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【ハロー息子!】出来ることはなんですか?

出産二日目〜救急搬送翌日

仕事柄も手伝って超夜型人間だったのが、入院して朝方人間に転生した私。
切迫早産のときは6時過ぎから朝のNSTがあったため、
6時には起床し、洗顔もできるタイプのオールインワンパックで洗顔。
新聞宜しく、朝一のYahoo!ニュースで世間での情報をインプットしてる途中で看護師さんがきて、NSTというルーティン。

余談だけれど、ほとんどの時間を横になって過ごさないといけなかった切迫早産入院民の私にとって、オールインワンパック、拭き取りトナーパッドはまじで神アイテムだった...!
これは、後々付き添い入院する時も大車輪の活躍だったので、生み出してくれた会社さまに特大の感謝の気持ち...!

これが、産んだ後はただただ朝ごはんを待つ女。
きっと新生児室に子どもがいれば、
「もっと、寝たいヨォ。」と目をこすりながら新生児に行く新米母
になれたのだけれど。
まさかまさかの子どもは昨日救急車で運ばれて行ったきり。

転院時の書類などをもらいに行った主人も、
昨日はさすがに子どもには会えなかったようで、
記入した書類を今日持って行く時に、治療の方針や現状などの説明を受けると聞いていました。
どんな治療や検査が行われているか、どんな結果が出ているかもまだ分からず、、、。

出来るとこがほとんどない...!!!!

切迫早産入院時も出来ることなんて、
食べて横になり
トイレに頑張って行って
3-4日に一度頑張ってシャワーを浴びるということしかしてなかったのに。

産んでからもこんなに何もできないなんて...。
当たり前にお腹は痛むけれど、思ったより動ける方だったらしい私。
暇を持て余しながら、運ばれてきた朝ごはん。

ちょっとまって。
本当に!めちゃくちゃ!ご飯が美味しい!!!

ちょっと感動レベルで、ご飯がとても美味しく感じました。
今までは、息子がお腹にいて苦しくて苦しくて。
半分くらいをやっとの思いで食べていた私だったけれど、
今お腹は絶賛収縮モード中!
苦しくなく、こんなにご飯が食べられたのが
この朝ごはんが産後最初でめちゃくちゃ感動のLINEを家族に送りつけていました。

朝ごはんの後に

  • 入院は1週間してもらわないといけないけれど、今日からの歩行訓練の次第では、3日後に一時外出という形で息子がいる病院へ行き面会ができること。

  • 7週間寝たきりだったので、しっかり体力回復に努めてほしいこと。

  • 息子はいないけれど、搾乳したものを保存パックに入れて病院の冷凍庫で保管できて、それを息子がいるNICUへ届けることができること。

を聞きました。

お腹痛ぁ。暇だなぁ。やっぱり腹痛ぇ。何しようかなぁ。お腹痛むぅ。
しか考えられなかった私に、やるべきことが。

息子のためにできることがあって、本当に嬉しかった...!

お腹はとっても痛むけれど。
トイレに行くだけで息切れだけれど。

3日後に面会しに行くために、少しでも体力回復!
自力歩行できるようになるんだ!!

という気持ちと、
入院してても母乳で少しは母ちゃんを感じてくれぇ。
という気持ちで、搾乳指導もお願いして、
長い入院生活に新たなハリができました。

午後からは、主人が治療方針と現状説明を聞きに息子のいる病院へ。
14時からと聞いていたので、もうそれくらいの時間からこっちもソワソワ。

14時すぎると、合否発表を待つ受験生のごとく、
スマホを目の前に置き、まだかまだかと連絡を待つ私。

30分たち、40分たち、1時間経って、ようやく主人から連絡が。

「病院に許可取ったから、とりあえず今から行くわ!」

その足ですぐに私の待つ病院へ。
本来は、コロナ禍で面会不可だったのですが、状況が状況なのと、
書類記入なども重なり、10分だけ面会が許されました。

息子の入院の病名は、哺乳障害

転院時はNICUに入り、保育器に入っていたけれど、
すぐに実施した検査で、
心臓、お腹の内臓、頭、どこも異常なし!
肺の状態も問題なし!
呼吸もクリア!
ミルクが飲めない時もあるから、鼻からチューブを入れていたけれど、
つながっている管はそれと、手につけている酸素メーターのみ。

酸素ボンベも転院時、最初はつけていたものの、
これいらん!という具合で自分で引っ張って取っていたらしく..。
(おい、息子...。)

息子の体にはいくつ管が繋がっているんだろう...。と気になっていたので、
管の本数が思っていたよりも少なかったのも一安心。

保育器からも出て、NICUからGCUへ移り、経過観察中とのこと。

そして気になっていた染色体の検査は、親族にダウン症がいるからということで早めの明日に実施予定ではあるものの、
現時点でミルクがうまく飲めない以外は異常が見当たらない

ということでした。

主人からの報告を聞いて、ほっと息が吸えるような気持ちだった私。
大丈夫大丈夫〜!お腹痛いんだけどー!と周りには言っていたけれど、
本当に大丈夫であれば、こんなことにはなっていないという認識もあったので、

ひとまず。
本当にひとまず。

息子が呼吸をして、手を借りながらも生きていけそうな状態
であることを確認して力が抜けるようでした。


切迫早産で入院している間、本当に心細くて。

この子が正常に生まれてきてくれる確率をあげるのは、
1日でも長く私のお腹にいてもらうこと。

これが本当に難しくて、プレッシャーで。

臨月までお腹の中で育てる。
当たり前のことがこんなに困難だなんて知らなかった。

それでも。

ギリギリだったけれど、臨月になるまでお腹になんとかいてくれた。
想定していたよりも体重が重くて、2500gあった。

頑張って、外の世界に出てきて。

今度は、医療の力を借りて、大きくなろうとしている。

お腹の中にいるときは当事者だった自分が、
子どもが外の世界に出てきてくれると、
大人しく祈るしかできない状況。

無力だなぁ。祈るしかできないなんて。
お腹にいた時も大して何もしていないのだけれど。
ただただひたすらに絶対的に安静に横になっていただけだったのだけれど。
あんなにプレッシャーだったのに。神頼みしかできない自分がもどかしくて。


...。とりあえず搾乳して息子に届けよう。
前向きに考えられる自分に、少し感謝した夜でした。

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