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箱根駅伝 時代とともに見る     ~1980年代

どうも箱根駅伝ファン歴15年の19歳、三井です。

昨年100年の歴史を迎えました、箱根駅伝。今回からしばらく時間列を軸にストーリーを書いていきたいと思います。

まずは1980年代までをざっくりと書いていきます。

1920年、高等師範(現在の筑波大学)が優勝したところからスタートします。

時は流れ、中大が6連覇(1959年~1964年)を果たしました。岩下、横溝などスター選手も誕生します。また、順大はのちの総監督、澤木もこの頃の選手ですね。1970年代に入ると日体大 小沢欽一や大東大 大久保初男などといった山に強い選手が現れます。山の大東の呼び名もこの頃からでしょう。また、優勝回数では中大、早稲田に次ぐ日大が最後に優勝したのも1974年。7区を走った、野中は9人抜いたが実際の順位は一つしか上がっていなかったのもこの年ですね。

そのあと、日体大が5連覇(1977年~81年)を果たします。中でも1977年の完全優勝は圧巻です。石井隆士が1時間4分9秒で1区区間新を樹立するとその勢いで1度もトップを譲ることなく優勝を果たしました。のちのオリンピック選手である新宅雅也や谷口博美、また中村孝生や4年連続区間賞達成、最終学年では2区で1時間7分34秒(これは12年後の1995年に渡辺康幸が更新するまで破られなかった)を樹立しました大塚正美、世界陸上のマラソンで優勝するような谷口が6区に回るほど層が厚かったのです。学生ランナーとして初めて1万m27分台を達成した瀬古擁する早稲田も太刀打ちできなかったわけです。

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