全米男性会議 と フレッド・ヘイワード(1)【イントロダクション】

マスキュリズム(=男性に対する性差別の撤廃を目指す思想や運動)は、西欧と北米では普及しているようですが、残念ながら日本においては全くもって普及がみられません。男性の弱者性や被害者性にもきちんとスポットが当たることを望み、現状で生きづらさを抱えた男性が少しでも生きやすくなること(即ち《男性の解放》)を願ってやまない立場としては、大変悲しいことです。いつか、日本でも、マスキュリズムの広がりがあるといいなあと思います。そして、そのときには、先駆者である北米や西欧のマスキュリズムに学ぶことがきわめて重要であると考えています。そこにはたくさんの教訓があるはずだからです。
日本語で読める、海外のマスキュリズムについて記載した書籍は貴重で、その中の1冊が、下村満子さん による『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)です。

これは、1980年5月から1982年5月まで朝日新聞社のニューヨーク特派員を務めていた下村さんが、取材をもとに書いた本です。取材対象は多岐にわたり、《 男性の解放 》を願って奔走する、(今から約40年前の)アメリカ人男性たちの声がいっぱいに詰まっています。そして、それはきっと現代の日本で生きづらさを抱えた男性にとっても、癒しとなり支えとなりヒントとなるのではないかと考えています。
ただし、非常に残念ながら絶版となってしまっています。そして、世情を鑑みるに、再版は絶望的ではないかと思います。そこで、これからしばらくにわたって、この貴重な本の中から何編かを選び、引用・抜粋を行いながら内容を紹介していく予定です。自分自身の勉強と、この問題に興味・関心のある読者諸氏の参考になることを願って………。

さて、最初にとりあげるのは、『おれたちは女のための“カネ生み機械”じゃない』(pp.155~168) です。たいへん過激なタイトルが付いていますが、中身は決して過激で暴言に満ちたものではなく、内容もかなり濃いです。主に1981年6月に開催された《 全米男性会議 》のことが書かれていて、そこで基調講演をした フレッド・ヘイワード さん(当時35歳)にスポットが当たっています。
(それで、この記事の題名も、『全米男性会議 と フレッド・ヘイワード』としたのです)

今回はイントロダクションとして、いくつかの印象的な部分(この記事の執筆者である僕が心を揺り動かされた部分)を紹介します。

フレッドの心に、はじめて「男」に対する疑問が芽生えたのは、六歳の幼児のときであった。ちょうど朝鮮戦争のただ中で、ラジオの二ュースは連日、戦死した米兵の数を伝えていた。
(引用者註:当然ながらこの戦死者はすべて男性である。しかも徴兵制により意志にかかわらず戦地へ赴いて命を落とした男性である)
フレッドは、子供心にも、ぼんやりと 「男というものは、死ななければならないのだ」 ということを感じた。「死ぬことと殺すことが、男の役目なのだ」と。そして、とても悲しい気持ちになったことを覚えている、という。

ぼくたちは、そんな小さなときから、無意識のうちにそうした「男の在り方」のメッセージをただき込まれるのです。親 (引用者註:当然ここには父親も母親も含む) が、社会 (引用者註:当然ここには男性も女性も含む) が、映画、テレビドラマ、小説、歴史の本 ―― あらゆるものを通じて、「男というものは、その命をいろいろなもののために捨てなければならない」と教えるのです。国のために、イデオロギーのために、宗教のために、女のために、子供のために ――。

『男たちの意識革命』(pp.158~159)

僕も小学生の時や中学生の時に同じようなことを思ったことがあります。日本には徴兵制は無いけれど、社会科の時間に戦争のことを勉強したり、外国には徴兵制が今でも残っている国があることを知ったときなど、6歳のフレッド少年と同じような心持ちになったものです。
「若者」って表現になっているけど、男の子《だけ》だよね、男性《だけ》だよねと何度も反芻したのをまざまざと覚えています。そして、もし韓国などの徴兵制が残っている国に生まれていたなら、僕も……と想像して泣きそうになったこともまざまざと覚えています。

男は、命をかけて女を守らなければならない、と教えられます。ぼくには姉が一人います。小さいとき、ケンカになると、姉はよくぼくをなぐりました。でも、ぼくが成長して、姉との腕ずくのケンカで決して負けない年齢になったとき、母はぼくに「男の子は決して女の子をなぐってはいけない」と厳しく言い渡したのです。「女の子が男をなぐるのはいいけれど、男が女をなぐってはいけないのだ」と。

女は男より価値ある存在なのだ。より尊いのだ。フレッドはそう信じるようになった。だから、女性たちが口々に「女性は二流市民」であり「男たちに力で支配されてきたのだ」というのをきいたときは、びっくりした。彼はそれまで、男は実に弱くてもろい無力な存在で、女の奴隷にすぎないと感じていたからだ。

『男たちの意識革命』(pp.159~160)

僕は小・中学生のころに女子児童・生徒の集団からの執拗ないじめに遭い、心に大きな傷を負いました。その後1年近くにわたり、若年女性恐怖症を患い、克服するために多大な苦労をしました。もしかしたら、今も完全には治っていないのかもしれません。
「女子にいじめられる男子」や「女性に暴力を受ける男性」というのは、相当辛いものです。「女の子が男をなぐるのはいいけれど、男が女をなぐってはいけないのだ」 というのは、何もフレッドさんの母親だけの特別な考えではありません。女子(女性)による男子(男性)への暴力・いじめは、見過ごされがちです。場合によっては、加害者たる女子(女性)ではなく、被害者たる男子(男性)が周囲から攻撃されたり嘲笑されたり罵られたりすることさえあります。
それでも、されるがままに黙っていることを強いるのが、社会の規範です。いじめ自殺は女子生徒よりも男子生徒の方が多く、成人でも男性の自殺が多数ですが、この辺りの問題も関係していると僕は思います。

フレッドは、基本的に、女性運動に賛同していた。女性がこれまでの固定された役割に甘んじるのをやめ、多様な生き方の選択をすることには、大いに賛成だった。それはまさにフレッド自身も望んでいた生き方だった。
フレッドが、「女性運動は、二セモノだ」と感じ、 フェミニストたちに怒りを感じるようになったのは、同棲していたガールフレンドとの口論の末、別れることになってからだった。

『男たちの意識革命』(p.161)

僕は、小学校高学年から中学生くらいのころ、フェミニストによるジェンダーフリー等を扱った本を読んだりしていました。この思想はきっと僕を救ってくれると本気で信じていました。
でも、それは浅はかな行為でした。今の僕は、もしタイムマシーンがあれば、あのころの僕に告げに行きたい。「その思想は(男の子である)君をラクにするものではないよ。もしかしたら、もっと苦しめるかもしれないよ」と………。

「……いまや、男性解放のときはきたのです。性差別に反対するといって女性たちが始めた運動は、みずから性差別のおとし穴に落ち込んだのです。今日、だれよりも性差別主義に徹しているのは女性自身なのです。
女性解放運動は、男性をすべて敵として、あらゆる社会的害悪の根源は男にあるときめつける性差別者の運動となっています。戦争も犯罪も不況も政治も大企業の巨大な権力行使も、すべて男が原因なのだと。そして『女の価値観』『女の力』『女の視点』のみが、そうした悪を解決できるのだ、といいます。
『女だけが本当の痛みを知っている』『女だけが本当の愛を知っている』と『女』を他と区別してその優越性を強調し、『男は特権を乱用している』『男はすべてレイプスト (強姦者)』『男は支配欲のかたまりだ』『男は女を性欲の対象としてしかみない』などと、すべてのマイナスイメージを男に押しつけるのです。これが性差別でなくて何でしょうか!」

『男たちの意識革命』(p.162)

これは、1981年6月に、アメリカのヒューストンで開催された《 全米男性会議 》での、フレッドさんによる基調講演の中の一節です。40年も前のアメリカで語られたこの内容は、不思議なくらい、現代の日本に当てはまる部分を持っています。
フェミニズムがどんな落とし穴に嵌り込んでしまったのか。それは一言で言えば、「全ては男が悪い」という頑ななまでの教条主義なのだと思います。
そして、僕は、マスキュリズムの動きが活発化したとき、これと同じ過ちを決して犯してはならないと強く危惧するのです。むしろ教訓として活かさなければならないと思うのです。

「われわれ男は、女性解放運動が犯した誤りを繰り返すべきではない。男同士のみにくい争いや、女を敵と見たてた議論は、まさに女たちがおちいったおとし穴に自ら落ち込むことなのです。諸君! われわれ男が、ここに集合したのは、男と女の争いに拍車をかけるためではない。それに終止符を打つことなのです!」

『男たちの意識革命』(p.167)

これはフレッドさんの言葉ですが、僕が上で述べたのとほぼ同じ趣旨のことを言っています。とても大切なポイントだと思います。

今回は以上です。
次回からは数回にわたって、この編の内容を詳しく紹介していこうと思っています。

続き(次回分)は下のリンクから。


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