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ざっとわかる現代ウクライナ2 ウクライナ危機の展開

1.はじめに~ウクライナとロシアの「文明的な離婚」~

ウクライナは1991年のソ連からの独立によって、ペレヤスラフ協定締結から実に337年後に、ようやくでロシアからの独立を成し遂げました。崩壊時に大規模な内戦へと発展したユーゴスラヴィアと違い、ソ連の崩壊時には大きな軍事的衝突などはなく、ウクライナの独立はロシアとの「文明的な離婚」ともいわれていました。

しかし、独立から23年後の2014年に、クリミア併合とドンバス紛争においてウクライナとロシアは戦火を交え、さらに8年後の2022年には全面戦争へと発展しました。なぜ独立から20年以上経過してから、ウクライナはロシアと戦争をするようになったのでしょうか。

2.クリミア併合とドンバス紛争

2014年、ユーロ・マイダン革命によって親露的なヤヌコーヴィチ政権が打倒され、新欧米派政権が樹立しました。しかし、新政権が民族主義的路線を示し、極右政党「自由」からの入閣があったことから、ロシアは「暫定政権はファシスト」「ロシア系住民を迫害している」と非難しました。

2014年2月27日、ロシアは密かに特殊作戦部隊を派遣し、ロシア系住民が多く、分離主義傾向が強かったクリミアを制圧しました。3月16日、ロシア軍の監視のもと住民投票が実施され、95パーセント以上の賛成票ロシアへの編入が支持されました。その2日後、クレムリンで編入条約が調印され、ウクライナを含め国際社会から承認を得ないまま、クリミアはロシアへと編入されます。

クレムリンにおける調印式
By Kremlin.ru, CC BY 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31679370

ウクライナ東部でもキエフの新政権に反対する勢力が武装化し、州庁舎等を占拠しました。さらに、ロシアの諜報員・扇動家が侵入し、現地の自治体関係者、治安機関、準軍事組織が共同して、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の創設が宣言されました。

ウクライナ新政権はこれを認めず、武力衝突が生じました。当初はウクライナ側が優勢でしたが、2014年8月以降ロシアが軍事的援助を本格化させると、形勢は逆転しました。ウクライナは欧米と協力した平和的手段による主権回復を目指す政策への転換を余儀なくされました。

中央茶色部分が親露派占領地域
By Goran_tek-en, CC BY-SA 4.0,
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3.ミンスク合意とその問題点

2015年2月、ミンスクで開かれたウクライナ、ロシア、ドイツ、フランス4か国の首脳会談において、「ミンスク合意ミンスク2)」が調印されました。この中では、双方の全面的停戦、重火器の撤去、外国の部隊・兵器・傭兵の撤退、欧州安全保障協力機構(OSCE)による監視、「両人民共和国」の暫定的地位を規定する「特別地位法」の恒久化とウクライナの脱中央集権化を軸とする憲法改正、特別地位法に基づく地方選挙などの履行項目が記載されました。

2015年2月のミンスク会談での各国首脳
左からルカシェンコ(ベラルーシ)、プーチン(ロシア)、メルケル(ドイツ)、オランド(フランス)、ポロシェンコ(ウクライナ)
By Kremlin.ru, CC BY 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38345346

しかし、ミンスク合意の2つの根源的な問題点において、ウクライナとロシアは解釈が食い違っていました。

第一に、ミンスク合意の履行主体の問題です。合意の一部の項目では単に「双方」としか書かれておらず、履行する当事者が不明確な項目がありました。ウクライナからすれば、この「双方」には当然侵略国であるロシアが当てはまり、ロシアに履行義務があるということになります。しかし、ロシアは、表向きはウクライナへの軍隊派遣を否定しているため、「双方」とはウクライナ政府と「両人民共和国」のことで、ロシアは無関係であり履行義務がないということになります。

第二に、合意項目の履行順序の問題です。ウクライナは、まず停戦、重火器の撤去、外国の部隊(つまりロシア軍)の撤退などの「治安項目」が実現してはじめて、特別地位法の恒久化、憲法改正などの「政治項目」の履行が完了できるという立場でした。しかし、ロシアは治安状況に関わらず、まず「政治項目」を実現するべきと主張しました。

ウクライナは、合意を通じて紛争の終結と主権回復を目指していましたが、ロシアは大幅な自治権が付与された「両人民共和国」を通じて、ウクライナの内外政に影響を及ぼすことを考えており、両者の目的が異なることによって、こうした食い違いが生じました。

このため和平プロセスは膠着状態に陥り、停戦合意は繰り返し違反され、重火器の撤去や外国部隊の撤退などの「治安項目」の履行は進まず、特別地位法の恒久化や憲法改正などの「政治項目」も実現されない状態が続きました。

4.全面戦争への道のり

2019年3-4月の大統領選挙の結果、現職のポロシェンコを破り、ヴォロディーミル・ゼレンスキーが73パーセントの支持率で当選しました。ゼレンスキーは東部出身ロシア語を母語としており、長期化する紛争の早期解決に積極的でした。

2019年大統領選挙の勢力図。緑系がゼレンスキー勝利地域、赤がポロシェンコ勝利地域。
ゼレンスキー勝利地域が多数だが、特に東部での支持率が高い。
By АнатоликДАМ - Own work, CC BY-SA 4.0,
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ゼレンスキー大統領の融和的な姿勢は、東部独立を認めない極右の「主戦論派」からの猛反発にあいますが、ゼレンスキーはこうした反対を押し切り、2019年12月にパリにて、ドイツ、フランス、そしてロシアとの首脳会談を実現しました。これにより、捕虜交換と、同年末までに完全な停戦を実現することが約束されました。しかし、肝心の「政治項目」と「治安項目」の履行順序については、両国は対立したままとなりました。

2021年に入ると、双方での停戦合意違反が急増します。2021年4月には、ロシア軍が演習と称して東部国境付近に集結し、両軍の緊張が高まりました。その後、ロシア軍は撤兵しますが、停戦合意違反は続きました。

11月、ロシア軍は再びウクライナ国境地帯に結集し始めました。プーチン大統領は「西側の攻撃的な姿勢」が続けば、「相応の報復的な軍事技術措置」を取ると表明し、NATOはウクライナの加盟を認めないという「法的に明文化された保障」をロシアに与えるべきと主張しました。米英独仏各国は外交による解決を試みました。しかし、2022年2月21日、プーチン大統領は親露派地域の独立を承認し、ロシア軍に平和維持活動を行う命令を出しました。そして、2月24日ロシア軍はウクライナへの攻撃を開始し、全面戦争がはじまりました。

5.まとめ

今回のウクライナ・ロシア戦争が始まった要因について、自分なりの考えをまとめてみました。以下の3点が重要な点だと思われます。

①ロシアの大国主義

ロシアはNATOの東方拡大に対し、強い警戒感を持っていました。それは、NATO軍が国境のすぐそばに配備されるという安全保障上の脅威、自分の「勢力圏」だった国々に対する影響力を失うという政治的な脅威に加え、自らが秩序を作り出す側の「大国」としての地位に対する脅威として捉えていました。特にウクライナに対しては、プーチン大統領はロシアとの歴史的一体性を主張しており、ロシアの「勢力圏」に置かれることが当然であり、ウクライナが親欧米に傾くことは、許しがたいことだったのだと思われます。

②アメリカ・EU諸国の対応

2014年のクリミア併合・ドンバス紛争以降、アメリカとEU諸国は金融、防衛、エネルギー各部門において対露経済制裁を行ってきました。この経済制裁はミンスク合意の履行と結びついており、履行されなければ拡大・強化されるという立場をとることで、ロシアへ圧力をかけ履行を迫りました。しかし、紛争から8年経過しても、ロシアが履行に乗り出さなかったことから、その効果は限定的だったと言わざるを得ません。
開戦までの8年間で効果的な制裁を行えず、ミンスク合意履行にこぎつけられなかったことは、結果的に今回のロシアのエスカレーションを防ぐことができなかった要因であると思います。

③ウクライナのナショナリズム

独立当初より分離主義の傾向があったクリミア、地域への帰属意識が強い東部のドンバス地域は、ウクライナ民族主義政策や、キエフ周辺で進められたオレンジ革命やユーロ・マイダン革命に対し、強い反感をいだきました。ユーロ・マイダン革命の際は、ユーロ・マイダン派と親露派との武力衝突により大勢の死傷者が出ました。ウクライナのナショナリズムが国内での分断を生み出してしまったと言えます。また、バンデラなどのナチ協力者の復権したこと、極右政党からの入閣があったことなどは、ロシアがウクライナを「ファシスト」と呼ぶ口実を与えることになりました。

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開戦から1か月以上が経過しましたが、戦闘はいまだに続いています。もし仮に、この戦争でロシアが勝利してしまえば、さらにエスカレーションが止まらなくなることも十分に考えられます。大国が、自国の都合で小国に軍事介入する、そんな時代がやってきてしまうことになるかもしれません。

また、ウクライナ側が勝利しても、憂慮が残ります。ロシア軍がいなくなった後、ロシア系住民はどうなるでしょうか。ロシア語・ロシア文化は永久追放にならないでしょうか。差別の対象にならないでしょうか。もし、ロシア系住民に対する迫害が起きれば、再び同じような紛争が繰り返されることになるでしょう。ウクライナがナショナリズムをどう乗り越えて、国内の分断を回復するのか、ということも、紛争を解決するうえで重要な問題になってくると思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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前回

参考

服部倫卓,原田義也編『ウクライナを知るための65章』明石書店,2018年
合六強「長期化するウクライナ危機と米欧の対応」『国際安全保障』国際安全保障学会,2020年12月,32-50頁
松里公孝『ポスト社会主義の政治――ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制』筑摩書房,2021年
小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』筑摩書房,2021年
服部倫卓「2度のウクライナ危機におけるEUとNATOの要因」『ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界』国際経済連携推進センター,2022年4月


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