見出し画像

【上川町】上川超会議の感想

上川町の未来を考える上川超会議という会議が行われた。

上川でお仕事している人、暮らしている人、活動している人、カミカワークプロデューサー(一般呼称はいわゆる地域協力隊)が登壇して活動報告自己紹介、展望や思いを発表する第一部と、

皆でグループワークをする第二部。

なんと、120人が集まり語り合うという場となった。総人口が3148人(3月の広報より)の町で、町の将来のために120名が集まるというのはすごいことだ。町内外から上川町民だという人が集まったのだ。

知ってる顔知らない顔があつまりざっくばらんに話せる良い場だと私は感じた。役職や年齢も関係ない。

まっすぐな思いを率直に発表するというのに触れて、私はちょっとうるっとしてしまった。

とても共感もしたし、とてもかっこいいとも思った。

地域を変えたい、日本を変えたい、教育を変えたい、世界を変えたい、自分のことが好きな大人を増やしたい、笑顔で幸せに過ごしたいというのを大真面目に真っ直ぐに語れる場として温めてくれた、自分よりもひとまわりもふたまわりもお若いリーダーたちに、感謝したい。

もとはばか真面目に真っ直ぐに思うところを語る人間であったが、こちらにきてから諦めと我慢の連続で、いつの間にか真っ直ぐに夢や想いを語るということをほとんどしなくなった。

I  have a dreamとスピーチしたことを恥ずべきことのように感じ、やりたいことを口に出さなくなっていき、口に出さないことを選んだ。

古い友人は驚くと思う。夢を語り合うためのノートシェアをして、夜通し夢を語り、やっていこう!というキャラの人だったからだ。

着物でうまいラーメン食べに行くとかそんなレベルからの話だけど(笑)楽しかったし、自分との約束を一つずつ果たしていくのが人生の楽しみだとおもっていた。

全部諦めてる訳ではないけど、
やってることもあるけど、行動に対しての非常に嫌な想いやストレス、孤独感から、結構本当に精神を病んだのだ。

人は行動を制限され毎日夢を否定され続ければいっぺんに病める。まして自分の大切なコアに近いほどダメージはデカイ。隠して見えなくしてしまおうと思う。

捕虜となった活動家への拷問として、土を掘らせて埋めるだけの何も産み出さない労働を課すというものがあった。無意味は人を殺すのだ。

人生初の過呼吸も経験したし、死ぬのをギリギリとどまったとかそんなレベルで、この町にきてからは、病んだことがある。

病まない死なないために、諦めて、我慢したに近いかった。なので、私はこのまちにきてから夢を話すと少し気持ちが苦しくなっていた。

自分の夢を叶え、人の夢をサポートすることを愉しみとして生きてきたいた人生からはかなりの転落だ。歯がゆく、腹立たしい。

今生だけでは時間が足りないくらいに大小やりたいことが沢山ある。

今日パンを食べたいという夢さえ叶わなくなるという現実を生きる親を15年みている。歯がゆい、悔しい、どうにかしたい。

小さな夢さえ本当にバカにできないのだ。

どんな小さな夢も悩みも、実はとても大切にされなければいけない。

自分を知り、自分の夢を叶えてあげられるのは、自分の言葉と想いと行動だ。

力が足りないが、少なくとも家に帰って気力を失っても、また頑張れる場所があるのは幸いなのだ。

自分がやらなくても町がそんな町だったというのは果しなくラッキーだ。

自己実現をするという熱量であたためてくれているから、大真面目に夢を語りやすい場もできてると思う。

少なくとも夢を笑われることは絶対にないと感じる場だ。

このまちは多分妄想したことを叶えていくだけの力があると思わせてもらったし、そうしていきたいと思った。

とても魅力溢れる人が沢山暮らしているんだなと改めて感じた。嬉しかった。

それから「子供達が走り回る会議最高だ」と言ってたの、確かにまじで最高だとおもった。

静かにしなさい、やめなさいの世界ではなくておとなのおしゃべりをよそにキャーキャー言って走り回り、和んだ。

上川高校の卒業生が語ったカミコーの魅力も良かった。

印象的なのが携帯で遊んでても「自分が困るだけだから」とスルーできる先生がいることなどの話。

ケータイはあれば没収、シャープペンのノックの音がうるさいと怒られる、鉛筆しかだめ(高校でないけど)などの謎の時代を生きた自分としては、改めてそうよね自己責任だよねとおもったけど、

干渉しないというのは余裕がないとできないことでもある。理由なく圧力に屈しがちだけれど、「なんで?」と跳ね返せる力を養うのをやれる公立高校はなかなかないと思う。

先生がジレンマでやられちゃう学校でなくて、先生も愉しそうだと最高だ。

ほっとかれてる(良い意味で)とか
面白い大人と関われるなど、「沢山言いたい魅力がある」と卒業生がいえる高校素敵だなとおもった。

学力だけではない、なにか面白ことに触れて大人になるのってめっちゃ大事。

高校はいじめと親による暴力と夜中も眠れぬ皮膚病で死にかけていた(いつでも死にかけてんな)黒歴史でしかない私には何だかまぶしかった。

そしてスライドがお洒落かつ見やすく、話も率直で良かった。ありがとう。

どうでもよい教育を通り、半ば諦めて受け入れてきていると、結構下の世代に無意識にどうでもよいことを引き継ぎがちである。

そこに、本当ですか?と問いかけられ、少しドキリとさせられ、反省できる機会がもらえてように思う。

本当に教わることばかりだ。

こうして当たり前の基準が違う若者が巣だっていくのは、素敵なことだ。

一人一人全部に細かく触れたいくらい、どの発表も良かった。

PORTO、ANSHINDOと役場と民間会社の共創
それだけでなくて森林で楽しむひと、町の活動を楽しむ人、教育(とても幅広い)、ビジネスとすごく面白い活動をしている。

面白いのその根っこには本当に地道な努力と細々した仕事がある。もちろん葛藤や否定の声もあるだろう。その責任の上で面白いを叶えているのだ。そのためにクタクタになりながら頑張る姿を見ている。

ここに出ていないひと、今参加していない人、既存の会社、過去の人、このまちを創ってきた先人、人の数だけあるきらきらしい夢たちなどまだ見えてないもの。

既にある、今創っているところも含めて、いい町だし、これからも素敵な町になるだろうなと思った。

「私のように病んだり悩んだりしている」というのも、夢がわからないというのも、私は可能性だと思う。

叶えてないということは、眠ってる、しまってあるだけだ。すごいバネを持ってるかもしれない。

悩んでるということは、同じ悩みがあつまれば、それは地域課題、地域ニーズだ。悩みや苦しみさえも、町を創るための原石だ。

今自分が生きているこの人生をもっとよくすることができるということだ。文句と不満のなかにある本当の願いを見つけると、何だかこう、怨念が成仏する気がする(しらんけど)

だからゆめいっぱいの人も、怨念がおんねんみたいな人ももれなく声をあげられる、声あげなくても声漏らせるようになればいいなとおもった。

声が大きいひとによりかき消されるのではなく。

一番遠く感じていた林業も、興味津々だ。伐採されてツンツルてんになった境内もどうにかしたい。

分野は便宜的に分けてあるが、それぞれが縦割りではなく、相互作用、相乗効果で発展していく可能性を感じた。

第二部、私は「健康、福祉」のチームで話したが、
食、林、地域社会と大きく関わり単独分野ではない広い視野で捉えてやっていくものだと思った。

福祉の話題には出てこなかったが、きてみんかの麻雀だって、町内のパークゴルフだって、しっかりボケ防止や健康と関わっているし、こどもの福祉、障がい者の福祉、お年寄りの福祉、公的扶助、なんらかの必要があってではなくての地域福祉、つまるところ誰もがただ幸せに健康に過ごしたいという希望を叶えるのに垣根はいらない。

林の中の薬草が健康をつくるかもしれないし、嗜好品としても、上川土産としてビジネスという形にしていくことも可能だ。

上川に藍染工房ができたら、また知らないところで私の夢が叶ってしまうとになる。すごい。

妄想の数だけ可能性がある。「やりたい」があるならやはり形にするのが良い。

福祉アレルギーの人が抵抗なく使える福祉の形とか、様々な細分化された分野での充実もしてほしいし、やってもらうばかりでなく、していきたい。

私は、福祉を学んだが、福祉を利用し享受して生き延びたクチだ。

後ろめたさや罪悪感がものすごかった。

生きることがもう恥ずかしいのレベルまでいってしまうほどで、学んだ割には福祉アレルギーも強めだ。

障害の捉え方も登壇された方の前職として語られてて共感したが、

障害とは目が見えないことだはなく、

それを可哀想だとかダサいとか劣るものとして捉えるだとか、そういった環境によるものだと捉える社会をつくり、

必要なヘルプを個々にできたらよいという形であればいいなとおもう。
(これは個人モデル、環境モデルというのは20年前から言われていた概念だが未だに浸透してるとは言えない)

障害に関しては家族に精神障害を持つものがいるため、非常に思うところがある。

私がこのまちで、私の人生経験とやりたいことからできることはなんだろう。

そのために今始められることはどれだろう。

農×福という概念が私は初めて聞く分野で興味深かった。もっとしりたい。

福祉を福祉で囲う服祉を感じるものが、私は生理的に受け付けないくらい嫌だと思うときがあり、ニュートラルで多様な形は何だろうとよく妄想する。

今私のなかで近い形のものがヘラルボニーさんとか、へろへろに出てくる下山さんのいた時のよりあい、ハッピーの家ろっけんの活動だろうか。

ボランティア経験、引きこもり、メンタルを壊す、ヤングケアラー、DV、いじめ、不登校、認知症介護、精神疾患をもつ家族がいるなど当事者として結構フルコンボだどん!みたいな人生を歩んできた経験を単なる被害体験ではなく力に変えていけたらいいなと思った。中々ないとおもうのよね。こんな生活問題デパート。

というか、その経験に青春も人生の大半もとられているので、生かさなければ私のなかにはホントになんも残らないなあと思う(笑)

興味分野としては文化芸術も強めなので参加したかった気持ちもあるので、やっていきたい。

どれも愉しそうだから細胞分裂してどれも見てみたい。やってみたい。

あれ、町民文化祭はなくなってしまったんだっけ?尚更、やっていかないと。

文化面に於いては、実は、古来からの日本の祭り、町の始まりである場を守るというミッションのために私はこのまちに(先述の気が狂いそうな我慢をとりあえず受け入れながら)住んでるので、これは本当に共に守っていきたいし協力してほしい…ガチで…それが私の仕事。

忘れてた。

非常にパッションを感じるイベントをありがとうございました。

町の人が自ら創るという機会、瞬間に居合わせたのが嬉しいなとおもう。

沢山の本音が言葉になってきた。いっこずつ、耳を傾けてやっていこう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?