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不便に慣れよう

たとえば携帯電話が使えないとなると、ちょっとしたパニック状態になる人は多そうです。

昭和の時代、黒電話か町の公衆電話しかなかった当時、それはそれで不便は感じなかったと思います。やっと文明の機器が家に来た!と思っても家族は必要以上に電話をかけることはしませんでした。

いまや日常のスマホ  もう生活の一部です。身体の一部なんですね。

「これがないと生きられない。」とまで言う人もいますが、本当は生きられますよ!

どんな場面にもスマホが傍らにある風景は当たり前になってきました。

しかし便利なスマホが故障したり見当たらなかった時の慌てっぷりは異常です。

昔、ガラケイもなく、もっと前はポケベル。いえいえ黒いダイヤル式の電話が一台それぞれの家にあっただけの時代。関所は父親。かけてきた相手が男性なら、内容も聞かず「いません」の一言。ちょっと長電話になると、何度も用事がないのに目の前を通ります。腕時計の辺り、右手の人差し指と中指でトントン!早く切り上げなさいの合図です。でもそれもまたスリルがある!というもの。

東京で暮らし始めたころ、大家さん宅の電話しかなく、かかってくるとブザーが鳴り、共同生活をしていた同じ関西出身の彼女とはベル2回が彼女。3回が私への電話であることを知らせてくれました。こちらからかけるのは気が引けて外の公衆電話や会社から実家や友達にかけました。100円玉をいくつも重ねて電話の横に…。

一番公衆電話が役に立ったのは、阪神淡路大震災の時でした。まだそのころは街のあちこちに電話ボックスがありましたが、みんな10円玉をかき集めて長蛇の列を作って安否確認に並びました。あの時10円玉貯金をしていた人は皆に喜ばれました。ほとんど回線がパンクして通話できずでしたが両親と話せた時は本当にほっとしました。

最近はこれが無ければ代用できるものはあるのか、何を優先するのがいいのか?その判断力が問われる時代になったようにも思います。便利が当たり前になり過ぎているからかもしれません。

自然現象でも「命を守る行動をしてください」と物騒なことも言われるようになりました。自分の命は自分で守る。他を当てにしてはいけない。それが今を生きるということなら、それはそれで覚悟すればいいことです。

いろんなことが起こっていますが、こんな時こそ温故知新。先人の知恵をお借りしながら生き抜いていきましょう。不便であっても切り抜けてきた知恵が今の私たちに果たしてあるでしょうか?

昨夜のカミナリに続く激しい雨は今朝の散歩を濡らしています。用を足したニケはそそくさとむっとする重たい空気の中帰ってきました。「今日はこれくらいで!」というのがよくわかる小走りでの帰路でした。

今日も いい日にしましょう!


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