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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑧

変わらず変わり続ける銀座のアイコン

今回の行き先
三愛ドリームセンター

東京・銀座のイメージといえば、多くの人が思い浮かべるのは「銀座4丁目交差点」ではないか。銀座通りと晴海通りが交差する場所だ。そして、この交差点の“顔”として頭に刷り込まれているのが「和光本館」と「三愛ドリームセンター」だろう。この2つの建物、デザインは全く違うのに、銀座に人々を迎え入れる“ゲート”のように見えてしまうのは私だけだろうか。

今回の目的地は、後者の「三愛ドリームセンター」の方だ。向かい合う和光本館は重厚な石張りの壁で、“いかにもレトロ”な細かい窓割り。戦前の1932年(昭和7年)に完成した建物だ(当初は服部時計店)。設計したのは渡辺仁(1887~1973年)という建築家で、上野の東京国立博物館本館や、品川にあった原美術館(原邦造邸)なども設計した。

写真1 三愛ドリームセンター見上げ

一方、今回の主役である三愛ドリームセンターは、和光本館とは対称的な総ガラス張りの円筒形。こちらは、いつ頃完成したものか分かるだろうか。1~2階にはカジュアルなカフェ(LE CAFE DOUTOR 銀座店)。その他のフロアには、ブランド店やギャラリーなどが入る。もしカフェで談笑する若者に尋ねたとしたら、「最近できたんでしょ」と答えるのではないか。

写真2 カフェ

完成年は1963年(昭和38年)だ。つまり、来年で築60年になる。前東京五輪(1964年)のためにつくられた国立代々木競技場(設計:丹下健三)は昨年、国の重要文化財に指定された。それよりも1年古い。歴史的には“文化財級”でありながら、商業施設として60年間“現役”という驚異的な建築なのである。

リコーの創業者、市村清が産みの親

建物を設計したのは、この連載の案内役である西澤崇雄さん(日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ)が所属する日建設計だ。設計チームの中心になったのは、前回の茨城県立図書館(旧茨城県議会議事堂)でも取り上げた林昌二(1928~2011年)。林は完成時、35歳だった。
 
このガラス張り円柱建築は、林の力だけでなく、オーナーである市村清(実業家、1900年~1968年)のアイデアと実行力に負うところが大きい。リコーの創業者である市村は、戦後間もない1946年、銀座4丁目に地上2階建ての「三愛ビル」を建設し、この地を販売の中心地として経営を拡大していった。発祥の地である2階建てビルを建て替えたのが、現在の三愛ドリームセンターだ。今、建物を見上げると、大きく「RICOH」と書いてあるのはそのためだ。

写真3 建物見上げ

OA機器のリコーと、婦人服の三愛。両者の関係にも説明が必要だろう。市村は戦前の1929年、理化学研究所(理研)が開発した感光紙の権利を譲り受け、業績拡大に成功。1933年に理研から理化学興業感光紙部長に招聘される。同社はリコーとなり、1942年に理研から独立する。
 
1945年に終戦を迎えると、市村は三愛商事(現・三愛)を設立。「三愛」というのは、「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」という市村のモットーだ。同社は、銀座4丁目で食料品店を開業し、後に婦人服専門店に転業する。現在は「リコー三愛グループ」となっている。

市村は三愛ドリームセンターの建設段階で、法隆寺五重塔(奈良県)をヒントに、建物中心に大きな柱を立ててビル全体を総ガラス化させた円筒型のビルを提案した、と「ウィキペディア(Wikipedia)」には書いてあった。すごい発想。あなたは建築家にもなれる!と思ったのだが、林の述懐を読むと「自分が提案した」と書いてあったので、公平を期してそちらも引用する。

「光の円筒」で広告収入をアップ

林によれば、設計当初は菱形の平面形だった。「敷地をつらつら眺めていると、敷地に合わせて建てるやり方もあるんですね。でも全然面白くもなんともないんですよ。しかも形が変わった土地で、鋭角で伸びて行っちゃう部分もあるから、あんまり中身が使えない。この敷地で実用価値を追い求めても駄目。宣伝価値のある建物をつくるしかない(林談)」。
 
林は広告塔とガラスの建築が一体化した「光の円筒」をつくることを市村に提案する。「市村さんという方は突飛な案に、案外乗る方だったんですね。無駄な面積を取るより、スカッとした方がよいと、あっさり賛成してくれた(林談)」。(ここまで『林昌二の仕事』/新建築社/2008年から引用)
 
おお、今度は林に、「すごい発想。あなたは実業家になれる!」と言いたくなる。円形にすることでテナントに貸せる面積は減るが、広告収入によってそれ以上の利益を上げようと考えたわけだ。建ち上がった三愛ドリームセンターの上部の円筒看板(屋上ネオン)には、「三愛」でも「RICOH」でもなく、「三菱」のマークがでかでかと飾られた。
 
三愛ドリームセンター館長の藤田昌宏さんにお話を伺いに行くと、事務所の壁に、歴代の屋上ネオンの写真が飾られていた。竣工時から30年近く続いた三菱マークも含め、筆者も全部この目で見た。自分の思い出と重なって、懐かしい。

アトラクションのような建設プロセス

それとともに、工事中の写真もすごいインパクト。エレベーターなどが収まる中心部の円筒コアの周りに、レコードのようなコンクリート製円盤が何枚も重なっている。
 
つくり方はこうだ。まず、中央の円筒コアと、4階までの床を建ち上げる。続いて、工場でつくったコンクリートの部材を、地上4階レベルで円筒の周りに並べて、ドーナツ状の床をつくる。これを一番上の床の高さ(屋上階)まで吊り上げて固定。続いて9階の床を4階で製作し、吊り上げて固定……と、上から床が増えていく作業を繰り返す。

続いて8階の床を4階で製作し、吊り上げて固定……と、上から床が増えていく作業を繰り返す。この現場は相当人目を引いただろう。これが“五重の塔”エピソードの発端か。

完成当初と今とで全体の形はほとんど変わっていないが、ちょっと残念なのは当初の光天井の印象が薄れたこと。林が「光の円筒」と表現したのは、外部の照明だけでなく、各階の室内の天井も含めてだったということが、竣工当初の夜景を見るとよく分かる。この光天井は、今も1階にだけ残っているので、建築好きはチェックしたい。 

写真4 1階

上ばかり見ていないで、足元にも目を向けたい。今回の取材で知ったのは、地上部の南北にある「コイコリン」という石の彫刻。「なでると夢がかなう」と言われており、今では元が猫であることがよく分からないほどツルツル。このコイコリン、なんと世界的に有名な彫刻家の流政之(1923年~2018年)の作品であるという。
 
流政之はこのコイコリンから12年後の1975年、ニューヨークの世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり、国際的評価を高めた。1963年完成の三愛ドリームセンターで起用したのはかなりの先見の明といえそうだ。それを知ると、なでずにはいられない。

正確に言うと、コイコリンだけでなく、その背景の壁も流政之の作品である。あっ、ここにも「RICOH」って掘り込んであったのか。

写真5 コイコリンと流政之の壁

8~9階はリコーが運営するギャラリーに

変わらない部分の一方で、建物内の店舗や施設は徐々に入れ替わり、当初から残っているものは1つもない。最近の話で言うと、2021年6月、最上部の8階・9階に、リコーが運営する「RICOH ART GALLERY」がオープンした。リコー独自のインクジェット技術とデジタル技術を用いて2.5D印刷する技法「StareReap 2.5」を用いた作品を展示している。入場は無料だ。

写真6 RICOH ART GALLERY。写真は2022年2月12日~3月5日に行われた「山内祥太 個展 Ballet Mécanique」の様子。

制作しているのは、気鋭のアーチストたち。60年前に若き流政之を抜擢した進取の精神が、今も受け継がれているのだ。

「無駄が多いから長く残る」

60年間、大きな変化はないけれど、徐々に新陳代謝を繰り返して、じわじわと変わり続ける三愛ドリームセンター。商業建築の理想形といえるのではないか。三愛ドリームセンター館長の藤田昌宏さんに、なぜそうなのかを聞いてみると、「無駄が多いから長く残るのです」との答え。なるほど名言。

円筒形という形は、通常の四角いビルに比べたら賃貸し面積の無駄が多い。曲面のガラスは制作費が高いし、清掃コストも高い。上部のあんな大きな塔屋も普通に考えれば無駄。ネコや壁の彫刻はもっと無駄。……と、無駄な要素を挙げようと思えばいくらでも挙げられるのだが、そのどれもが今のこのビルの価値に結び付いているともいえる。
 
もしあなたが仕事でどうしても実現したい企画があって、それがクライアントや上司から「無駄だ」と言われとき、このビルに連れていって「無駄が多いからこそ残るのです」とプレゼンしてみるとよいのでは。そして、最後に一緒にコイコリンをなでて、プロジェクトの成功を祈ってみては?

■建築概要
所在地:東京都中央区銀座5-7-2
完成:1963年1月
開業:1963年1月13日
事業主:三愛
設計:日建設計
施工:竹中工務店
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造(5階~R階の床はPSコンクリート
階数:地下3階・地上9階・塔屋4階

■RICOH ART GALLERYの利用案内
営業時間:12:00-20:00
休廊日:月・日・祝
詳細はこちら:https://artgallery.ricoh.com/?_ga=2.100207641.640005806.1645959949-1357532049.1645959949


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など

西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
アソシエイト ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。



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