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【note感想文】大切なのは「ためらい」という話

こんにちは、ニコライです。今回は【note感想文】ということで、フォロワーさんの記事をご紹介させていただきます!

今回ご紹介するのは、岡本コースケさんの「【思考雑記②】なぜ自分は遅筆なのか」です。

岡本さんの悩みは「遅筆」。書きたい気持ちはあるのに、なかなか筆が進まない。そして、その理由は、「自分はこれは正しいと思った事しか文章として人前に出そうとしない傾向にある」から。岡本さんは人を傷つける表現を軽率に口にする人間が心底嫌いで、人を傷つけるような表現を憎むあまり、自身の表現も誰かを傷つけるのではないかと臆病なほど慎重になりすぎているのだそうです。

以前にも書きましたが、僕は断定形で話をする人をあまり信用していません。政治の問題にしろ、社会の問題にしろ、あるいは人間関係の問題にしろ、その背景には複雑な経緯があり、様々な要因が複雑に絡み合っているはずです。それ何に「これが真実だ」と、個人が簡単に結論を出すことなんてできるわけがない、と思っているからです。逆に、「これは本当に正しいのだろうか?」とためらえる人は、とても賢い人だと思うのです。

「ためらい」というのが、僕が人間にとって一番重要な資質なのではないか、と思っているものです。「ためらい」がなければ、人は安易な「真実」によってどんどん良くない方向に進んでしまうでしょう。宗教にしろ、共産主義にしろ、あるいは人種理論や優生学にしろ、「絶対的真理」が大いなる不幸となった事例は枚挙にいとまがありません。僕はこうした歴史的反省からも、一歩立ち止まって考えてみる態度が重要なのではないか、と思うのです。

しかし、実際に世の中を動かしているのは、断定形で話をする人々です。なぜかといえば、断定形で話をする人は、判断が早く、今どうするべきかという方向性を出してくれるからです。もし、優れたリーダーは聞かれたときに、すぐに判断してくれる人と、いつまでも悩んでいる人だったらはどちらが好ましいかは明白でしょう。つまり、良し悪しがあるということです。常に「ためらう」のがよいわけではないですし、逆に常に「断定する」のがよいわけでもありません。

なので、重要なのは「ためらう」ことと「断定する」ことの「せめぎ合い」なのかな、と思います。どちらかが絶対的に正しいわけではないし、かといって絶対的に間違ってもいない。今はどちらが向いているのか、どちらを選ぶのか、常に考え続けることが政治においても、経営においても、あるいは個人の人生においても必要なのではないかと思います。

今回の岡本さんの記事をきっかけに、今まで漠然と考えていたことを書いてまとめてみました。歴史以外の話題にも積極的に触れて、思考と執筆のトレーニングをしていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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