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映画『月』をみて

『月』は、2016年におきた相模原障害者施設殺傷事件をモチーフとした辺見庸の同名小説を石井裕也が脚色、監督で映画化したものである。この上映にあたって様々な意見と議論がなされていると聞く。私、生業は精神科医の立場で私見を述べてみたい。
この相模原障害者施設殺傷事件当初から世論は一貫して殺害された重度障害者への哀悼とその処遇のあり方、そして加害者(植松聖)の心の闇に強い関心が寄せられ今日に至っている。とくにマスメディアはその観点で報じ続けている。

辺見庸の小説『月』は障害者施設で寝たっきり、何もしゃべれない(しゃべらない)重度障害者「きーちゃん」の視点とその思いが綴られている。その冒頭の箇所がとても興味深い。

『わたし(たち)を、しごと(学術研究、医療、宗教、清掃、介助その他)いがいのひつようと動機でみたがるひとは、ごくまれである。おおかたのひとは、わたしをほんとうはみたがらない。とおもう。視界にいれたがらない。視界にはいる回数を、可能なら、なるたけへらしたいとおもわれている。であろう。できればいっしょうみずにすめばいいと、おもわれている。みるがわにだって、かっとうがある。みるのをいとうきもちと、そうであってはいけないというきもち。みるのをいとうのをさとられたくないきもち・・・・・・。嫌悪と反嫌悪。さすがにそう公言はされないけれども、からだや体液に触れることも内心、忌まれているかもしれない。わかる。わかります。~(略)~むしろ絶滅を内心、期待されているかもしれない。』

『月』辺見庸 2021年2月25日発行 角川文庫(2018年10月単行本発行)より

と・・・。

そう相模原障害者施設殺傷事件がおきていなければ、こういった重度障害者施設の内情をここまでマスメディアも取り上げることはなく、多くの人はその内情を知ることもなかったはずだ。そして、そんな内情に蓋をしたままで日々を過ごしていただろう。もちろん『月』といった映画が制作、上演されることもなかった。

では「きーちゃん」の視点から内情をよく知る「ひと」とは、「しごと(学術研究、医療、宗教、清掃、介助その他)としてひつよう」とする「ひと」・・・。とくにその中でも「きーちゃん」らに深く関わっている「ひと」とは介助に携わっている「ひと」だ。

加害者である「植松聖」は、そんな介助に携わっていた「ひと」の一人だった。相模原障害者施設殺傷事件の前までは・・・。

映画『月』では、「植松聖」のモデルとされる登場人物は「さとくん」だ。

映画『月』公式パンフレット(2023年10月13日発行 株式会社スターサンズ)で
石井裕也監督は、さとくん役の磯村勇斗について次のように語っている。

『磯村さんは、また全然タイプの違う役者さんですね。本人に最初に会ったときの印象は、良い意味で「めちゃくちゃ普通」。狂気とか強烈なものというのは、まるで感じなかったんですよ。それが凄いなと思って。実は磯村さんと出会ったことで、この映画のさとくんのキャラクター設計が最終的に固まりました。もう「普通の人」にしようと。(以下略)~』

映画『月』公式パンフレット(2023年10月13日発行 株式会社スターサンズ)

では「普通の人」とはどんな「ひと」だろうか?
1929年、当時の九州帝国大学下田光造精神科教授が「執着性気質」といった性格特徴を提唱した。その特徴は「気配り、控え目、几帳面、凝り性、責任感が強い、完璧主義的傾向」で、かつ日本人に多い性格特徴と指摘している。
日本の明治時代以後の近代化、戦後の奇跡の復興もこうした「執着性気質」の人々で成し遂げられた、といっていいだろう。では、成熟した今日の日本社会はどうだろうか。この数年のコロナ禍、自粛要請、マスク着用、ワクチン接種、マイナンバー取得等々、すべて「任意」のはずだが、世間に合わせる私たち。何だか太平洋戦争中の「欲しがりません、勝つまでは」を彷彿とさせる。これもまた「執着性気質」。つまり「普通の日本人」なんだよね。よって、「執着性気質」は今も健在。しかし、この「執着性気質」には深刻な影がある。「うつ病」「様々な依存症」等の精神疾患を発症するといったリスクが・・・。

*『日本人に多い性格特徴である「執着性気質」に見る光と影』(2020年11月20日)
*『任意について』(2023年3月8日)

西脇健三郎note 参照

磯村勇斗はこの映画『月』を通して、そんな「普通の人」さとくんと、その先の深刻な闇におちいるまでのさとくんを見事に演じ切っていた。

では、現実の加害者の「植松聖」はというと、2016年、相模原障害者施設殺傷事件で犯行に至る5ヵ月前に措置入院になっている。診断は大麻使用による「薬物性精神病障害」、「大麻精神病」だった。そして、その精神症状は「大麻による脱抑制」だと・・・。
この診断と処遇判断は、「植松聖」を措置入院とした医療機関を管轄する自治体の精神医療審査会において妥当と判断、さらに相模原障害者施設殺傷事件後、複数の精神保健指定医が加わった調査委員会の「中間とりまとめ」においても、その措置入院の判断はやはり妥当とされ、退院後の支援を重視すべきだとした。そこで当時、この措置入院なるものにずい分と関心寄せられ、国民の多くがそんな入院制度を知ることになる。ただそれだけだった。
そして、毎日新聞 2016年(平成28年)8月16日付に次のような記事が掲載された。事件後の調査委員会のメンバーの一人である国立精神・神経医療研究センター松本俊彦(精神科医)薬物依存研究部長の談話として、

『容疑者は事件前の措置入院中に大麻使用の薬物反応があった。大麻は興奮を鎮める「ダウナー系」の薬物だが、人によってはアルコールと同様に逆に攻撃的になる。もともと精神障害や性格に極端な偏りがある人は、健康な人より少量の使用で問題が起きやすい』

毎日新聞 2016年(平成28年)8月16日付

と・・・。

確かにアルコールも「ダウナー系」の薬物だ。その脱抑制とは、酩酊状態をいう。飲酒運転はほとんどがその酩酊期におこすものだ。だが、警察に検挙されても措置入院とはならない。また、彼ら飲酒運転を犯して検挙された「ひと」は精神障害や性格に極端な偏りがある人とは限らない。概ね素面の時は「普通の人」だ。
そして、「植松聖」は事件後、心身衰弱・耗弱の精神障害と認定されず、死刑が確定している。

といったことで、私も精神科医を生業としているが、松本俊彦より石井裕也に与する。
何故なら市井の人たちは、こうした重大な犯罪事件がおきるたびにそんな凶行に及んだ「ひと」の存在がなくなること、つまり「~絶滅を内心、期待する・・・」といった思いを持つものだ。でも、彼ら加害者「ひと」の日常は意外と「普通の人」なのである。

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