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美の軸を2つもつこと

昔、仕事仲間と花火大会に行った帰り道のこと。他愛のない話をしながら皆で歩いていると、やけに無口な同僚が一人いた。
「眠いの?」なんて誰かがきいたら、彼はこう答えた。

さっきの花火、パーティクルで再現するとしたら、どうすればいいかと思って

彼は当時引く手あまたの Flash Developer で、プログラミングが得意だった。
美しい花火を観て、それをどうプログラムするかを思案するなんて、風情がない、という話ではない。もしデートなら顰蹙ものかもしれないが、決して彼の風情を感じる心が欠落しているわけではないのだと思う。

彼は別な軸で美を捉えたのだ。私は観ている世界の違いに驚いた。

デザイナーとエンジニアは、世界の捉え方が違うと思うことはよくある。同じものを観ているようで、そうでもなかったりする。
いや、デザイナーでもプログラミングする人はけっこういるから、プログラミングを知っている人と知らない人、という方が正しいか。

プログラミングができる人のデザインは美の観点が似ていると思う。整理された秩序と、敢えて外された秩序を合わせ持つ美。それは、人間の世界から見える美の軸の他にもう一つ、プログラミングの世界から見える美の軸をもっているからではないだろうか。

プログラミングの世界から見える美というと、人工的なものを想像するかもしれないが、どちらかと言うと、自然物のもつ美だ。

蜂の巣や昆虫の目、カメの甲羅にあるハニカム構造、巻き貝や遺伝子の螺旋。自然物は整理されて秩序立った美を持っている。もちろん、全てが規則正しい構造で形作られるわけではない。しかしそれは変異として、秩序から敢えて外されたものだ。

自然物に比べて、たとえば絵でも文章でも、人工物は少なからず無秩序だ。階層がまたがっていたり、だまし絵のように、構造が実存できないものになっていたり。それが何ともいえない魅力になったり、違和感が起因になって人の目をひいたりする。

人工物の歪な部分を削ぎ落とすと、規則正しい自然物の美をもつようになる。整理されたデザインがプログラミングに適したものになり、秩序だった美を持ちはじめる。

けれど、そのままだと、少し魅力が減っていく気がする。なぜだろう、私は少し歪なものが好きで、やはり歪なものに惹かれるのだ。

プログラミングが出来るようになると、自分が作るものの魅力が失われるように思えたこともある。自由さが制限されるような、型にはまってしまうような。画一的なものの魅力にとらわれてしまうような。
デザインについても不十分なのに、他のものに手を出して、今の脆弱な軸を失いたくない、という思いもあった。


しかし、ここ最近 UI デザインで Sketch を使うようになり、ブロックのように部品を積み上げていくAtomic Design を体験していくと、その思想に美を感じるようになってきた。そして面白いと思うようになってきた。道具に引っ張られて意識が変わるって何だか不思議だけれど。

私の中にできはじめた、もう一つの美の軸

プログラミングを知ることは、プログラミングの世界から見える美の軸を新たに獲得するということだ。新しい楽器や新しい言語を覚えるように、美の軸が新しく加わる。それって素敵なことだ。

恥ずかしながら、これまで何度も勉強しようとして挫折してきたプログラミングだけど、もう一度挑戦してみようと思った ※1 。幸い、訊けば答えてくれる人が周りにいくらでもいることだし。
私はもう若くないけれど、今が一番若いって誰かも言ってたし。


小学校でプログラミングが必修課目になって、どこまで人の身につくか分からないけれど、この美の軸をもつ人はどんどん増えていくに違いない。

自然物の中にある、美の軸を多くの人が持つ。それはむしろ自然に還ることなのかもしれない。


※ 1

挫折防止のための宣言。
取り急ぎ、親しみやすそうな本を 1 冊週末やってみた。
『 おしえて!!  FLASH 』( なつかし! )で ActionScript の本出してた方で、
すごく分かりやすかった。
『 Python 1 年生 体験してわかる!会話でまなべる!プログラミングのしくみ 』
森巧尚
https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798153193
※ これだけだと、何も出来ないので次また別の入門書をやりはじめている...


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