのインプットに活用させていただきます。それらの批評を記事として還元させて頂ければ幸甚に存じます。