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いつでも自分に優しく

On the level of Mind there’s only a vast sea of oneness, in which all of us are one with God and with each other. Every thought of attack, defense, blame, judgment, guilt, superiority, inferiority, whatever other walls the ego erects, keeps us from inner peace because it keeps us from our experience of the love that is who we are. - Marianne Williamson

今日は昼に同僚と、夜にママ友と忘年会が続いた。

昼はこれからもう一緒に働かなくなる同僚と心置きなくランチ。息があうグループと話すのは本当に楽。なぜか全員疲れていて、一瞬ぼーっとした時もあったけど、一緒に何年も頑張ってきた仲間たちで仕事なしで話せるのは本当にうれしい。

夕方はママ友と忘年会ディナー。ランチのおかげであまり食べれなかったし、長いドライブがきいてつかれてたけど、日本語で人と触れ合うのは自分の日本人のアイデンティティに光りを通すような感じで、やっぱり英語で表現ができるようになっても、必要なんだと感じる。ディナーのあと自分の考えを言う話過ぎたし、表現がうまくできなかったなーとおもうのだけれども、今日は、self-journal のpromptを使って自分に優しくしてみようと思う。

最近自分の気分によって、だれかの視点から、その人の意見を仮定して、自分をジャッジする、「きっと。。さん/母(など)、はこう思っているだろうな」みたいな、頭の中で作るあげてることが多いことに気づいた。この仮定した誰かの視点というのも、勝手に自分でこう思っているだろうなと作り上げているので、私の頭の中は超大忙し(爆)。今日はまずそれが起こったら、その視点を自分に変えてみる。そして労う視点で自分をみることをしてみた。まさにJOURNALで自分できめたアファメーションを唱えるのと一緒に。

自分では教育をする際「決められた箱に押し込むような教育はすきじゃない」とおもっているけれど、だれかの視点から、その人の意見を仮定して、自分をジャッジするっていうプロセス自体、その人を自分が箱に押し込めて想像しているわけだ。考えを通す際も、自分の思考プロセス自体が自分の発する言葉と合わない場合、言葉を実践できる確率が低くなるようなきがする。

来年は「徳を積む」が目標。来年一月一日からはじまるマリアン_ウイリアムソンの「毎日奇跡のコースを一緒によむ」プログラムに参加するか迷い中。


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