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信仰は誰のもの?   ニケと歩けば 

街角に可愛い狛犬風?がいました。

何ともひょうきんな表情です。お昼になってすこーしだけ温かい日になりました。ニケは動かない彼?にクンクンと鼻を動かしたものの「なあんだ!」と言う表情で通り過ぎようとします。

この辺りにはいろんな動物のオブジェが置いてあります。ニヒルな招き猫はいつ見てもおかしくてひょうきんです。

近くには相楽園、こちらはつつじの名所です。
神戸の日本庭園。ホッとしたい時ふらっと訪ねます。

三宮神社は有名ですが四宮神社はひっそりと建っています。
芸能の神様弁財天をお祀りしているそうで朱色も鮮やかビルの谷間に色鮮やかな鳥居が目に飛び込みます。

知恵や富をもたらす神様だそうで、いつもなら階段は回避ですが、ちょっと登ることにしました。

数人が神殿で手を合わせています。
日本人ほど無宗教な民族はないと言われています。拝むのはお願い事がある時。信仰の自由は信仰しないのも自由ということでしょうか?

その人がその教えに心打たれてその宗教に入信することは納得できますが、初めて会った人から、最初の会話が自分の宗教の話やお誘いの内容だと早くも合わないような気になってしまいます。その人にとっては尊い教えであってもほかの人が信仰しようという気持ちが芽生えるわけではありません。

信者は広告塔といいます。その人の行いも大切です。いくらいいことを言っても行動が伴っていないと、評判を落とします。

ふと知り合いの顔が浮かびました。会えばいつも同じ話。私を改心?させようと言えば言うほど私の心は彼女から離れていきます。

信仰とは「各々の心の中にある、小さな宇宙」と聞いたことがあります。

崇拝の対象が山や海であった太古の昔、それは生きるためのもの。自然の偉大さに畏敬の念をもっていた時代です。

私たちはついつい人間がこの世のものをすべて支配しているような勘違いをしていますが、ちっぽけな存在であることを自然に知らされることが度々あります。

全てに感謝すると言えば何か大仰な気もしますが、生かされていることは間違いないようです。

ちいさな神社にも凛とした空気が漂っていて、寒い午後も気持ちのいい散歩になりました。

今日もいい日にしましょう!




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